祝福(後編)
「あなた様は、もしや…5年くらい前にシナガが敵性生物群に襲撃を受けた際に、冒険者ギルドの撤退戦の指揮を執っていた軍曹殿では…?」
近づいてきたご老人は、ワナワナと手を震えながら僕に問うてきた。
僕は、左手を頬に当て考えてみた。
シナガ撤退戦当時を思いだしてみる。
確かに…
その様な記憶が…あるにはあります。
しかし、あまりにも酷い従軍の記憶であり、終わってからも降格、左遷と、一時期は僕の死罪まで問議された理不尽な記憶であり、正直、思い出したくもない。
僕としては、目立つことなく地道に働き、高額な危険手当をいただいて、将来のスローライフ貯金の足しにしたかっただけなのに…。
当時、このままでは、全滅してしまうと分かったので、通算最年長の僕が、致し方なく渋々指揮を執らせていただいた次第です。
…撤退戦ほど難しいものはないのに。
…甚だ不本意でした。
静々と部隊を次々引き揚げさせながら、殿を務め、敵前線に対し光りの槍を無数に降らせて、駆逐して、生命からがら這々の体で逃げ延びて、ボロボロになって帰ったら…査問会に掛けられあわや無礼討ちです。
…ちょっと酷くない?
あの時、査問会場の中央で、僕の処分を門議する一際高い壇上に座るお歴々の方々を見上げながら、無表情の仮面を貼り付けて僕も彼らの処分を検討していた。
無能な指揮官を選抜し現場に送ったあなた達の責任は有罪。
この手の吊し上げとミセシメによる責任転嫁は感心しません…それは一番僕の嫌うところ、よって有罪。
己れの無能を認識せず、他者を裁く椅子に座っているとは勘違いも甚だしく、その無知と稚拙な傲慢さは、有罪。
有罪… 有罪… 有罪。
うんうん…有罪しか処分が出ないや。
情状酌量の余地なく、彼らは有罪です。
他者を裁く者は、裁かれる覚悟もあるはず。
他者の生命を軽んじる者は、自分の生命で贖え。
僕への処分を下す時が、僕が彼らを処分する時です。
さて、戦うかと、腹を括った時に、何故か死罪は回避され、僕に対しての断罪もナアナアになってしまいました…あれ?
そんなわけで南ギルドは、九死に一生を得て存続しましたが、噂では、自由な気風を持つ冒険者達から、ソッポを向かれて閉店休業の有り様となり、当時のお歴々の殆どは引退するなどなされたとか。
…自業自得です。
無能が分不相応な地位にいるほど、傍迷惑なものはない。
以上の回想を終了し、ご老人の言う軍曹殿とは、概ね僕の事であろうと認めたので、…頷いてみた。
「おお…やはり、あの時の…姿形はより美しくなられましたが、その輝きは、あの時と一緒でございます。お懐かしゅうございます。ううっ…。その節は、我らダージリン一族を救けていただきありがとうございました。」
ご老人は、皆の前で僕に対して両膝を着き、土下座する勢いでお礼をして来た。
ひぇー、ぼ、僕、そんな他人様に、そんなにお礼を言われる程の人間じゃないよ。
慌てて、両の手の平を振って、止めるよう促した。
こんなお年寄りの方に、土下座のような様させられないよ。
しかも、ダージリンと言えば、失脚したとはいえ、本家は元五公の最高位の貴族であった一族です。
よく見るとご老人の装いも簡素で使い古されてるが、清潔で生地もよく、組み合わせのセンスも雅で、庶民と違うのが分かる。
そして、ご老人の背後には、一目で仲間と分かる人達が大勢いて、僕の一挙手一投足をジッと見つめている。
おそらくダージリン家の血族と配下の人達だろう。
獣耳を持つ品の良い亜人らも、結構な比率で混じっている。
そう言えば、ダージリンは獣耳の亜人好きの癖があるらしいと密かに有名だったよね。
まったく元お貴族様とその配下に見つめられ、恐縮してしまうが、彼らの目付きからは、貴族が平民に向ける無関心や軽視ではなく好意、崇敬、崇拝のようなものまで感じられる気がする…何故?
…
ん…まあ、確かに東方ギルドのファーちゃんとは一緒に仕事してから友達と言えるほど仲良いし、受付嬢のダージリンさんとは、洋菓子を食しに一緒に喫茶店に行くほど仲良く、面倒もみてもらっている…もしかして、それが伝わってるとか?
「ワシは、南の分家たるダージリン氏族の長老役を本家から仰せつかっておった者です。シナガ戦役の際、中央から避難されて来た本家のファーストお嬢様を敵性生物から庇って救けていただきありがとうございました。あの時、庇った際に怪我をされた…貫かれた左手はご無事でしょうか?不躾なお願いで申し訳ないが、貴女様の左手の甲を見せていただけないでしょうか?」
ご老人の言った内容に記憶がフレッシュバックした。
あの時、僕はスラム民の小さな女の子が10m大のムカデ型敵性生物に襲われ、先が小刀の鞭のような触手に貫かれようとしていたのを気がついて、庇うために咄嗟に伸ばした左手を貫かれてしまった。
痛みの記憶が黄泉がえり、今さらながら、あの時の子供がファーちゃんであったことに思い至った。
なるほど…東方ギルドで会った時、最初からファーちゃんの僕に対する好感度が高いわけです。
その後、もちろん、僕は触手に左手の平を貫かれたまま、手を握り振って、剣先の行く末をずらしてから、その触手を右手の刀で切り飛ばし、その子を護りきった。
うんうん…そうでしたか…なるほど…謎は全て解けました。
その後、僕の左手は治ったけど、実は治すのが遅かったせいか、薄っすらと手の甲に、今でも傷が付いているのだ。
恥ずかしいので…普段あまり人には見せたくないのだけれども、見た目僕よりも年長のご老人に、事情を説明され、僕の傷を心配し、両膝を着いてまで懇願されては、否応もありません。
…
僕は、左手を静々とご老人に差し出した。
僕の左手の甲の薄っすらと残る十文字の傷が見えるようにして。
その傷を見た、ご老人の顔色が変わり、喉元から驚きの息が鳴った。
ワナワナと手脚や身体まで細かく震えて、眼はめいいっぱい開けて飛び出さんばかりに、僕の傷を凝視している。
や、そんな、驚くほど大層なものじゃないから。
そんなに心配しないでください。
手の機能は、問題ないし、ほんの少し色が違うだけだから、そんなに気にしなくていいから…。
ご老人の驚きように、僕が驚いちゃうよ。
「十字架じゃ…。聖紋で間違いない。皆の衆、ここにおわすのは救世主様じゃ。古き言い伝えは本当であった。このワシがお目にかかれるとは…!…黄昏れの姫巫女様、この場にて、ワシらダージリン一族の永遠の忠誠を誓いまする。」
ご老人は、僕の理解しかねることを興奮したように、老人とは思えぬ大音声でがなりたてると、僕に対して突如、額を地面に擦り付け平伏した。
え?え!えー!
ご老人の後ろに控えていた、南の分家らしいダージリン一族とその配下の皆さんも、倣って平伏する。
え?何?…十字架?聖紋?何それ?
自分の左手の甲の傷を、あらためて見る。
確かに…交差した縦の線の傷の先が長く、十字架に見えないことはない。
だから、…何?
訳が分からず、誰か事情を説明できる人に助けを求め、辺りを見渡す。
概ね、皆、僕と同じく事情が分からぬ顔をしてるが、ギャルさんがキャン殿下の横で、訳知り顔にウンウン首肯いてるけど、あれ、絶対分かってないよね。
アンネは、さも当然といった顔してるけど…以下同文。
平伏する皆さんの端に、一緒に避難して来た騎士のオジサンまで、混じって平伏して混沌に拍車を掛けている。
…こうなったら、もう当事者達に聞くしかない。