兆星
それでも挨拶しなければ、礼儀に劣る。
「コホッ…。」
声を出そうとしたら、 何やら咳が出た。
あれ?…そう言えば喉にイガイガがあるのに初めて気がついた。
踏み出そうとしたら、足もとがふらついた。
おっとっと…あれれ?
「おぬし… 」
訝しげに言いかけた、大自然の中での派手派手なメイクの彼女から、魔力の波を受けて身体が震える。
僕の得意技、searchに類する魔法であると感じる。
身体の中を精査された…むむ、バレてしまったか。
実は、先程から身体に変調…違和感を感じていたのだ。
それは、今この瞬間にも急激に益々強まっている。
体力低下に伴う免疫系機能の低下…。
僕は、体調に極端な波がある。そして最低の時には、大抵、菌やウイルスに抗しきれず、大抵風邪をひいて寝込んでしまう。
今、この時にも、立っているのがつらくなってきた。
脂汗が、滴り落ちる。
目眩がして欄干に掴まるも、気分が悪くて座り込んでしまった。
思えば、兆しはあった。
しかし、夏季講習の日程は決まっている。
どっちにしろ体調の推移は、止めることは不可能。
思考が切れ切れになり掛けた途中で、彼女から声を掛けられた。
「…座られよ。」
以前ラーメン屋で会っただけの、ギルドの教官であったとは夢にも思わなかった彼女が、労りの言葉を掛け椅子を用意してくれた。
ヤンキーは情に厚い…全く関係無い先入観が脳裏に思い浮かぶ。
フフ…失礼であるな。
正直、身体を動かすだけでもしんどいので、お言葉に甘える…体調悪いのはバレてるしね。
「…して、どうするね?」
この教官の真意は分かった。
ここでリタイアを勧めているのだ。
まあ…そうだね…リタイアが順当な処かな…帰路の86kmを走り抜けることを、人並み以下の体調で、しかも風邪を拗らせた状態で…朝までに埠頭まで辿り着くのは不可能に思える。
…せっかく皆と一緒に士官学校に入ることが出来たのに残念だな…しかし、仕方がないことなんだ。
世の中には、自分の意志とは関わらず諦めねばならない事柄が無数にある…ああ、今回は運が悪かった…それだけの話しだ。
「…証明のお地蔵様を下さい。」
僕は、手を差し伸べた。
はは、何を言っているんだ僕は。
教官が、まなじりを上げ、片目を見開いた。
しばらくの間、僕の息遣いだけが聞こえた。
「…ふん、もしかしたら、そう言うかとも思っていたが、…まさかな!」
教官は、そう言うと僕の上の空を眺めた。
「….無類の臍曲がり、…権力に媚びぬ天邪鬼、…常に険しき道を選ぶ負けず嫌いのM体質、ああ…噂は本当であったか。」
教官の呟き声が聞こえる。
え!何それ?
それって誰のこと?
僕じゃないよね?
しばらくブツブツ言っていた教官は、手で膝をバシッと叩くと、こう言った。
「いいだろう。…だがお主が道端で倒れても誰も救けには来ぬぞ。お主が選んだ選択肢は通常自殺行為に他ならない。退くべき時に退かねば士官失格である。馬鹿としか言いようがない。だが、こんなに言ってもお主には馬の耳に念仏であろうな。ふん、これを持っていけ。」
教官が、僕の手の平に落としたのは、キーホルダーサイズの小さいお地蔵様。
「お主の為に、掘っていた地蔵もあるが、それは次回に回そう。」
ここで、僕は教官が居るテントの後ろに、背景と違和感なく佇立している無数の大きさのお地蔵様があることに気がついた。
教官が残念そうに観ているお地蔵様は、僕よりも大きかった。