鎧武者・裏(後編)
ワシが若い頃、武者修行の旅の際に知り得た恐るべき体術に、体当たりの技がある。
体当たり自体、地味な技だが、これほど威力のある技はない。
技の威力は、質量に比例する…だとすれば、体当たりほど威力のある技はない。
しかも、今目前で繰り広げられる体当たりは、既存の技とは一線を画するほどの秘技…。
記憶では…たしか、ここから神速でドーンと来た。
初見でかわすのは至難の技…だが幸いワシには驚愕に目を見開いたほどの鮮烈な記憶がある。
見知った体験も実力のうちじゃ。
その恐るべき威力が発揮される前に、ワシが[暴風]を斬ってくれるわ。
…
全ての事象には、何かしらの意味がある。
本来ならば、意味などないのかもしれないが、意味を見出す事ができるのが人の能力であると思う。
実際、役に立つのだから活用して然るべき。
…観察する。
僅かな動きの差異から、意味を見出す…[暴風]の内からウネリのような波の始まりが…そしてこれからの移動の軌跡があらかじめ…みえた。
よし!…[暴風]の動きは見切ったぞ。
ドクンと心臓が脈打った。
来る…
…と、思ったら姿が突然消えた。
あまりの速さに肉眼では追いつけないからと、察する。
だが、想定内である。
あらかじめ、その速さに合わせるように刀を振り下ろし始めている。
…これは避けられまい。
もし、避けたら人間技ではない。
[暴風]の神速の初速ゆえに途中で軌道は変えられない。
よって避けられない。
単純な物理法則によるワシの勝利じゃ。
だが、ここでワシの脳裏に笑顔の娘の顔が浮かんだ。
途端、剣筋に力が抜けた。
自分でも驚いた…どれだけワシの性根は甘いのか?!
とうに覚悟は決めたはずなのに…またしても。
これでは当たっても、頭蓋骨に阻まれ致命傷にはなり得ない。
もし、腕で頭を防御でもされたら、腕一本は切れるだろうが、彼奴は生き残るであろう。
だが悔しい思いとは裏腹に、何やらホッとしている自分がいることが情け無い。
これは勝負であるからには手加減無用である。
途中で手を抜くなどは、お互い遺恨を残す事になる。
着手したからには、キッチリと殺しきってやらねばならないのだ。
それが武士の覚悟であるというのにワシは…。
むう…齢50年を過ぎながら、まだまだワシも未熟である。
だが、ここで更に不測の事態が起こる。
異音が聞こえたのだ。
破裂音、爆音に近い音が炸裂した音であったと思う。
コンクリート製の床に足跡が二つ穿たれるのを見た。
次いで風が切り裂かれるような、或いは渦を巻くような心胆を縮こまらせるような異音の奔流が流れた。
な、なんだ、この音は?!
あらかじめ想定していた事態とは外れた、不可思議の不安な状況に意識が混乱する。
その全てが一瞬で行われたのだ。
気づいたら、[暴風]に懐に入られていた。
ワシの予測よりも、更に格段に速い!
…人の速さを超えている、悪鬼羅刹の類いか…?!
瞬時の刹那、互いの眼が合う。
…全身が総毛立った。
「へべれけーー!」
…当たった瞬間、訳の分からぬ叫びがワシの口から漏れ、全身の骨が易々諾々と砕け、筋肉が寸断され、内臓が振動で攪拌されたのを感じた。
ワシは文字通り彼方へ吹っ飛んだ。
体当たりが当たったと知覚出来たのは、宙を飛んだ後だ。
これほどの威力を直に受けたのは初めてだ。
そして、宙を飛んだのも初めてである。
周りの景色がスローモーションに映る。
不思議と怖くはなかった。
…手加減された。
そう、感じたからだ。
空中を飛びながら、ワシは考えた。
…なんて甘い人だ。
おそらく[暴風]…殿は、ワシが不本意ながら、手加減したのを悟り、咄嗟に打点をずらし力を抜いた…でなければワシが今、生きているはずかない。
正直、ワシ、当たった瞬間、死んだと思うた。
光りが見え、その向こうに今までの人生が垣間見えたし。
…
空中を飛びながら、ワシは泣いた…そして笑った…何とも言えない感情が湧き上がる。
甘い…甘過ぎますぞ。
この実力至上主義の世の中で、そんな甘い考えが通用するとでも思っているのですか?
ワシも大概、未だに勝負に甘さを捨てきれない未熟者であるが、ワシ以上な甘ちゃんがいるとは飛んだ驚きよ。
武士の情け…そんな言葉が浮かぶ。
[暴風]殿は、ワシの甘さを認め、相応に返してくれた。
為した礼儀故の、同じく礼儀で返された心地良さを感じた。
全身が砕けきって痛いのに、意識の底から湧き上がるこの感情は、歓喜であると悟った。
…見つけた。
とうとう見つけたのだ。
少年の夏の日、神から啓示を受けたワシの主君を。
心で感じ悟った。
このお方しかいない。
戦いに情を捨て切れなかったワシ以上の甘さを持ちながら、ワシよりも遥かに強いお人。
なんて事だ…世の中にこんなお方が居るとは。
…信じられん。
その存在に、ありのままのワシ自身が世界から認められた気がした。
しかし、まさか、こんな年若い少女が啓示の主君であるとは…考えもしなかったわい。
ワシが諸国を旅し探しても見つからんわけじゃ。
だって、ワシが若い頃は、この方は生まれてないからのう。
神様よ、一言ゆうてくれろや。
…
跳んだものは、やがて落ちる。
ワシの身体は、床に落ちてバウンドしてゴロゴロ転がった。
全身が満遍なくボロクズのようにズタズタのボロボロであるのが分かる。
内臓なぞ衝撃波で攪拌され、細胞レベルで殺られている。
口元から血汁が溢れ落ちる。
「ぐぁはらじゃ…。」
長い旅路の果てに、念願の主君に邂逅したのに、ここで死ぬるわけにはいかん…断じていかん。
「ガハッ…。」
魔法[聖なる息]を掛ける。
気力で全身を覆う。
更に、神気を無理矢理巡らせる。
異なる回復系の力…魔力、気力、神力の三重奏。
ワシが、旅路で身に付ける事が出来た回復系の多重奏は、トビラ都市でも最高レベルであると自負している。
細胞レベルで修復再生を始めた。
それでも身動きが出来るまでに、10分は掛かるじゃろ。
砕けた鎧は、形状記憶合金で出来ており、更に同系統の魔法を付与されていることから自動的に集まり元に戻りつつある。こちらも同じ位の時間が掛かる。
戦場では致命的な遅さだ。
だがワシには仲間が出来た。
仲間が敵を止めている間に、倒されても、倒されても、復活する事が可能である。
もっとも、もし[暴風]殿が、手加減しなければ、回復魔法の出番なく一撃でやられていたに違いないと、受けた一撃から、分かり申した。
…完敗じゃ。
武人としても、一個人としても格の違いを分からされたり、とにかく完敗じゃ。
だが、それが清々しい程に嬉しい。
身体は傷だらけなれど、心の空は晴れ渡り、ワシは天命を得たり。
…
だが孫ほどの歳の少女に、いきなり仕官したい旨を申し出ても引かれるだけじゃ。
これは、どうしたもんじゃのう…?