その頃のクラッシュ(後編)
衛士の青年は、我輩の望み通り、ステーキを焼いて持って来た。
焼き立てであるから、鉄板からジュウジュウ肉が焼ける音がし、ソースが気化して腹を刺激する匂いが留置場に漂い、嗅ぎつけた他の留置人から怨嗟の声が響き渡る。
…
ナイフで切り分けてフォークで刺して口に頬張る。
!…うん、美味し!
我輩を羨む怨嗟の声をBGMに聴きながら、食べるステーキの味はスペシャルグレート。
我輩は、留置人のあなた達とは違うのです。
勝手に手と口が自動で動いて、気がついたら鉄板の上には何も無くなっていた。
ジッと空になった鉄板を見る。
不思議だ…もうない。
…
一抹の寂しさを覚え、食べていた記憶を反芻する。
熱々の牛肉を口中に頬張った記憶の中の美味さが爆けた。
…美味かった…実に。
我輩は、美食には多少うるさいと自負している。
今まであらゆる境遇の中で、数多の料理と出会いその味を堪能して来た。
その中でもTOP10にランキングする程の強烈な美味さじゃわい。
まず匂いで引きつけ、一口食べた時の突き抜けた味の爆発が堪らない。
しかも食べれば食べるほどに玄妙な味わいが噛みしだいた肉から染み出してくる。
アールグレイ少尉の素朴で一息つける心が満足するような料理とはまさに対極…甲乙つけ難し。
うむ、この青年には料理の才能があると確信した。
一般人とは違う微妙な味の差異が、ステーキ全体の味をワンランクもツーランクも上げている。
料理の道を志せば、きっと名のある料理人になるに違いない。
むう…この内なる感動を誰かしらに聞いて欲しい。
しかも、大勢の者達に…。
興が乗った我輩は、出入り口に掛かっている錠前を、内側から手を伸ばしておもむろに握り潰した。
手を開きて錠前をその場に落とすと、床に落ちた音が場内に響き渡った。
金属格子の扉を開くとギギッと高い金属音がうるさい。
身体をかがめて房内を出ると、青年がヒッと悲鳴じみた声を上げ後ずさる。
む…失敬な。
勘違いするなし。
我輩は、ただ此処にいる留置人達に、今までに食べた美食を、如何に美味しかったか…その感動を話したいだけ。
…
我輩は、留置場内の中央まで来ると、熱意を込めて朗々と歌うように感動した料理の美味しさを話し出した。
…
此処にいる留置人達は、貴族でありながら罪を犯し、高貴な身分故、死罪を免れたものの懲役100年越えの一生外に出れない世間から隔離されたもの達ばかり…せめて我輩の美食の解説を聴いて、その胃袋を慰めて欲しいのだ。
これぞ御仏の慈悲である。
因みに、アカハネ領には超古代に存在した刑務所なる施設は存在しない。
刑罰は、即時に執行されるから、一時的に留め置く留置場しか存在しないのだ。
ここにいる留置人達は、あくまでも特例扱いの隔離措置の者どもである。
我輩は、死んだ目をした留置人達に対して、微に入り細に入り、どの様な味でどの様に美味かったのか、食材から料理人まで、せめて食べれずとも想像できるように声色と演技力を駆使して、その美味さを再現できるよう説明した。
…
ついでに、料理人の解説時には、アールグレイ少尉の可愛いさとプロポーションの素晴らしさと、それに勝る内面の美しさも吹聴しておく。
…サービスである。
…
…我輩の話しが佳境に入った頃、静まり返っていたあらゆる房内から怒号と悲鳴が聞こえた。
「やめろー!テメーこのヤロー!」
「止めてくれ…俺たちは一生此処から出れないんだぞ。」
「ふざけんな、どういうつもりだ!」
「チクショー、こんな思いしてこれからどう生きていけばいいんだー?!」
怒り声と泣き声が錯綜し、房内で崩れ落ち泣き出すもの、怒って鉄格子に頭を打ちつけるものと、まさに場内は感動の嵐であった。
うむ…我輩の熱き思いが罪人達の心をうったのか。
清々しい風が胸を吹き抜けるようである。
彼らは今は、感動に興奮しているが、落ち着けば、きっと我輩に感謝するであろう。
だが、感謝はいらない。
これぞ、御仏の慈悲であるからに。
良いことをすると、気持ちが良いのう。
ー・ー
その様子を見ていた若い衛士が、壁際に青ざめた顔で佇んでいた。
「怖しい…なんて人だ…まるで自然体の言葉だけで罪人達に拷問を科すとは。ギャル先輩はこんな人の処に…。救わなければ…先輩を!」