闇の中
扉を開けて入ると中は真っ暗だった。
開けた扉をキッチリ閉めてから、前を向いてしばし佇む。
…これがホントのお先真っ暗でござんす。
階段を下に降りて行く。
開閉ドアの隙間から漏れて差し込む月明かりさえ届かぬ闇へ一歩一歩沈んでいく。
ここからは廃墟満杯の闇のプールへと潜っていくのだ。
明かりは点けない。
点ければ、侵入を宣伝して歩くようなものだ。
地の利は敵にあるから、目立ってはいけない。
逆に自己存在を消していく。
霧のように個を細かく散らせる。
闇に意志を沈めて無くす。
岩のように意識を振れないように消す。
風は吹かなければ、風ではない。
…気配を消すのだ。
呼吸は止めたら生きていけないので、最低限に薄く長く伸ばす…そう、植物が呼吸するように。
ゆっくりと階段を降りて行く。
全く明かりなどは無い濃密な闇の中は、闇の温水を潜っているかのよう。
自分が闇に溶けて境界線がなくなっていく。
ああ…前にも確か同じような経験があることを思い出した。
前世の記憶が峻烈な光りとなって脳裏に甦る。
それは家族皆んなで旅行した記憶。
懐かしい楽しかった記憶だ。
…
その途中、長野県の善光寺にお参りした際、御堂の地下に入りお戒壇巡りした。
確かあの時も、このような全く同じ闇の中を進んだんだ。
…
突如、強烈な郷愁に駆られた。
もう、戻らない懐かしき日々、二度と会えない家族…。
フラッシュバックする記憶。
…
ああ…ああ…遠い処に来てしまった。
あれから、幾星霜の月日が経ってしまっただろう。
世界すら違うし、僕自身でさえ身体丸ごと人格も違っているというのに…何故僕には前世の記憶だけが残っているの?
こんなの人には辛すぎるではないか…?
残酷に過ぎる
どんな拷問だよ。
僕は、前世で罪を犯し、これはその罰ではないかと疑いたくなる。
切なさが込み上げて来て鼻の奥がツンとする。
気持ちを堰き止めようとしたら喉が猫のようにゴロゴロ鳴った。
もしかしたら僕は泣いているのかもしれない。
だけど深黒の闇の中ではそれすらも不明瞭で不明確です。
ああ、もしかしたら、アールグレイの僕の人生は一炊の夢で、この闇を抜けたら、善光寺の御堂の中で、僕は前世の僕で又家族に会えるのではなかろうか…?
闇は全ての可能性を内包している気がする。
この世界は魔法を許容している。
あり得るかもしれない。
過ぎ去った日々を復活する魔法が…?
…
落ち着け…落ち着くんだ…僕…。
たとえあったとしても、僕は前世には行かない。
何故なら僕は、アールグレイだからだ。
僕の名前は、アルフィン・アルファルファ・アール・グレイです。
この世界に生まれ、両親や姉がいて友人もいる。
そしてまさに今、友人のキャン殿下を救けに行くところなのだ。
途中で、僕の意志を誰にも挫くことなどできはしない。
僕の前を数多の人々が通り過ぎた。
僕も彼らの前を通り過ぎた。
交差するのは一瞬で、角度によっては、しばらくは同じ方向に行くのかもしれないけども、それでも別れは付き物です。
キャン殿下とも、いつかは別れの時は来る。
でも、それは今日ではない。
僕の意志により、それはさせない。
闇の住人は、視覚以外の感覚に敏感であろうか?
魔法の波動は気づかれるおそれがあるかもしれないから控える。
頭中に立体的な図面を引く。
60階から降りて来て、今がちょうど30階辺り。
パターン青の光点があった階です。
閉鎖してある防火扉を開く。
僅かな空気の流れを感じた。
眼には頼らない。
触覚で物理的な感覚に頼る…風の気配を感じながら己れの存在を消す。
光りを感じて瞼を開ける。
端の奥の方、扉の形に光りが漏れている。
うん…図面と一致している。
ドンピシャです。彼処に違いない。
近づこうと足を一歩踏み出した処で、闇がざわついた。
む…僕が感知し得ない何かしらのセンサーに引っかかってしまったらしい。
世界は広い…僕などまだまだです。
ここは出し惜しみしてる場合ではないです。
「…刮目して見よ!」
僕はサラリと小さく呟いた。
さあ、さあ、小さな女の子を攫った罪は重い。
君ら全員ギルティ…。
その罪を贖え。