白銀拍車(後編)
…
しばらくの間、誰も声を発しなかった。
聡明な殿下は、常識人でもある。
予想外の話しの展開に付いていけず、お口がぱくぱくと開いたり閉じたりしている。
かく言う僕も同じである。
んんん…あれ?
僕の家臣云々の言葉がルーシー君の口から聞こえてきたような…気のせいかな?
…
予想外の言葉は、なかなか脳には浸透しない。
…しないが、理解したあと、僕は焦った。
いきなりギャラリーから当事者に、無理矢理立場が変わったので、これは無理ないと思う。
少年よ、それは一時の気の迷いです。
考え直しなさい。
僕は家臣を募集してないし、給料も払えないぞ。
絶対、お家の再興を願いでてキャン殿下の直参になったほうが一番話しの流れ的に相応しいよ。
少年よ、前言をひるがえすんだ、今ならまだ間に合う。
修正は可能だぞ。
しかしルーシー君は、僕の願い虚しく、心情を吐露し始めてた。
「…父が亡くなり、汚名を着せられ、お家は取り潰しで一家離散、私はこの三年間トビラ都市内を当てもなく独り彷徨っていました。…いつ死んでもおかしくなかった。親しかった者らは手の平を返すように冷たくなり、無視や石をぶつけられ、暴言を吐かれ、それなのに周りは誰も救けてはくれませんでした。私は其処に人の本性を見ました。私の心の支えは5年前に邂逅した暴風様の笑顔だけだったのです。暴風様だけは、あの地獄のようなシナガ撤退戦で、自らを顧みず、傷つき泥だらけになりながら、地獄の底を這い回りながらも僕らに食糧を分け与え、盾となって僕らを護り、…救ってくれたのです。しかも暴風様は誰もが苦境の中、笑顔を絶やさず、僕らを励まし続けました。役に立たない僕らを非難する言葉はもちろん愚痴さえ一言も溢さなかった。…まさに聖女、いや地上に降りた女神のような方なのです。そんな大恩ある方に私はこのサンシャにおいて、仕事の依頼とはいえ、暴風様に敵対してしまったのです。しかし、そんな私をも暴風様は、お赦し下さいました。なんてなんて慈悲深いお方なのでしょう。ああ、私は暴風様に対する恩を一片でもお返ししたいのです…。」
ルーシー君、その、あなたの言う暴風様は、僕ではありません。
ルーシー君の僕に対するイメージがあまりにも、現実と乖離し過ぎている。
僕は、そんなに慈悲深くありませんし、当時愚痴や文句だって頻繁に言ったりしてました。
どうやらルーシー君の耳には入らなかったらしいけど。
ああ、そんな僕の思いとは裏腹に、静まりかえったサンシャの避難民数千人を前にして、ルーシー君の感極まった僕への礼賛の言葉が朗々と響き渡りました。
ダージリンらしい人達など、聴いてて当時のつらさを思い出したのか涙ぐむ人さえいる。
その後も、ルーシー君の僕に対する美辞麗句は続きました。
僕はまるで針のムシロに座っているようです。
ついさっきまで、ギャラリーでリラックスモードだったのが嘘のよう。
人々の様々な思いの好意的な眼差しが、とても痛いです。
…ち、違います。
誤解なんです。
僕は、そんなにたいそうな人間ではありません。
焦って対策が何も思い浮かばず、もう既に後の祭りです。
ルーシー君の感極まった心情の吐露を止めれる勇気は僕にはない。
…
その後、ルーシー君は言語の限りを尽くして僕を散々褒め称え、ようやく満足したのか…だから私が家臣になれるよう御尽力下さいと、キャン殿下に対し、お願いしてました。
…
僕の顔色は、真っ赤になってるかも。
これは新しい精神攻撃かもしれません。
はっ、もしかしたら、これが前世で聞いたことがある誉め殺しかもしれない。
…やられました。
しかし、ルーシー君に悪意はありません。
だから、叱ることもままなりません。
もう、僕の精神状態は、ボロボロだよ。
誉め殺しの技に、俯き涙目になって悶絶してると…殿下の溜め息をつく声が聴こえてきた。
「お姉様、次代のロンフェルト卿を、よろしくお頼み申します。」
その言葉にキャン殿下の方を、ハッとして見ると、殿下が僕に対し深々と頭を下げていた。
殿下の対応に倣いギャルさん達も、一同揃って僕に対し綺麗に頭を下げていた。
…
きっと今の僕の顔色は、白くなっている。
貴族は、めったに頭を下げない。
下げないまま一生を終える貴族も珍しくはない。
だから、これは事実上の強制です。
貴族が頭を下げてまでのお願いを、もし僕が断ったら、トビラ都市で生きてはいられません。
しかも、サンシャの民、数千人の証人付きです。
その中には、サンシャ伯爵や元貴族のダージリン達もいるのです。
ああ…なんてことでしょう。
僕に、家来がまた一人出来てしまいました。