雪風大戦・裏(前編)
私の名はシルバー・ギーツ。
ニルギリ家のフラウお嬢様の執事についている者だ。
今から、私が会ったある娘について話そうと思う。
その娘と、初めて会った時、何やら懐かしさを覚えた。
会うのは初めてなのは確かだ。
この様に美しい娘と邂逅しているならば、絶対覚えていると断言出来る。
何よりも今の主人たるフラウお嬢様よりも美しい娘と会った事はないから尚更だ。
その娘は、私がほんの数分目を離した隙に、お嬢様がチンピラに絡まれ危うく連れさらわれる窮地を救けてくれた。
フラウに紹介されて、その者を見る。
冒険者ギルドがトビラ都市と提携して主催している都市清掃の白子の格好をしていた。
背番号は15番である。
白子は、薄給から、ほぼボランティアに近い作業であることは知っていた。
未だ能力の高くない学生又は力なき者、都市内を自ら浄化したい志しのある者が引き受けている。
目前の私に見られて後退りしている小柄な白子装束の者は、性別年齢不詳だが…私の眼ならば透視することが可能だ。
この能力は、普段は女性に対しては使わないが、くぐもった声と外見の白子装束からでは、若い女性ぐらいとしか分からない。
更に名前も名乗らぬ正体不明では、お嬢様に近づく不埒な輩と区別が付かない。
…場合によっては処する事にしよう。
凝視して透過を発動させると、驚くほどに造作の整った子娘であることが分かった。
例えれば、まるで春の桜の妖精のような可愛いさと可憐さを持ち合わせてるのに、妙に人間くさい悪戯っ子のような意志を笑顔に乗せていた…ああ、この顔は、懐かしさを覚えて、しばし考え込む。だがほどなく分かった。
…ニルギリに似ている。
顔の造作は全然違うのに笑顔の表情が若い時のニルギリを彷彿とさせた。
可愛いのに…ニルギリのような愛嬌のある物怖じしない不敵な面構えが重なって見えた。
身体の方は、小さいながらも満遍なく鍛えられた女性らしく起伏のある身体つきで…私は途中から目を逸らした。
…
いやいや、些か後ろめたい気分だが全部は見ていない。
私の透視できる眼で凝視しても、薄っすらとしか分からなかったのだ。
これは、彼女の胸元にある水晶のペンダントから発せられている高周波のような白い波が見るのを邪魔している。
せいぜいが薄っすらと下着の形が想像できる程度だった。
貴族の女性が身に付ける透視防止機能が付いた装飾品を持っているところをみるに、貴族の子息が修行の為、ギルド員として働いているのかもしれない。
稀有な例だが、無い事はない…ギルドにて修行を積むなど貴族にしては実に感心なことだ。
…私は警戒を解いた。
なにより警戒心旺盛なのに気まぐれなお嬢様が、この短時間で、すっかり警戒を解いて彼女と気安く話している。
彼女は、この後、名も名乗らずに颯爽と風のように去っていった。
高位の貴族と誼を通じる良い機会をアッサリと捨てていく態度に涼風に吹かれたかのような心地良さを感じると同時に、袖にされた気持ちが自分の傲慢さを気付かされてショックを受けた。
…知らず知らずのうちに私程度の人間が傲慢になっていたらしい。
お嬢様も、これにはショックを受けたらしく、御礼をしたいから必ず調べて頂戴!と頑なに厳命を受けてしまった。
調べるのは得意ではないので、ニルギリ家の諜報機関に、白子の15番の正体を調べるように丸投げした。
…
程なく、その正体は割れた。
お嬢様を救けた少女の名は、アルフィン・アルファルファ・アール・グレイ少尉、18歳。驚くべきことに、その歳で叩き上げの平民のギルド将校であった。
何故に将校が都市清掃の仕事を請け負っていたのか不明だが、相当、優秀で強く…そして変わり種の天邪鬼らしい。
更にシナガ防衛戦でニルギリ家長子たるドリューを天空まで飛ばすほどにぶん殴った張本人だった…。
だがあれは、…ドリューが悪い。
軍の前線本部で、相当散々好き勝手したらしい。
周りも悪かった…追従して止める者がいなかった。
そのせいで前線が崩壊…もしあの少女が止めなかったらドリューは、依頼失敗の責任を取らされて降格からの不名誉な引責辞任に追い込まれていたかもしれない。
ある意味、あの少女はドリューを救ってくれたのだ。
なのにニルギリ側は、少女を死刑にと求刑した。
結果として恩を仇で返してしまったが、ニルギリの現当主がこれを察知し、他のギルド支部への左遷と降格で落ち着いた。
もし、察知するのが遅かったならば、取り返しがつかない事態になっていたかもしれない。
ニルギリの長子も少女も窮地を脱したが、この事案のニルギリの采配の失敗は尾を引き…結局はニルギリ家の事実上の勢力下にあった冒険者ギルドの迦楼羅支部を潰してしまった。
少し頭が痛い…お嬢様に何て報告すればよかろうか?
フラウは聡い…そして見た目とは裏腹に気性が激しい。
生半可な説明では納得しないだろう。
…
金星の司令官を、一下士官がぶん殴って指揮権を強奪するなど、通常ならば考えられないこと。
だがあの少女と対面して…初めて分かった。
もしそれをあの少女がやらなかったら、どうなっていたのだろう…?
…たどらなかった可能性に思い至り、被害の甚大さを想像すると流石に私でも心晴れやかと言うわけにもいかない。
一目見て、さもあらんと納得はしたが、理屈では説明出来ていない。
そこで彼女の正体…その特性・特徴を考えてみた。
…
…
考えて久々に脳細胞を働かせた末に私は結論を出した。
…あの少女は、風と形容される冒険者達の象徴…なのだ。
だから、誰もが階級関係なく冒険者達は彼女に従った。
それは、通常の軍隊ではありえない事態だが、冒険者達の中ではそれが正しいとされ…支持された。
その象徴にニルギリは敵対したのだ。
…だから迦楼羅ギルドは潰れた。
彼女自身は、多少強さが際立つただの少女に過ぎない。
だがそれも今では疑問符がつくが…。
シナガ防衛戦以降、彼女の背後には、潜在的な支持者達が付いている。
ギルドではなく、冒険者一人一人各々が彼女を支持するだろう。
冒険者らは信心深い…自分らの信条を体現した彼女を信仰の対象とさえするかもしれない。
彼女は、何ものにも縛られない自由を象徴する風の御子だから。
冒険者の数の総数はトビラ都市内で一万人を越えている。
しかもただの一万人ではない。
軍隊や騎士団に匹敵するほどの武装集団一万人である。
それが彼女の潜在的な支持母体である。
これはニルギリと言えども蔑ろには出来ない数である。
社会的地位だけで判断すると、決断を誤る可能性がある。
あらゆる経験を踏み、様々な考え方に思い至ったつもりだったが、個の影響力の可能性に、この歳で気付かされるとは…。
彼女は…ニルギリに取って決して敵対して良い相手ではない。
そんな相手と二度目の邂逅を果たすのは、ドリューの護衛としてサンシャに訪れた時であった。