[閑話休題]ラーメン放浪記(ウバ・セイロン編)
部屋に端末の音が鳴り響いた。
トビラ都市内でも、中心市街地から大分離れた閑静な住宅街。その一角に建てられた石造りのマンションの一室に僕は一人で住んでいる。
昔々、栄華をほこった御先祖が遺してくれた遺産の一つである。
端末の音を最大設定にしていたのは僕だから誰に文句を言う訳にはいかない。
今は、魔導士資格試験直前の一刻の猶予もない大切な時期だというのに、誰か掛けてきたのか腹立たしい。
魔術研究書への集中が途切れて、多少のイラついた雑然とした思いで画面を見るとレイ・キームン准尉からだった。
…出るのに、しばし躊躇する。
彼は、屈強なブルーの中でも槍の名手で有名でした。
以前に戦う姿を見たけど、その基本に忠実な槍捌きには隙がなく、僕が戦い勝つには苦労しそうでありました。
だが…恐さはなかった。
基本に忠実なだけに、予測して対応できる。
だから、最後には、自分が勝てるだろう。
当時は、そう思ってました。
しかし、ハクバ山探索の際の修行の途中から、槍などの長物だけでなく、武具を選ばずに何でも使用し、その道具の特徴を瞬時に把握して、活かして戦かってくるようになりました。
その周囲の物を何でも利用して戦うやり方は、彼が師匠と呼ぶ、あのお方の戦い方とダブります。
…まるで予想がつかない。
その戦闘スタイルは、後衛の魔法をメインにして戦う僕にとって、非常に戦い難いのです。
格下と見て侮っていた相手から、天敵へと急に切り替わってしまった。
ある触媒に触れさせただけで、物質自体が瞬時に別のナニカへと変わってしまう化学反応の焔を目前で見せられたかのよう…まるで、魔法だ。
今では武術序列は確実に彼の方が上になってしまった。
…僕は、追い越されるのは、好きではないのだ。
そんな忸怩たる思いに、応答するのが一瞬躊躇ってしまいました。
僕は、自分以外は基本敵だと思っている。
もし今、彼と戦ったら相性は最悪、彼に勝つのは甚だ難しいと言わざるを得ない。
だから、彼とは敵対出来ない…今は、友好的に味方のフリをするしかない。
そして、彼の師匠筋には、まず戦う気にすらなれない。
あの変幻自在な戦いぶりには畏れ入ります。
本当に彼女は人間なんだろうか?
「もしもし、ウバ・セイロンと申します。どのような御用件でしょうか?」
業務でも私用だとしても、僕は変わらず語調は崩さない。
崩しても何も良いことはないから。
慇懃無礼だと言う者もいるが、僕には関係無い。
…
…
…
レイ・キームン准尉の話しは、何度か聞き直したが、要領を得なかった。
…彼らしくもない。
だがこれは情報不足から来るものと判断した。
分かっているのは、今現在、クール・アッサム准尉がカマーにいること、断片的な情報を羅列すると、ラーメン、アールグレイ少尉、匂い、食べたい…。
… … … …
ダメだ…まるで、状況が思い浮かばない。
まさか、クール准尉がラーメン食べたさにカマーに来たら、アールグレイ少尉の匂いを嗅ぎつけて、ストーカーしているわけでもあるまいに。
今、彼…クール准尉はアールグレイ派閥に入っていると目されている。
かく言う僕も、不本意ながら周りから、その様に見られているはずだ。
…ならば、今はそれを利用するべきで、味方のフリはし続けなければならない。
…
結局、レイ・キームン准尉には、了解はしたが現地で合流できるかは分からないと応答して連絡を切った。
…しばし眼を閉じて黙考する。
トビラ都市の勢力図を鑑みて、敵対する勢力の仕業である可能性が高い。
新興勢力である彼女に対し、これ目障りと潰さんと目論む古豪の勢力は多い。
これらは潜在的な敵対勢力だ。
いくつかピックアップして検討するも、どれも確証は得られない。
….
念の為、クール准尉に端末から連絡を取ろうとするも、やはり応答がない…さもあらん…きっとこれは単純な構図ではないのだ。
トビラ都市内は、栄枯盛衰の流れが流動的で速い。
五公爵の筆頭格であったダージリンが、[蜘蛛]の画策により滅びに瀕した例は記憶に新しい。
油断は出来ない。
出る杭は潰されるのは常だ。
きっと…ラーメンとは、何かの隠語に違いない…アールグレイ少尉を陥れようとする何某かの勢力の意図に、偶然、気づいたクール・アッサム准尉が、先走って失敗して窮地に陥っている…こんなところだろうか?
実に馬鹿…いや杜撰…いやはや、細かなところは気にしないクール准尉らしい。
…
救けに行かずとも、彼女は何も言わないだろう。
彼女は自由な風の象徴…自由を尊ぶ冒険者の中には、彼女を現人神のように拝んでいる者すらいる。
…神は何も言わない。
…これは、判断を任されている、と解釈する。
つまり、僕の自由だ。
だが当然判断に伴う責任も負わなければならないわけで…。
…
やはり…だからこそ、救けに行かねばならない。
でもこれは、彼のためではない。
僕自身のために、せざるを得ないと判断した。
僕は、溜め息を一つ吐き、魔術の研究書を閉じた。
今やるべき優先順位を間違えるほど、僕は馬鹿ではない。




