無名の英雄(中編)
サンシャの中は、混沌と秩序が混在していた。
久しぶりに来たが中の東寄りのフロアはグシャグシャでバラバラの世界観の違いからか、管理してる者で全く見た目から違う景色が広がっている。
ああ…以前テレビで見た映画の撮影所が一番近いかな。
ここは、入ってきた者らが勝手に使って勝手に改造して、勝手に消えていく夢の跡だ。
それでも一定の秩序があるのは、実力者の間で均等な調和が保たれてるからに違いない。
実力者の気分を害した実力の無い愚か者は消えていき、或いは倒し倒され日進月歩で実力者は入れ替わっていく。
入れ替わり制度のルールは前任を倒すだけと聞いた。
なんたるシンプル。
中央から西寄りは、逆に整然としている。
一階の広い共同フロア部分を子供らが走り回っているのが見えた。
このサンシャには、反都市政府、反貴族、反王族、反主流のはぐれ者ら、108人の英雄、悪党が巣くっていると言われる。
まさに悪の巣窟と言われるに相応しい。
以前、都市政府が騎士団を前面に立てて解体を試みたが、執拗な邪魔立てが入り中止にしたという話しがある。
実はこの話しはフェイクで、一致団結した英雄・悪党に退治に向かった騎士団が壊滅したのだ。
以来、サンシャはアンタッチャブルであり、代々の都市王の先送りの懸案事項となっている。
この108人は、多いという意味で、実際の数は決まっちゃいない。
序列は暗に決まっていて、とにかく序列が高いほど、サンシャ内で顔が効くのは間違いない。
少し歩いたサンシャの中央にある噴水広場は、吹き抜けになっていて建物の中にあるに関わらず、かなり広い。
そして周辺に屋台が無造作に並んで、中央にはカフェテラス様にテーブルや椅子が置かれていて、やはり混沌と秩序が混在してるようにを感じる。
これだけ計画性なく混沌な部分があれば、不衛生になるかと思えば違くて清掃、管理が行き届き、ゴミ一つ落ちちゃいねぇ。
…大したものだ。
「おう、名無しの旦那じゃないですか?久しぶりじゃあないですか?喰ってくかい?サービスするぜ。」
顔見知りの蕎麦屋の親父から屋台の暖簾越しに声を掛けられる。
そう言えば、もう昼過ぎだ。
朝も食べてないから腹が減っている事に気がついた。
人探しは長くなりそうだし、いちいち自宅に帰るのも面倒だ…一丁食べてくか。
「天玉蕎麦一つ、葱多めで頼むぜ。」
・ー・ー・ー
名無しの旦那が暖簾をくぐって入って椅子にドカッと座る。
「天玉蕎麦一つ、葱多めで頼むぜ。」
「へい、天玉一丁。」
返事を返して、麺を入れた返しをお湯に差し込む。
直ぐに湯切りして丼に入れると汁と具をダブルで乗せて、旦那の前へ置いた。
「お待たせです。どうぞ。」
「おう、美味そうだ。…いただきます。」
名無しの旦那は、無精髭をはやし、ダーク系のダボついた服を着流している。
一見すると、そこらにたむろしてるコワモテの半グレの兄貴分に見えない事もないが、時々垣間見る、礼儀正しさと清廉とも言える行動が、一線を画している。
だが、旦那の良い所は飄々としていながら、俺たちと同じ大地にいて対等に話しを聞いてくれる所だ。
蕎麦を美味そうに啜る旦那の姿を見ながら、初めて会った時を思い出していた。
俺は、…落ちぶれ、不平不満に燻りながらこのサンシャに逃げ込んで来た。
何があったかは聞かんでくれ。
人には聞かれても、答えなくないことがあるんじゃ。
だが、そんな俺でも、ここならば、受け入れてくれて、屋根もあるから少なくとも生きていけると聞いた。
そうしたらサンシャの中は俺みたいな奴が結構いて、安心した。
そして、ゴミを漁りながらも何とか毎日を生きていくことが出来た。
そんなその日暮らしをしてた時、ある馬鹿者に絡まれ集団でリンチに会ってしまった。
もう…どうでもよい。
俺は痛さに呻きながら生きることを、諦めた。
そんな時に名無しの旦那が現れ、救けてくれたんだ。
そればかりか、ポケットから金を出して渡してきて元気づけてくれた。
シワシワの千イエン札と小銭。
「すまねぇ、今はこれだけしか無いんだ。」
その時の恥ずかしそうな青年の顔が頭を離れない。
…5年前の話しだ。
取るに足らない人情話しだが、なかなか出来るものじゃない。
少なくとも、俺はその時、差し出された金とその青年の顔を交互に見ながら、本気で言ってくれてるんだと分かった時、不覚にも泣いてしまった。
それから、紆余曲折があっていまでは蕎麦屋の親父をやってるんだが、その時の恩は返せてない。
たいしたことは出来ないが俺の出来る事で恩は返していこうと思う。
以前名前を、旦那に聞いたとき、
「名を名乗るほどの者じゃない。」
と返された。
旦那もサンシャに流れてきた口だ。
名前を名乗れない事情もあるのだろう。
或いは旦那の事だから、自分のやった事を本気でそう思っているのかもしれない。
いやいや、あんた、至る所で似た様な事をやってるけど全然たいした事だから。
人助けしながらいつも名前を言わないもんだから、巷ではあんた、[無名の英雄]と言われてるの分かっているのかね。
あの時の優しい青年も歳を取り、今では風格もつき、その貫禄はまだ若いながらも、何処ぞの親分さんと言っても良いくらいだ。
定期的にサンシャに現れ、困っている者を助け、悪者を誅伐し、更生させるか追い出している。
お陰様でサンシャの中の荒んだ空気は消えて、厳しいながらも和んだ空気が流れてている。
名無しの旦那は衛生観念と礼儀にうるさいから、いつしかゴチャゴチャしながらもゴミが落ちてることは無くなり、病人もいなくなった。
困ったことは、実に住みやすくなり、ここから出てく気持ちが失せてしまうことだ。
今では、[無名の英雄]は、このサンシャを仕切る九頭竜と呼称される互助会の頭の一つに数えられている。
「…ご馳走様でした。美味かったぜ。ところで親父さん、こんな子供を探してるんだが見なかったか?」
旦那が差し出した端末画面に映っている子供の姿に見覚えはなかった。
そう返事すると、名無しの旦那は礼を言って出て行った。
ふん…礼を言いたいのはこっちの方だ。
…
ああ…またあっちで、新入りの馬鹿者をのしてる姿が見えた。
助けた子供らの頭を撫でて慰めている。
あの旦那は昔と全く変わらんなぁ。
いっそのこと、このサンシャの王様にでもなってくれれば良いのに…。
・ー・ー・ー
うん…蕎麦は美味かったが、なかなか見つからんものだな。
蕎麦屋食べてる間にダージリン嬢からルーシー・ロンフェルトの画像が送られて来たので、見せて回っているが芳しくない。
それにしてもダージリンの嬢ちゃんは仕事が早いな。
回っている間に、調子に乗ってる若者達をこづいて注意してみる。
何故なら、少尉殿がこれを見たらこずくだけでは済まないからだ。
俺って、優しいなぁ…。
倒れている若者達をチラッと見る。
瓦礫に埋もれているが死んではいない…多分大丈夫。
…いつしか少尉殿とサンシャを歩く日が来るかもしれない。
これは言わば、露払いである。