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アールグレイの日常  作者: さくら
アールグレイの救出
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幽囚の人

 私は、アカハネ領に幽閉されている、かつては子爵位を賜る予定であった…今では唯の一罪人に過ぎない。




 飽食とも言える美食も、あらゆる音色を奏でる音楽も、美辞麗句を並べたてる観劇も、もう…飽きた。


 学識も技能、技術、技芸…それらは簡単なロジックで解決できるようにみえた…解き方の分かっているパズルほど、やる気の出ないものはない…殊更に先が見えているのに敢えてやるのは苦痛であり…無駄なこと。

 唯一武術だけは多少の興味が惹かれてが、周知の全ての武術の技を抽象化して、新たな技に具象化したところで、容易く誰に対しても勝てることに気づき興味が薄れていった。



 自分より、優れたるものを持つものは一部にはいた。

 しかし、それも慰めにはならなかった。

 直ぐに見切り真似ることが出来てしまった。


 …なんて、つまらない。


 産まれ出でて、アカハネで10年過ごし、天才と言われ、周りから持て囃されたが、そんなことはどうでもよかった。

 同い年の異母弟が私を妬んでいたのは知っていたが、それこそどうでもよかった。

 何でもやり、何でもできた。


 それから月日が流れて…






 …






 成人した時、私は立派な廃人と化していた。

 

 この世の全てが下らぬことに見え、全てに対してやる気が湧かない。

 私は思う…おそらく生物が生きていく為には、何らかの抵抗が必要なのだろう。

 私には、それが無かった。

 生物には致命的欠陥。


 やがて、私は何もせず、無為に過ごすようになった。


 何もせぬまま、思考試作による万里万象の理の検証を頭中で戯れに流しているが、全てが暇つぶしに過ぎない。

 異母弟が下らぬ計り事を目論んでいることなどは、とうに知ってはいたが、放っておいた。

 下劣で下策…指の一本も動かす気になれなかった。


 …


 そして私は異母弟の策に嵌り、抗弁もせぬまま、子爵家の不名誉にも、婦女暴行、横領の犯人となった。

 もっとも婦女暴行は異母弟の指図による演技式だし、横領したのは異母弟自身である。

 その計り事は、領主に訴えて調べられたら直ぐにバレる杜撰なもの。

 だから、狂人を建前にして、私は、この城に幽閉されてしまったのだ。

 今頃、全てが思惑通りにいき、異母弟はほくそ笑んでいることだろう。

 だが、それさえも私には、どうでも良いことなのだ…。


 今では食欲も失せて、機械のように何の感動もなく3食を口に入れているだけ。


 …だがふと、思うことがある。

 もしも、私と同等のものがいるとしたら、私はどうなっていたのだろう?

 …たまに夢を見ることもある。

 私が対等の友人と談笑しているのだ…経験せぬ、だが懐かしさを覚える風景。

 はは…あり得ない。

 …埒もない考えだ。

 もはや私の心が動くことはない。

 やがて私は、食べることを止め、考えることも止めた。




 …




 …気づいたときには、留置場の中央で坊主が能書きを垂れている光景を目にしていた。


 …最後に見る光景が坊主が能書き垂れている姿とは…少し笑えた。

 神がいるとしたら、冗談が好きなのもかもしれない。

 私は、溜め息を吐くと、その能書きにしばし耳を傾けた。


 …大柄の坊主が、抑揚に飛んだ野太い声で、今まで食べた美食について、感想と解説している。

 なるほど…目に浮かび舌に覚えるほどの情景描写は秀逸で、まるで自分が食べているかのように感じる。

 だが、それすら私は既に食べた事があるから、目新しいものではないし、…とうに食べ飽きている。

 …坊主の大声に一瞬意識が覚醒仕掛けたが、無駄な覚醒であったな。


 私は再び意識が沈み込み始めるのを感じた。

 このまま、沈めば意識は二度と浮上することなく、世界の底で眠りにつくか、分散して世界と混じり無くなることだろう。

 …それも悪くはない。


 だが、それに一度(ひとたび)待ったが掛かった。

 

 坊主がさるギルド員が作ったものを食した語りで、意識が興味を惹かれた。

 素朴でありきたり…だが懐かしい…突如、空腹を覚えた。

 坊主が語るギルド員の描写が舐めるようにやたらと詳しい。

 そのギルド員は、どうやら女性のようだ。

 …名前は、アールグレイ少尉というのか。

 坊主が語る執拗なほどの微にいり細に渡るアールグレイ少尉の描写は、豊穣たる大地に天から舞い降りた天使か、自然界から遣わされた精霊のように見目麗しい…本当にこのような人間など存在するのか?!

 坊主の細かい、アールグレイ少尉の心理まで含めた描写により、完全にそのイメージを面前に想い浮かべることができた。

 肩まで伸びた漆黒の黒髪に、凛々しくも慈愛に満ちた瞳と笑顔、麗しい唇、涼しげな首元の下に柔らかそうな美しい胸元、細いくびれに桃のような腰下とスラリと伸びた脚、美しい曲線が見目麗しく、芳しい香りが匂い立ち、こちらまで流れてくるような…。

 彼女に思いを馳せると…なにやら甘酸っぱいような身を縮ませるような恥ずかしい思いと同時に、束縛のない大いなる自由と大空に放り出されたような無窮の世界の広がりを感じた。

 …何だ?これは!

 こんな感覚は知らない…初めての私の核をふるわすような情動である。


 …食べたい。


 初めて飢えを覚えた…辛抱堪らない。

 会いたい…彼女に会って味わいたい。

 制動出来ないような情動がくるおしい。

 

 …だが、悪くはない。


 初めて覚えるわけがわからない情動に飢えながら分析を試みるが、解答は出なかった。

 これは、話しだけでは絶対解答に至らない。

 新たな情報が必要だ。

 もはや…会ってみるしかない。


 いや、私自身が会うことを欲しているのだ。


 そう気づくと、世界が、灰色からカラーとなり、耳に坊主の声や周りの騒めきが鮮明に聴こえるようになった。

 初めて、世界にダイブしたかのように新鮮さを覚えた。


 ああ…私は、今、初めてこの世界に産まれて来たのだ。

 感動にふるえ、次なる衝動をおぼえた。


 …会いにいく。

 私の片割れに会いに行くのだ。


 …今は、それしか念頭にない。

 初めて感じた私の餓えを満足させるには、それしかないのだ。

 




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