雪風大戦(中編)
前方から冷気が圧力となって吹きつけてくる。
…
さ、寒い。
これは、執事さんの内から出ずる気力が、現実に作用して冷気の風になってるに他ならない。
ここで、僕は漸く執事さんの正体に気がついた。
トビラ都市の最強トップ10は、表最強10本指と称されているのをご存知であろうか?
その10人は、更に、悪魔の左手、神の右手と色分けされている。
その悪魔の左手人差し指に毎年ランクインされてるのが、黒服の執事を生業とする[冷徹者]その人です。
あまりの強さに、今まで無言で無手で首を捻る技しか観測されてないし、躊躇なく生命を摘むことから[死神]とも称せられている。
そして彼が現れる前兆は、周辺の温度が下がり、冷気が白い気流となり、足元を這ってくるらしい。
…
うんうん…まさに今の僕が体験している状態と同じ前兆です。
もはや冷気で寒いのか、実力差による死の恐怖で震えてるのかが分からない。
この恐ろしさは、[死神]と相対しなければ理解出来ないと思う。
何せ僕らの生死は、目前の執事さん次第なのだ。
だから僕だけの話しであれば、…とっくに[精霊の脚]を活用して逃げ出しています。
僕は逃げ足だけには自信があります。
チーター並みであると自負している。
今、僕の体調は、それほど悪くはない…普通の状態です。
…多分逃げ切れる。
もし僕が狙われているとすれば、根本的な解決にはならないでしょうけど…人はいつかは死にますから、其れ迄、逃げれば良いだけの話しです。
誤解無きように言いますが、僕は争そったり諍いを起こしたり、ましてや戦うなぞはしたくもない。
戦えば無傷と言うわけにはいかないし、戦えば戦うほど生存確率は下がります。
お師匠様は、僕の持論に異論あり、戦えば戦うほどに強くなりて生き残れると言っていたけど…。
とにかく僕は戦いたくないから…基本僕の戦略戦術は、戦わない共存共栄が主流で、戦うと負ける相手とは戦わないのが原則です。
たから不本意な現状には溜め息の一つも出したくもなるけれど、今は切迫して、それどころではない。
…見たくはないけど、チラッと前を見る。
ひぇあ…
執事さんが引き締めてた唇の隙間から冷気の蒸気を吹き出し、暗く落ち窪んだ眼窩からは、眼光が赤い光りとなりてレーザーの様に周りを照らしているように見えるよ。
正直言って、怖い。
でも…もし僕が一人で逃げ出したらば、ここに居る者はは、一人残らず皆殺しでしょう。
…皆の、これまでの人生を思う。
…
…もし、今日彼らがこの世から突然に居なくなったら御家族の悲しみはいかばかりでありましょうか?
…今…彼らの人生が途切れようとしている。
ぬぬ…何故…今…僕は、此処にいるのであるか?
神の采配を恨んでしまう…不敬だ…。
…
…迷ったけど、結局、僕は戦うのを選んだ。
背に腹は変えられぬ。
考える。
いくら執事さんが強いといっても現実に存在してる以上は物理法則からは逃れられまい。
事、此処に至っては、やられる前にやるしかありません。
甚だ不本意ながら戦術を組む。
僕の制空圏に入ったら、橘流合気術[浮舟]か[燕返し]を炸裂させて転がし、近距離からの長モノで、全員の総力で袋叩きの刑です。
…卑怯とは思わない。
勝負を付けなければならないとしたら、卑怯程度は上等です。
…なにより[死神]とは実力差が違い過ぎますから。
世の中とは、平等ではない。
貧弱な僕の身体も、センスの無さも勝負には関係無いのです。
だから、僕らが生き残るに手段は躊躇はしない。
もちろん、出来てもやってはならない手段もあるが、それは個人の節度の問題であろう。
瞬時に、覚悟を決め基本戦術を組んだ。
さあ、あとは待つだけ…。
…ドキドキ。
…ところが、執事さんは、僕の段取り通りに従わず、制空圏直前でピタリと歩みを止めた。
んん…!
瞬間、ドキリとするが、執事さんは又歩み始める。
ホッとする僕の目前で、執事さんの靴が床面ごと凍った。
…!
…眼を見張る。
これでは、技を出せない。
執事さんが一歩足を出す度にバリバリと氷が割れる音がして、着面する前から氷の蔦が、執事さんの靴へと伸びる。
まるで、氷の靴を履いているよう。
…やられました。
為す前から、封ぜられた。
初戦なのに、察する力と解答を導き出す思考力が半端ではない。
おそろしさ…倍増です。
下着の中まで見られたような洞察力に恐れ入ります。
ただ武力が強いだけでない[冷徹者]の強さの一端を垣間見ました。
し、しかし、ど、ど、ど、どうしましょう?!
思考が頭の中でグルグル回り、目がまわりそうです。
周囲の建物からは、ドンとかパリンとか聞こえてきて、微細な振動は続いており、時々、壁の表面が剥離して、落ちた音が聴こえてくる。
砂のような埃が、天井からパラパラと落ちてきているのが目視できる。
建物の崩壊も、切迫しております。
…時間がない。
寒い…心の中まで寒くて凍りそうです。
そ、そうだ!
ならば、凍るのならば…溶かすまでの話し…。
僕は、体内に眠る炎のエレメンタルを瞬時に活性化させて、前方に輻射熱を向ける。
途端に[冷徹者]の歩みが止まった。
冷気と炎の熱気が、僕と[冷徹者]との間の一線で拮抗している。
負けられません…直接戦えば、必ず負けまする。
ここで退くわけにはいかない。
僕は、此処が勝負処であると心得る…後はない。
退いたら、負けたら、蹂躙されるだけ…。
この世界には人権など無いし、どんな御立派なご高説も勝者には通用しない。
それは負け犬の遠吠えに等しい。
口舌を滑らかにするよりも、無様でも一刺ししてダメージを与えたほうが、次に繋がる。
ぶつかりあった冷気の風と熱風は、サンシャの広い空間に対流を作り出し、周囲はタイフーンの様相を呈していた。