希望
あれれ? …中央広場に近づきにつれ警鐘が鳴る感覚が大きくなって来る。
しかもこれは、異世界邂逅とは別種の危険です。
冷気が中央広場方向から吹きつけて来る。
背中の幸せの暖かさと相反する冷たさに顔面が強張りそうになる。
幻想の白い冷気が足元を流れていくのが目視出来るほど。
これ以上進むと五里霧中状態になりかねない。
…これは、ヤバし。
普段だったら絶対避けて通る危険度MAXの怪物が、この先前方にいますよ!
なるほど…コレですね、ダージリンさんが予見してた相手は。
いつの間にか、僕の歩みは早歩きから、止まりそうなくらいの歩みへと速さが落ちていた。
そのうちムーンウォークしてしまいそうだ。
これ以上先に進むのは気がすすまない。
種の生存本能に根差した思いは如何ともし難く、いっそのこと帰ろうかくらい思ってしまう。
…
…そんな誘惑にかられてしまうが、それは駄目。
何故なら、ダージリンさん筋の情報でも、キャン殿下がサンシャ行きのバスに乗っていた情報があるのだ。
この情報には裏付けが取れている。
偶然、バスに乗り合わせて怪異や蝙蝠男から救けてもらったバスの乗客の証言があるのだ。
サンシャの周りは、割と廃墟が点在し殺伐としているから、サンシャの建物の中の方が余程安全です。
悪人共も、自己の利益になる買い物客に見える客人を傷付けることはしないだろう。
キャン殿下は、聡い子だから、この時間ならば目的地が何処であれサンシャ内で逗留しているはず。
出入り口は、固めてあるからサンシャ内をしらみつぶしに探せば必ず見つかるはず。
…はずです。
全てが推測に過ぎない。
事実は小説より奇なり…かもしれない。
僕は、胸の中で渦を巻く不安に、つい立ち止まってしまった。
先を見れば、相変わらずドライアイスを水に入れたときに発生するような、白い冷気に見えるほどの脅威は中央から流れて来ている。
おそらく、僕はこの冷気を漏らしている持ち主には勝てない。
…抑えて、僅かに漏れ出てるのがコレなのだ。
どんな怪物か想像するに難くない。
しばし、佇んで考えていると、後ろに回した腕に軽く何かがトンと当たった。
「…やや、すいません。すいません。」
年配の男性の声がして、振り向くとサラリーマン風のおじさんが僕に頭を下げて謝っていた。
「…申し訳ない。寝不足で疲れてボーとしてしまいました。すいませんでした。」
随分とくたびれている40歳くらいのおじさんです。
…首元の皺が少ない…くたびれて見えるだけ?
30歳代に修正する。
どうやら前方不注意で、僕に追突したらしい。
あらら…殺気も戦闘力も現在の生命力さえも限り無く零に近くて気づきませんでした。
目の下にクマが出来ていて、シワシワのスーツに不精髭を生やしている。
出勤ではない…多分夜勤明け、帰るところだろう。
ワザとではないのは分かった…僕も通路の真ん中で立ち止まってたから瑕疵があります。
お互い様と言う事で、僕もルーシー君を背負いながら頭を下げて謝った。
「いいえ、僕も考え事していて立ち止まってしまいました。御免なさい。」
因みに、この現世にもサラリーマンはシッカリと存在していて、この世界を支えている。
そして彼らも最大多数の最大派閥の、僕と同じ庶民なのです。
ふと見ると紙袋が脇に落ちていたのに気づいたので、拾って渡して上げる。
「やや、これは申し訳ない。」
「それって、イヅツ屋の芋餡饅頭ですよね、今、美味しいって評判の和菓子ですよね。」
スイートポテト関係はペンペン様の大好物なので、ついつい初対面のおじさんに話し掛けてしまいました。
「いやはや、娘に頼まれましてね。サンシャに勤めてるんだったらついでに、買って来てって。人遣いが荒くて困ってます。…ははは。」
僕たちは、その後会釈してお互い別れた。
なんて事のない世間話しです。
…少し、今世の父さんを思い出してしまいました。
僅かの羨望と、緩んだ暖かい気持ちになる。
溜め息を一つ吐く。
…そうそう、気負っても仕方なし。
僕の目的は、殿下の救出と護衛であって、冷気の出し主に戦い勝つことでは、ございません。
勘違いしてはいけない…僕は弱い。…弱いのだ。
龍以上の力の持ち主などは、はなっから僕の戦闘対象外です。
だいたい日常でそんなのと戦っていたら生命がいくつあっても足りませんよ。
うん…冷気は見なかったことにする。
…関係無い、関係無い、多分、僕には関係無い。
呪文のように呟いてみる。
古来から日本には、言霊という考え方があって、言葉にも魂が宿るのだ。
うんうん、だいたい何故関係あると決めつけたのか。
もしあっても…スルーだ。
庶民の僕には関係無いだろう…多分。
それにさっきのおじさんも平気で中央広場方向に歩いていったし、大丈夫だろう。