非戦闘④
ニルギリ様と称された若い貴族の男の服装センスも酷いが、あの中年太りの騎士の願望通りに事態が推移していく状況も酷い。
まるで、それが超古代に横行した権利のように、立板に水の如くスムーズに遂行されている。
このままでは、あの少女は打首である。
普通に、淡々と騎士の思う通りになる気持ちの悪い展開を見るにつけ、学生時代に習った超古代に横行した権利が思い浮かんだ。
…
因みに権利とは、超古代に発明された、自己欲望を他者へ強制するのに正当化できる概念であると教師から習った。
だとすると、今のような状況のことを言うのか?
さしずめ仮に名付けるとしたら、斬り捨て御免権である。
…効力を考えると、とんでもない概念だ。
これは、まるで常時発動型の呪いに近い。
だが現代では、その権利の概念は廃止されたはず。
いや、廃止と言うより、文明崩壊後の激動の時代を生き残れなかったと言った方が正解に近い…厳しい生活環境の現実に負けて消えてしまったのだ。
もし権利を認めていたら人類は滅亡していただろう。
今では、権利に代わり、[その都度の相互の尊重を維持する努力を怠らない務め]を都市民に課しているだけである。
超古代の権利は自動的に付与されていたらしいが、現代の[〜務め]とは、自分が普段から努力し培った実力で、その都度、争いを自分の力で解決し、決着後は、禍根を残さず、殲滅はしない努力を怠らず、それを維持していくことなのだ。
つまり産まれながらにして与えられるものでなく、そのつど自己の努力で勝ち取っていくものなのだ…そしてその責任は全部自分である。
…当たり前だ。
一見して厳しく面倒なようだが、力の濫用はされず、争いは未然に解決する事態がほとんどだ。
誰にも頼ることなく全部自己責任だからお互い面倒事は回避したいのが心情であろう。
利益なき無駄な労力は、省かれるのだ。
但し、貴族だけは敵を容赦なく損得関係なく殲滅する…貴族が畏れられる由縁だ。
一般人の過度な抗争は、貴族格の有力者や準じる者が出張って手打ちにしているから、抗争で人口が減ることは、めったにない。
…つい思い浮かんだ超古代時代の権利について説明してしまったが、目前のこの状況は、ヤバい!
あの美少女の生命は、いまや風前の灯火である。
アワワワ…だが、もしも辺境伯の次子を見殺しにしたら、ワシの生命も風の前の塵に同じである。
しかし、救けに行っても瞬時に、この世とお別れであろう。
正直言って、戦う以前に戦力バランスが釣り合っていない。
…詰んだ。
白礼服の騎士の男の考え方も剣呑だが、一番剣呑なのは、今尚冷気がダダ漏れしているあの執事だ。
あの執事に逆らったりしたら殲滅されて終わりだ。
このとき、側から思念の声がした。
(…来ます。時空が世界が重なります。…備えて下さい。)
大らかで可愛いらしい声のベル氏だが、今回の思念には緊張感をはらませている。
しかし、いったい世界が重なるとはナンジャイ?
そんな疑問が頭をよぎったと同時に、柱の向こう側からサラリーマン風の男が、早足でコチラに来るのが見えた。
…ギョッとした。
スーツがシワシワのヨレヨレで、随分とくたびれた感じのワシと同じくらいの年齢の男だ。
どうやら夜勤明けで避難のギリギリまで働いていたらしい。…その手には大切そうに紙袋を持っている。
誘導している光り玉も、くたびれたように上下左右にとヨロついて飛んでいた。
ま、マズイぞ!
こんな緊迫したタイミングで来るとは、なんて間の悪い運のない男だ…このまま来ると多分巻き添えを食っちまう。
ダダ漏れしている冷気の流れに何故気が付かんのか?!
白礼服の騎士の男が、ニルギリ貴族の若い男を見て、何か言いかけたところで、それは来た。
ドーーン!と世界が縦に揺れた気がした…景色がブレて空間に衝撃が走った気がした。
地震か?!いや違う。こ、れ、は、世界自体が揺れて軋んでいるのだ。
ワシ如きが考えられない程の質量がぶつかり合っている?のかー!
せめて、小さなベル氏を守ろうと抱き締めて覆い被さる。
その瞬間、花火が咲くような光りの乱流が、空間一面に展開し、爆発音に似た乱雑な音の奔流が無限に思える時間を通り過ぎた…。
…
…
…
暫くすると大きな揺れは収まったが微振動は、まだ続いていた…。
懐の中で、モゾモゾと柔くて小さいものが動いている感触がして、ベル氏を抱き締めてしまっていたことに気がついた。
あ…非常時だったとはいえ、こりゃマズイわい。
いや、まだ子供だからセーフ??
女の子の良い匂いと柔らかい感触が心地良い。
(…ありがとう。…でも、…もう、大丈夫ですから…。)
恥ずかしそうな途切れ途切れの小さな思念波が届いたことから、パッと腕を離した。
ベル氏は、膝を着いて俯いている。
僅かに震えているようだ。
無理もない…大人びているが、まだ子供だ、相当怖かったのだろう。
だが、怪我は無いみたいで良かった…。
だが、次にワシの眼に映ったのは、壁が崩れて、いままさに、尻もちを着いたサラリーマン風の男の上に落ちんとする光景であった。




