初日・寄宿舎にて(後編)
どうやら、クラウディアちゃんは、あのウルフェン君から犬獣人繋がりで、僕の世話を頼まれたらしい。
ぬぬ…やるじゃない、ウルフェン君。
どうやら潔く心を入れ替えたという言葉は本当らしい。
ウルフェン君は、バスから降りた直後、僕に土下座して謝ってきたのだ。
…子供に対しての乱暴な所業は許せない。
でも、自分の悪い所を認め、敵対していた憎い相手に、謝るなんてなかなか出来ることではないと…僕は思う。
…
兎獣人のラピスは、ペンペン様がいるベッドとは違う下段のベッドに、右手の人差し指を伸ばした状態で、そのまま寝かされている。意識はあるけど痺れて動けないらしい。
可哀想だけど、…少し面白い。
でも床に、そのまま放置では可哀想だと思い、ベッドに皆で運びました。
「あらあら、まあまあ…白狼様は、お優しいですわぁ。ラピスがあの様な不躾な態度をした時は、てっきりお手持ちの刀で真っ二つか、御身に宿る炎のエレメンタルで火柱かと思って、お別れを覚悟したのに…本当に阿保な子でごめんなさい。」
シレーヌさんが、ゆったりとした優しげな口調で述べた。
そして、痺れて動けない兎さんの代わりに頭を下げた。
うんうん…そうだよね。
静かな真実味のある語りに、思わず同意したけど…僕の対しての剣呑な認識に気づき、慌てて否定する。
あわわ…僕、そんな危険人物じゃないよ。
いくらなんでも、それでは異常者のシリアルキラーです。
それにこんな幼い可愛い子が、突っかかって来ても微笑ましいだけで、何とも思いませんからと、シレーヌさんの中の僕に対してのイメージを修正しておく。
それとシレーヌさんの感知の鋭さに慄然とした。
僕の中の炎のエレメンタルを見抜き、僅かな所作から刀使いであることがバレました。
もっとも戦闘スタイルが被っているので、同業だから刀を身近に所持しているのは、バレバレかもしれない。
思えば、この子達は、一見して巷にいるような姦し三人娘ながら、その実はギルドのレッドです。
それも一人でも、強さの象徴たる騎士を凌駕すると言われる雑草なみのしぶとい叩き上げのレッドです。
なのに外見は、若くて可愛い女の子ですから、外見と中身の差が甚だしい。
レッドの制服着てなかったら、普通の可愛い娘さんですし。
…ついつい往年の歳上目線で見てしまっていることに気がつく。
ああ…そして、この僕も今や、若い女の子の区分に入ってしまうのですか。
…
隔年の差に、…とても…とても、長い旅路の果てにいる気分になりました。
今や姿形も変わり果て、人格さえも違う。
突如として、悲しみと孤独感が、僕を襲った。
…ジワリと涙目になる。
僕の心の変わりように、すぐさま肉体が反応する。
全く、今世のこの身体は、感受性が高過ぎるよ。
だから、これは僕のせいではないのだ。
…ホロリと涙が一筋流れ落ちる。
何を勘違いしたのか、電気ショックを受けたように慌てたのが獣人のお二人。
冷静な仮面を投げ捨てて、歳相応に、大丈夫ですか?と僕に尋ねて、大変だぁ、大変だぁと、あたふたと右往左往して狼狽えている。
こうして見ると、ごく普通の歳若い善良な女の子達です。
ああ…こんな若い子達に心配をかけてはいけない。
ストップを掛けようとしたけど、涙が後から後から溢れ落ちてきます。
遠い…遠い処に来てしまった。
…昔の僕を知っている者など、この世の何処にもいないのだ。
ああ、今、僕の周りは、こんなにも明るいのに、僕一人だけ寒い暗闇の中に居るようです。
…
この時、ショコラちゃんが偶々僕がいる部屋の前を通り掛かった。
そして、この僕の姿を見て、悲鳴を上げた。
「アンタ達ー、私のアールグレイ様に何してくれてんのー?!」
普段温厚なショコラちゃんらしからぬ怒涛の大音声です。
まるで母猫が仔猫を外敵から守ろうとするかの如きの怒りように、中廊下を通っている人達も多く周りが騒然となる。
あ、…マズイ。
絶対、勘違いしている。
「ショコラちゃん、…違う。この子達は悪くないの。」
止めようとして、俯いていた表面をショコラちゃんに向けた。
途端にショコラちゃんの方から、紐を引き千切るような音が聞こえた気がした。
彼女の顔が、一瞬、感情を廃した能面のようになったかと思うと、冷徹なうすら怖い、微笑みの表情へと一変する。
「…貴女達、詫びは地獄の底でなさいな。」
地獄で風に吹かれた気がしました。
胃の腑から凍えてしまうかのような顔つきと声です。
はわわ、一刻の猶予もない。
このままでは、惨劇が予想される。
僕は、ショコラちゃんを抱き締めて止めた。
…
ショコラちゃんは、僕の必死の抗弁が効いたのか、先程と打って変わった真逆の上機嫌な幸せ一杯の笑顔で、足取り軽く自分の部屋へ戻って行った。
それでも、去り際、高位貴族特有の笑顔で、同部屋の三人娘に注意することを忘れなかった。
「私の名は、エペ侯爵家のショコラ・マリアージュ・エペ。そこに座すアールグレイ様は、私とエペ宗家にとって、大事な、大切な友人です。…宜しくお願いしますわ。」
この世界で、高位貴族のお願いを断れる者などは、稀です。
「な、なんか、ゴメンね、みんな…。」
絶望的な表情を浮かべるお三方に対し、僕が手を合わせて詫びを入れたのは、言うまでもない。