非戦闘
「オペレーションGとは、避難訓練にかこつけた本当の避難を実施することです。私専権の管理者権限により発動された自主的な避難は、普段の訓練通りならば、約30分で、およそ6000人の居住者及び通勤者の避難を完了できます。」
外見では、未だお子様の域を出ない少女が、ゆったりとした物言いでのたまう。
この子が言うと、大変な内容なのに、日常のルーティンの一部のようだ。
もちろん唯の少女ではない。
力の片鱗が、漏れ出て光り輝いている。
実に神々しい身姿で、今では只者でないことが丸わかりじゃ。
ワシの名前は、アリ。
アリ・ロッポと言う。
今、目前で優雅にのたまうサンシャ伯爵たるハロウィン・ティンカー・ベル氏の非破壊検査の依頼を受けて、今まさに仕事中の者である。
ベル氏の宣言により、辺りは様相を一変させている。
一番の変化は、先程から、何やら光り輝く玉のようなものが、辺りを漂っていることだ。
しかもこの光り玉は、動き方が無機物の風に流される動きではなく、意志あるような不規則な動き方をしている。
ワシの光り玉を追う目線に、ワシが全く理解していないことに説明の必要を覚えたのか、落ち着いた眠そうな目元はそのままに、ベル氏の口元がクスリと微かに笑い解説してくれた。
「アレは、小妖精です。私が現世と隣り合っている精霊世界との扉を開いたので、自然と現れたのです。普段は見えませんが精霊エネルギーが高密度になっているので、普通の人でも光り輝く玉として見えるはずです。」
うむむ…これが小妖精なのか?
漂う光り玉の一つをジッと見つめていると、赤く明滅して、ポンッと額にぶつかって、去っていった。
な、なんじゃ、アレは?
ベル氏が、口元を扇子で隠しクスクス笑っている。
「そんなに見つめてはダメですよ。彼女達も殿方から、その様に情熱的に見つめられては恥ずかしいのでしょう。」
分けがわからんが…世の中そういうこともあるのだろう。
あの少女の少尉殿と遭遇して以来、日常とかけ離れた状況に、ワシはそうそう驚かなくなった。
これって…ワシ、成長してるんかいな?
無精髭を右手の掌で撫でながら、飛び回っている光り玉を見回す。
先程当たってきた光り玉がワシの周りを漂うようにゆっくりと回っている。
「一人に一玉付かさせました。古の盟約にしたがい彼女達が出口まで案内してくれるはずです。彼女らは二つの世界にまたがっているので、崩落に巻き込まれても支障はありません。」
ワシは、ティンカー・ベル氏に促されるように、滝の裏側から表の方へと、移動した。
ベル氏が指を振ると、流れが止まっていた滝が、又水を落とし始めた。
…まるで、魔法じゃな。
だが、コレは魔法ではない…魔力の揺らぎがまるで見当たらないからだ。
合図と段取りと仕組みがあまりにもスムーズだから魔法のように見えるだけ。
じゃが、ワシには、このほうがベル氏の組織力の一端を垣間見たようで心が慄く。
まるでどデカい氷山が隣りにあるのを嫌でも感じられるようで心が自然と畏まる。
いや…表現が適当ではないな。
そう、まるで世界樹の根元で、枝先を見上げてるような心持ちがする。
…ワシを含め数多の生き物の存在を許してくれる度量の広さを感じる。
大いなる存在に畏まるが怖くはない。
…だがその実態は、未だ小さい少女だ。
マジマジと見てるとベル氏から、分けの分からぬ注意を受ける。
「その様に見られると恥ずかしいですわ。…いけませんわ。浮気はいけませんことよ。…歳の差も数百年ありますし。」
首をイヤイヤするように微かに振る少女の頬が薄っすらと紅くなっている。
さっきから光り玉がポンポン当たって来るし、鬱陶しいことこの上ない…痛くはないけど。
…
辺りを見渡すと、人々に急いでいる様子はない。
変わらぬ日常の光景に見える。
だが、確実に人員が潮が引くように確実に減っている。
何処からともなく現れた店員がお客に一言二言話しかけて、速やかに誘導して消えていく。
慌てる者達は一人としていない。
…見事なり!
これほど整然とした避難誘導は見た事がない。
ありゃ?
…だが中央のカフェテラスの方から人の怒鳴り声がした。
…トラブルか?
思わず眉を顰める。
ワシ自身は、ギルドのレッドに間違いないが、技能系なので戦う力はない。ゴツい身体とは裏腹に戦いが嫌いな臆病者じゃ。
今更じゃが、こんなときには何の役には立たない。
関係無ければ、ソソクサと立ち去るだけじゃい。
…
だが、今回は…隣りの少女からジッと見上げられた。
…何も言ってくれない。
首を動かさずに目だけで見ると、静かな澄んだ瞳で見つめ返されていることが分かった。
無言の圧力とは思えぬ心持ちに心臓がドクンと脈打った。
自然と嫌な汗が吹き出して来るようじゃ。
心の空に…宇宙の運行が垣間見え、無限の時間が流れた気がした。
…
…
あー。。。
「…い、行ってみましょうか?」
喉がひりつきながら、何とか声が出せた。
ベル氏は頷きながらも、こちらを、ずっと見ている。
まるで、ワシが率先して行くのを待っているように見える。
…いやぁ、ワシ、本当に、争い事は苦手なんだがなぁ。
…仕事で来ただけだし。
うんうん言いながら、断る言い訳が出て来ない。
渋々ながら、ワシはベル氏を連れて、大声が聞こえて来る方に歩き出した。
皆んなが皆んな強いわけではないし勇気があるわけではない。…だから逃げ出しても恥ではない。
…そんなこたぁ分かっている。
ワシは英雄ではない。
しかし、こんないたいけな少女をまさか一人で争いの場に行かせるわけにはいくまい…それがワシよりも実力が遥かに上の御仁だと分かっていてもだ。