アリ・ロッポ建物の寿命を診る(後編)
トンカチで、今は止まっている噴水の後ろの壁を叩いてみる。
眼を瞑り、耳をそば立てる。
…
「どうですかな?ロッポ殿。」
立会人兼護衛の為、控えていた依頼人の代理人と思われるティンカー・ベル氏から、心配そうなお声が掛かる。
当人は依頼人のティンカー・ベルであると名乗っていたが、本件を依頼したハロウィン氏は[橙の精霊]一族の長であるとギルドから失礼無いように釘を刺されて分かっている。
だがまさか、長がこの様なお小さい子であるわけがない。
目の前にいるのは見た目12、3歳の儚げな可愛いらしい女の子だ。
橙色を基調としたカラフルなユッタリとした衣服を纏っていて実に可愛らしい。
これほど何種類も色を使うと派手になりがちなのに、本人と合わせると、優雅で気品さえ漂う。
着る人によって服の印象がかくも違うとは不思議じゃな。
もしワシが同じ衣装を纏っても派手で下品で変なオヤジにしか見られないはず。
だが、ベル氏が纏うと、幼い容姿ながらも生地の良質な衣装装束と気品溢れる立ち振る舞いの美しさから、権威ある一族の代表として立ち会っている事が分かる。
ならば、おそらく長のハロウィン氏の娘さんであるに違いない。
彼女は、依頼であるサンシャの建物の非破壊検査の為、待ち合わせであるサンシャの地下の出入り口付近に30分前に出向いたら、既に待っていて出迎いてくれていた。
依頼人が直接来ると聞いていたので若干戸惑ったものの、依頼人であるティンカー・ベルであると名乗ったので、依頼人のお身内であると認識した。
ちょっとした情報の錯誤は良くある話しだ。
彼女がサンシャをアチコチ案内してくれる間、遭遇したガラの悪い輩や集団が、ワシらが通り過ぎる間、頭を下げっぱなしで硬直してるので、小さな見た目に反して護衛の役に充分たっている。
だが、ワシだって外見だけで安易に人を判断する愚かさが身に染み入るほど分かっちょるので、ワシがベル氏を小さい見た目で侮ることはない。
おそらくベル氏の父上も実力者だが、娘のベル氏自身も悪党が平伏するほどの実力があるのだろう。
ワシが見た目で騙されることはない。
だがまさか今のアールグレイ少尉ほどではないだろう。
アールグレイ少尉がお小さいと、こんな感じかなと思えて、姫様にかしずくように対応している。
多分…この様な対応で間違いはないはず。
[橙の精霊]は一族の名を表すと同時に、一族の長を意味する。一説によるとサンシャが建てられた当初から住みつき管理していた一族とされている。
サンシャを代表する9人の頭目の中に、いつの時代も必ず在籍し、力量不明ながらもサンシャの5000年以上の歴史において、時代の都市王から伯爵の貴族位とサンシャを領地として贈られているほどの力と権威ある一族で、悪逆非道の集まりであるサンシャにおいて、一際異彩を放っている。
主に建物管理について掌握しており、サンシャの運営に口出しすることはめったにない。
要は、精霊と称されるほどの悠久の歴史ある高位に近い貴族であると言う事が、端末で少し調べただけで…分かった。
形式上ではサンシャを支配する領主の一族である。
彼女の衣装や立ち振る舞いから、案内されてる間、まさかと思い調べてみたらこの結果である。
ギルドめ、中途半端な情報で注意せず、全部最初から教えてくれよ。
もっともワシに注意してくれたギルド職員も、当たり前な情報は改めて言わないから、常識の範囲内と判断して言わなかったのかもしれんが。
お前さんには常識だが、ワシには非常識じゃ。
ふんっ、ワシをもっと侮ってもらわなけりゃ困るわい。
もしダージリンさんが担当ならば、きっと教えてくれた…。
ギルド職員も個々により能力と対応の差が激しく違うのう。
…
それにしても、ああ…何故、悪人の巣窟とまで言われるサンシャで伯爵位を持つほどの貴族と接しなければならないのか…?
不思議だ。
依頼人を生まれや出所で区別したことはないが、貴人に対して、無骨なワシが失礼しないか心配で余計な気遣いで妙に疲れるわい。
正直貴族とは、あまり相対したくはないなぁ…。
思えば、アールグレイ少尉と面して以来、貴族との遭遇確率が格段に跳ね上がっているような気がする。
何故じゃろう?
それまでは、ワシの人生、ロクデナシか人間のクズばかりが目についていたのに…何だか遠い処へ来てしまった気がする。
ああ…あの人間のクズどもが懐かしい。
あいつらなら余計な気遣いは、針の先ほどもしなくて良いからな。
…
「ロッポ殿、いかがなされましたか?」
考え込んでいる内にベル氏がいつの間にか直近まで近づいて来て、下からワシの顔を見上げているに気付きハッとして意識を元に戻す。
小さくて可愛らしい子が、心配そうにしているお顔を見るにつけ、より良い回答をしたいのが人情なれど…
うーん…。
長年の経験からの勘だけを根拠にしてるから断言は出来ないが、結論は芳しく無い。
…正直に言うと、直ぐに逃げ出したいほど。
サンシャの建物の寿命は既に尽きていると感じた。
よくもまあ、この状態で5000年の月日を良くも持ったと驚嘆する。
よっぽど補修、修繕、管理が良かったのだろう。
大切に使われているのが、反響した音から分かる。
だが、それももう限界。
…いつ崩れてもおかしく無い。
…て言うか、何故今だに形を保っているのが不思議なくらいだ。
…
…何て回答すれば良いのか分からない。
おそらく依頼人にとって最悪の回答。
どう回答すればよいのか?
ああ…上司がいれば、判断を棚上げできるのに…自営業だから自分で考えて答えを出すしかない。
悩んでるうちに、空調が効いてて快適なはずなのに嫌な汗が滴り落ちる。
思わず天を仰ぐ。
「客観的資料が無いので断定できんが…いつ崩れてもおかしくない状態じゃな。ワシならば即刻逃げ出しとる。」
散々悩んだ末、ありのまま感じた回答をそのままお伝えした。貴人に対する言葉遣いもグシャグシャじゃ。
ベル氏は今まで、小さいながら落ち着き払った顔つきだったが、ワシの言葉に、目の瞳孔がグワっと一瞬開く。
ヒェー!
何だか迫力があって怖い…ワシの言葉遣いが悪いせいで斬首にはならんだろうな?
過去の歴史に似た事例を思い出し、少し慄く。
ベル氏は、それから静かに瞼を閉じた。
…静かな時が流れた。
何を考えてるのか分からんが緊張する。
まさか…無礼討ちにはなるまい。
…
…しないよね?
…
長く感じたが、実際には一分と経ってない時が過ぎ去った頃、ベル氏が漸く瞼を開けた。
「…仕方ありませんね。寿命でございましょう。」
ワシより遥かに歳若いのに、ワシより大人びた懐かしむような諦観の笑みを浮かべた。
そして、言い放った。
「[橙の精霊]の名において、オペレーションGを発動します。」
それほど大きな声ではないのに、辺りに朗々と響き渡る。
声にビリッとする程の魔力が重複して乗っている。
可愛い女の子の声なのに同時に荘厳な重みもある声が、サンシャの建物中を反響して歌を奏でるように聞こえた。
…
こ、これは、まるでサンシャの広大な建物がベル氏の言葉に静々と了承し応えているようだ。
建物が、権威ある王の命令に、歌を奏でて応えている。
この様子は尋常ではない。
噴水前の地下広場に居た人々も、尋常で無い様子に手を止め足を止めている。
まったく尋常ではない…辺りを見まわし影響力の甚大さに畏れ慄く。
今、ベル氏の力量の一端を垣間見て、ワシは、まだベル氏を侮っていた事が分かった。
これは、ただ悪人共が平伏するレベルの力量ではない。
この見た目と中身の格差間…測りきれない深淵で膨大な力量には以前に覚えがある。
…妙な汗が流れた。
まったく…ワシとしたら以前も経験したはずなのに学習効果がないわい。
改めて見ると、お小さいベル氏は、権威と重厚な責任感を漂わせている。
オーラを纏い、本当に光っているよ…おいおい。
おそらく力が膨大過ぎて僅かに漏れ出た力が発光してるのだろう。
ヒェィ…。
本人じゃった。
これは当代の[橙の精霊]その人じゃ。
あわわわー、なんかワシ、アールグレイ少尉と会ってから、こんなんばっかじゃな。
…
ベル氏の力ある言葉の影響に違いない…建物内なのに風の渦を巻くような音が遠くから聞こえてくる。
そして、建物の壁が仄かに光っているように感じる。
…
ベル氏の正体を勘違いしていて、内心慌てるワシにベル氏は微笑しながら言う。
「さあ、終わりの始まりです。」