ギャル・セイロンは珍しく考えてみた。(中編)
以前は殺伐した職場で、私の心は癒しの対象を欲していた。
いきなり何の話かとお思いの諸兄よ。
仕事場の話しであります。
人生のうちの大半を職場で過ごすのだから、大事な事ですから蔑ろにはできようはずもない…まさに、まさに。
今、私は現在の主たる仕事場であるキャンブリック姫殿下の執務室に一人で佇んでいる。
ああ…殿下が居なくなってしまわれた…。
この伯爵の後継者に相応しいと言える部屋は、無駄に広くて豪奢な造りをしている。
寒くは無い。
暖炉の炎が上がり薪を燃やして室内は暖か過ぎるくらいで。
寒々とした窓際から見える外の景色とは対照的です。
時々暖炉の方から薪がパチリと爆ける音が聞こえて来る。
…
…私は以前の職場では、夏休みを取っても自主的に職場で仕事してたし、夜は職場でよく仮眠取って仕事してたし、休みでも呼び出しや問い合わせがあったし…懸案事項は常にあって、休みの日でも、寝てる時や風呂、トイレの中でも、それが頭から離れなかった。
…常に仕事の事を考えていた。
こんな状態で公私の区別など付けれるはずもない。
でも仕事って責任あるから真剣だし、皆もそんなものだよね?
私は、お仕事って責任を取る事だと思うから、この状態も必然的に致し方無いと思っていた。
その考えは今でも変わっていない。
もし都市外から悪性生物が襲来して、勤務時間外だから出勤しませんなんて、そんな馬鹿な話しはないしね。
でも、これって特殊な事例ではないと思う。
大なり小なり全ての職業に言えることだ。
責任を取りたくなければ時間給のアルバイトで働けば良い。
でもアルバイトだって勤務時間内で報酬に応じた責任は発生する。
だがしかし24時間、緊張しっぱなしでは身も心も持たない。
だからこそ、職場には癒しが必要なのだ!
↑↑ここが重要です。
そして、遂に私は最高の癒しを見つけたのだ。
その人こそキャンブリック姫殿下なのです。
あの幼いながらも頑張っている感が健気で可愛い。
真剣な顔つきも凛々しくて可愛い。
スイーツをお食べになられてる時の美味しさで幸せ感満載のご様子も可愛い過ぎる。
殿下に頼られる時とか心配そうな顔を私にお見せになる時とかは、心臓がドキドキして背筋がゾクゾクしてもう堪りません。
新たな世界の境地を拓きそうで、殿下を抱きしめたくなります。
まあ、何回かに一回は本当に抱きしめちゃいますけど。
え!ダメですか?
女の子同士だからセーフですよ。
殿下は私の話しも聞いてくれるし、健常な精神の持ち主であり、慈悲深く優しい。
そしてアールちゃんとの邂逅以来、強さと深み、更なる羽ばたくような自由な広い心まで身につけた感がある。
素晴らしい…最高の上司です。
とにかく、現在の職場は癒しを欲していた私にとって潤いがあり風通しの良い最高の職場なのです。
もう二度と前の職場には戻りたくないし、この素晴らしい職場を失うわけにはいかないのだ。
私が現在の職場に派遣されてるのは、なんでも前任のロンフェルト先輩が私を推薦してくれたらしい。
ありがとうごさいます。
私を見出した事といい、あなたは素晴らしい先輩です。
いくら拝んでも拝み足りないよー。
因みに先輩が横領した話しを聞いたけれども、私は全然信用してません。
私は、基本自分の耳目で判断したものしか信用しません。
私に最高の職場を譲ってくれた先輩が、その様な卑怯な真似をするとは思えない。
これは私の女の勘ですが、絶対、経理部長辺りが罪を押し付けてますね。
私は先輩の不審死すら怪しいと思っています。
これは先輩が元衛士で仲間であったこととか推薦してくれた恩があるとか関係ありません。
私は経理部長を直接見た。
あの経理部長の顔は、犯罪者の目と顔をしている。
これは騎士にあるまじき脂肪太りしてるとか喋るとブヒブヒ言って、嫌らしい目付きで身体を弄るように見てくる偏見から言っているわけではない。
私は、約5年間常時24時間悪人を捕まえる事を考え続けて衛士をしていた。
すると何と無く悪人が分かってしまうようになった。
経験知の賜物なのか、直感で分かってしまう。
うん、この能力は、先入観とは違うな。
あの経理部長は自分の悪事が衛士達にバレてるとは分かっていない。
…衛士を舐めるな。
だがこれは衛士でなくとも、いっぱしの職業人ならば、職能に応じた能力が発達するのは、ピンと来る話しでありましょう。
…話しを続けます。
悪いことをすると、人はまずそれが目に表れます。
次に顔つきが変貌し、所作に自然に表れるのです。
だから衛士隊の詰所では、全員一致で経理部長を怪しいと睨んでいますが、証拠が無く、更に騎士団幹部だから手が出ませんでした。
それに貴族で、金回りが良く、人脈があり、困った事に殿下の支援者でもあるのです。
…ありゃりゃ、これが一番参りました。
ん?…いやはや、思考が脱線しました。
これは、殿下が家出するという、あまりの困った状態に私の思考が混線してるに違いない。
殿下のことも心配だし、このままでは私は最高の職場も失ってしまう…クラッシュ様は肝心な時に役に立たないし、ああ、殿下が心配だし、全くいったい何処にお行きになられたのか?
思考が堂々巡りだ。
まさにギャルちゃん大ピンチです。
せめてヒントが欲しい、殿下の行き先のヒントが…。
そんなこんな時に、扉を開ける音がした。
扉を開けて入って来たのは、殿下専属のあのメイドでした。
いつものように紅茶とお菓子を台車の上に乗せて、シズシズと押して入って来た。
台車についた車輪のキシキシと回る音が、静かな部屋に響いている。
そう言えば、午前のお茶の時間でした。
でも、これだけ大騒ぎしてるのだから、この子も殿下が居なくなった事は分かっているはずなのに…何故?
…
メイドは、私の前を横切り殿下の執務机の処まで来ると、殿下の椅子にドカッと座って優雅に紅茶を飲み始めた。
え?
しかも脚を組み、背もたれに寄っかかって、まるでくつろいでいる。
そのメイドの態度は、今までと違って…一仕事終えたようなリラックスした様相です。
え!?…えーー!!
私のことガン無視?
可愛い子に無視されると、哀しくなってしまう。
皆もそうだよね?
それにしても今までの態度とちょっと違う。
いやはや、猫を被っていたのは分かっていたけども…。
だとしたら、今の態度がこの子の素に近いのかな?
しかし私を舐めてもらっては困る。
アールちゃんの為人に触れ、見習いたいと身に付けた技術の一つに観察力から進化した洞察力がある。
その名も、アールグレイアイ。そして発動です。
紅茶を飲んでいるメイドをジックリジロジロと見る。
これは趣味でジロジロと愛でているわけではない。
職場の同僚を知って職場の風向きを良くする、言わば趣味と実益を兼ねた仕事の一環であると認識して下さい。
フムフム…一見してリラックスしてるように見えて、実はこの子はイラついている。
彼女は、今の態度を自分の素だと思い込んでいる節があるが…内心を隠せてない。
年相応に彼女も未熟なり…それが半年以上、彼女を見続けた過程を経て、今漸く分かってしまった。
この時、直感が告げた。
ああ、私は、この子よりも強くなってしまった…。
会った当初は彼女に馬鹿にされるくらい弱かった私であるが、日頃のアールグレイ式鍛錬と不意に思い付いたかのように突如来るクラッシュ流サバイバルのお陰様でメキメキ実力が上がって来たと内心自負している。
メイドが私を、チラリと見た。
「あら…あなた居たの?てっきりあの次子と一緒に消えたかと思っていたわ。…ああ、弱っちいからあの子にも見捨てられたのね。お可哀想なこと。さっさと古巣の衛士隊に戻ったらいかが?…まあ、もっとも戻ったとしても、あっちも潰れるのは時間の問題だと思うけども…。あははははっ。」
私しか居ない執務室にメイドの憎まれ口と笑い声が響く。
だが私はメイドの嘲笑を聞いても、心は凪の海のように穏やかだった。
そればかりか、メイドがこんなにも冗長にお喋りしたのは初めてかも知れないなぁなどと表層の意識では思っていた。
私が反応しない事が気に障ったのか、メイドがカップを皿にガチャンと音を鳴らして乱暴に置き、私に向かって喚いた。
「あーー、せいせいしたわ、あんな甘ちゃんの良い子ちゃん付きになってウンザリしてたのよ。いなくなって本当にせいせいしたわー。裕福な伯爵家に生まれて苦労も何も知らずに、他人に命令して良いご身分ですこと。人の気も知らずにいいきみだわ、お嬢ちゃんが市井で一人で生きられると思っているのかしら…本当に。」
ああ…そうなのか。
何故に今まで気がつかなかったのだろう。
このメイドは、真面目な性格なのは分かっていたけど、…ツンとした態度は叱咤激励みたいなもので、本当は純粋で優しく他人を慮る傷つきやすい人なんだ。
見える…心の中で泣いている。
気持ちが伝わってくる。
葛藤は無い、悲しくて、心配で、ただひたすら…殿下の無事を祈っている。
なんてキレイで純粋な思いだろう。
…そして、重い罪悪感…?
…
「ギャル衛士、何故、貴女が泣いているの?」
メイドが無表情で、だが不思議そうに私を見上げていた。
え?ああ…私、泣いてましたか。
手の平で涙を拭う…本当だ…気づかぬうちに泣いていた。
アールグレイアイは、相手の心情に寄り添うことで発動する。
だから、私が泣いているということは、貴女の心が泣いているということなんですよ。
ただアールグレイアイはレベル差が開き過ぎてると発動しない。
強くなったことで可愛い子の本当の心情に寄り添う事が出来た。
ああ…ならば強く成長するのも悪くはない。
報われた気がした。
アールちゃんとクラッシュ様のお陰だ。
でもクラッシュ様に感謝するのは何だか気が進まないので、アールちゃんに極感謝です。
…涙が止まらない。
心情に寄り添い過ぎました。
これはアールグレイアイの唯一の欠点です。
私は泣きながら、座っているメイドを抱きしめた。
少し抵抗したが、私がまだ泣いているのを知ると、逆に抱き締めて背中をトントンと優しく叩いてくれた。
ああ…やっぱり優しい子だ。
「メイベル、私はもう貴女が慮るほど弱くはない…話して欲しい、一緒に殿下を助けましょう。」
私は、初めてメイドの名を呼びかけた。
対等ならば、互いに名前を呼び合ってもよいでしょう?
だって、それが友達ってもんでしょう。




