ある騎士の独白(続編)
ニルギリ様はおっしゃられた。
それを私は心で感じたのだ。
(シナガの地に相応しく無いものを消去せよ。)
それとは、つまりアンインストールである。
さあ、仕事を始めよう。
機械馬から降りてスラム民の面前に立つ。
犬種の兄弟か…?身近でみると幼さが良く分かる。
そう…ちょうど私が蹴られた時も似たような年頃だった。
私を見上げて怯える兄弟。
「消えろ。目障りだ。シナガから立ち去れ。」
警告はした。確かに伝えた。
これで職分は果たした。
あとは、此奴ら次第である。
口で言って効かなければ、実力行使せねばならぬ。
実際、放置すればあっと言う間にスラム街が形成され犯罪の温床となるであろう。
そうなってからでは遅いのだ。
ふと学生時代の歴史の授業を思い出した。
超古代では人道主義者なるもの達がいてこう言ったとか。
可哀想であるから何とかしろと。
当時、あまりの無策で無責任な彼らの感想に、授業中であるにも関わらず、思わず吹き出して笑ってしまった。
…ならば、お前らが解決策を提示し、責任持って背負い込めば良いのに…冗談のような話しだ。
この様な主張をする輩は文明崩壊時に絶滅したらしいが、現代においても、たまに似たような主張してくる馬鹿者がいる。
口だけ出して行動を伴わない者、他の職分に無責任にも口を挟んで来る者、いずれも経験の浅い苦労を知らぬ暇人の馬鹿者達で、見掛ける都度、矯正か処分をしている。
つまりその言動に相応しい措置を返してやるだけ。
あとは、生きるか死ぬかは彼ら次第である。
動かぬ犬種の兄弟をワザと弟の方から、蹴る。
兄弟の悲鳴と泣き声が辺りに響き渡る。
「ニヒッ…。」
私は自分の口がニンマリと笑うのを感じ、右手で口元を覆う。
んん…ああ…良い。
なんて耳ざわりの良いハーモニーだ。
今日一日の疲れが、暖かいシャワーを浴びた時のように溶け出して消え去っていくようだ。
この任務を授けてくれたニルギリ様に感謝を!
泣いても、騒いでも、誰もお前らを救ける者などはこの世にはいない。
私が当時、誰からも救けてもらえなかったように…。
夕暮れに幼き兄弟の泣き声が胸に沁み入る。
実に雅である。
しばし、幸福感に酔いしれる。
何故か悲鳴や泣き声を聞くほどに、此奴らへの親近感が増していく。
此奴らに、泣いても何も変わらないことを私が教えてやらねば。
待ってるだけでは何も変わらない。
救けなど来るはずもない。
私がそうであったように。
む!…誰かしら駆け足で来る足音が聞こえた気がする。
眼を瞑り気配を探る。
足音は二人分、軽い…多分子供だ。
目視で見えて来た。
男女の子供の二人連れ。
関係なしと判断して任務を継続する。
うずくまり震えている兄弟を、私は蹴り上げた。
痛さに悲鳴を上げ、転がり逃げる子供達。
そうだ…自分で判断して逃げるがいい。
脅威から、まず生き延びることが先決だ。
すると男女の子供の片割れが私に詰め寄り抗議して来た。
「待たれよ!私はギルドより巡回依頼を受けたニコ・ザクセン・フリージアと申します。幼な子を分けもなく蹴り上げるとは騎士とは思えぬ恥ずかしき所業、いったいどう言うことですか?ことによってはギルドに通報し、騎士殿の家中に抗議します。」
的外れな抗議内容に、思わず鼻で笑ってしまった。
抗議し、今も睨み付けて来た男の子を見る。
紺色の学生服を着て、裾や袖口に赤色のラインの刺繍が入っている。
学校の7年生か…。
もう一人の女の子は銀色のライン。
二人とも左腕に緑の腕章をしている。
学生はラインの色で学年を区別している。
銀色は8年生を示す。
緑色の腕章は、ギルドの都市巡回の研修のアルバイトだ。
私も学生時代は、依頼を受けた覚えがある。
依頼料としては格安だが生活費の足しになり助かった。
なるほど…職務に対し忠実なのは結構なことだ。
だが、騎士に対しての礼儀がなっていないな。
考え無しの行動は、主導権を相手に渡すようなもの。
しかも感情が先行している…これでは将来生き延びるのは難しい。
戦場では、真っ先に死ぬタイプだ。
戦闘力を測る。
ニルギリ様から騎士就任祝いに送られたモノクルは凝視した相手の戦闘力を自動的に測ってくれる。
相手の頭上に表示された数値を見る。
[005]
「ブフッ。」
思わず吹き出した。
こいつ偉そうなのは口だけか…だいたい年齢と共に自然と数値は上がる。
つまり30歳までは鍛えなくとも30まで上がり、その後は加齢とともに緩やかに下がっていく。
つまり、礼儀知らずにも偉そうに講釈垂れるコイツは実力も無しに一端の口を私にきいてくれたわけだ。
だが、巡回任務中のコイツらの後ろ盾にはギルドのレッドクラスがおそらくついている。
現に、コイツらが付けている腕章からは畏怖すべきほどの魔法力が纏わりついているのが見てとれる。
魔法特化のギルドのレッドか…侮れない。
ふんっ、気に入らんが、ギルドと事を構えるのは面倒だ。
ここは、後ろ盾の実力あるレッドに敬意を表し、一度だけチャンスをあげて説明してやるか…。
「ふん、子供が一端の口を利くな。ギルドの苦情などニルギリ様は蚊が刺すほども思わんわ。だが我に無礼な口をきいた愚かな勇気に免じて教えてやる。我の使命はな、此奴らのような汚い亜人のスラム民共を排除することだ。復興途中のシナガに此奴らのような難民を流入させるわけには行かぬ。一匹でも紛れ込ませば、コイツらはあっというまに増えてスラムを形成するからな。政治的な裁量にギルドが口を挟むんじゃない。」
だが、馬鹿な子供には私の温情は通用しなかったようだ。
何も考えずに即座に反論して来た。
「亜人も私達と変わらぬ人である。待遇を違える根拠にはならないし、なによりあなたの主張は卑怯です。政治的な裁量権を盾にして幼く弱い子供らを蹴るとは騎士として恥ずかしくないのですか?!」
実に立派な主張だ。
惜しむらくは主張を裏付ける実力…覚悟と頭脳と武力の何もかもが足りないことだ。
こいつも責任者のレッドからは注意は受けたはず。
その注意をないがしろにされたのではレッドも浮かばれないな。
せっかくの生き残る為の注意すらコイツには響いていなかったわけだ。
私は怒ってはいない…怒るべきはレッドであろうに。
ただ、私自身は、後ろ盾のレッドへの義理は果たしたな。
あとは自由にさせてもらう。
口上の時間は終わりだ。
私の雰囲気が変わったのに気づいたか、小僧が顔を強張らせて見上げて来た。
張り手の裏拳を鞭のようにしならせる。
小僧は鞠のように吹っ飛び神社の壁に激突してバウンドしてから地面に倒れこんだ。
「ぐはぁ…。」
苦悶の呻き声を上げて手脚をジタバタしている。
ぬ…まだ意識があるか…戦闘力005の塵でも物理防御膜の魔法は使用できたらしい。
ふん、多少マシなゴミと認識を改める。
どちらにしても戦闘は不能だ。
多少の邪魔が入ったが問題はない。
仕事を速やかに継続しよう。
兄弟らにとって返す。
すると妨げるように少女が割って入った。
何の真似だ?
今のやり取りを見て学習出来ないほど頭が悪いのか?
私は少女を見下ろした。
私を見上げガタガタと震えている…脅威が理解出来ないわけじゃないらしい。
モノクルが私の視線に反応して数値を勝手に表示する。
[030]
感心した…その年齢で、その脆弱そうな身体で戦闘力30とは、毎日の不断の修練の賜物であると推測できる。
少女は小僧のように口上を述べなかった。
ただ、両手を左右に広げて私を兄弟に近づけさせないようにしている。
なるほど…そこに転がっている小僧とは違うようだ。
だが、これではまるで、己れの生命を懸けて幼い兄弟を護っているかのようでないか?
んん?
首を傾げる。
この少女はどう言うつもりだ?
小僧のように頭が悪いわけではあるまい。
私に敵わないことは理解しているはず。
…分からない。
試すか…?
私は腰に吊ってある剣の柄を右手で握った。
少女に変化は無い。
私は剣を抜き放った。
その刃に夕陽が当たってギラギラと光る。
少女の後ろから幼な子の怯えて泣いている声がより甲高く聞こえて来た。
幼な子さえ、私の殺気を感じ取っている。
少女に分からぬ筈がない。
…
…
私は、握った剣先を上段にゆっくりと持ち上げ始めた。
どうする?
逃げたまえ。
その勇気に免じて、お前だけは逃げれば許してやるぞ。
この時、少女が初めて動いた。
少女が私に対し取った構えとは…[火手]の双手攻撃の構え。
ドクンと心臓の鼓動が聞こえた気がした。
どういうつもりだ?
[火手]の双手攻撃の構えの意味とは…絶対逃げない攻撃だけの構え。
即ち背水の陣であることを意味している。
何故だ?
少女を凝視する。
モノクルが反応して数値を新たに表示する。
[035]
通常、同じ人の戦闘力は直ぐに変わることはない。
唯一変わる時は、生命を懸ける覚悟を持った時だけ…。
少女の顔付きは決死の覚悟を表していた。
(お前に一撃を喰らわし、幼な子は生命を懸けて護る。)
口上は述べなくても少女の思いが伝わってきた。
…
ば、馬鹿な…?!
自分の生命を懸けて見ず知らずの赤の他人を護る人間などこの世にはいない。
視界がグラリと歪む。
馬鹿な…馬鹿な…そんなことある筈がない。
あり得ない。
あり得ない。
こんなことはあり得ない。
も、もし、あり得るならば、何故私には現れなかったのか?
こんなことは許されるはずがぁないのだ。
なぜなら、私が蹴られ、泣きながら救けを求めたときも…誰一人として救けてくれなかったではないかぁ。
そうだ…許されるはずがないのだ。
消さなければ!
間違いは消さなければならない!
天を見上げる。
夜の帷が落ちかけた群青色の空が広がっていた。
私は多分笑っていたのだろう。
…
私は剣を高く上段まで構えた。
後は、剣を下ろすだけで間違いを正せる。
だが…本当にこれで良いのか?
…
瞬間…風が吹き抜けた。
シナガの中心部方向から突風が吹いてきた。
動きを止め、目を細める。
夕陽のオレンジ色の光りが周囲を照らしていた。
春風のような暖かな風が私に吹いてきた。
次いで豪音が轟いた。
音が止んだ時、細めた目を開けると…目前に見知らぬ少女がオレンジ色の光りの中に佇んでいた。
地味な黒色系の上衣ニットとズボンに青色のパーカーを羽織って肩までの黒の髪をなびかせている16、7歳位の少女だ。
辺りには突風で散った秋の花の花びらが宙に舞っている。
現実とは思えぬほど美しい少女だった。
内からの生命力がキラキラとほとばしるような輝きの美しさを放っている。
まるで太陽のような輝きだ。
これほどの美しいものを私は今まで見た事がない。
神々しい圧倒的な威迫に膝を着きそうになる。
な、なんだ…なんなんだ?
神なのか?
この世界には神や悪魔が稀に顕現する事が観測されている。
だが、神を信じない私の所に今更何故?
神の真剣な美しい顔は怒っているように見えた。
神は私のやる事を怒っているのか?
ホッとすると同時に理不尽な思いに駆られる。
神がいるのであれば、何故あの時私を救ってはくれなかったのか?
いまさらだ。
何故今更私の前に出現する?
神は少女に沿うように、同じ[火手]の双手攻撃の構えをとった。
神を信じなかった私は赦されないのか?
畏れと絶望と哀しみと憤懣がシェイクされたかの気持ちが駆け巡る。
神に見捨てられた私に今何が出来る?
私こそが正しいのだ。
だからこそ間違いは正さなければならない。
私は、剣を上段から振り下ろした。
消えてしまえ!
私が振り下ろした渾身の斬撃は、その刃に合わせるように先行した神の左手の手甲で瞬時に外側に払われていた。
そ、そんな、馬鹿な…!
神の動きと少女の動きが同調している。
右手の掌底を私に対して打ってきているのが分かった。
神の右の掌底が私の胸元の鎧に当たる。
私は心臓を撃ち抜かれた。
脅威の心臓打ちである。
私の身体の時間が止まった。
まるで動かない。
風だ。荒れ狂う暴風に魂が散り散りになるような衝撃が走り、私の中の凝り固まった何かが爆散したと感じた。
風が吹いている、自由の風が私を吹き飛ばしたのだ。
その風は、強く、でも優しい風だった。
ああ、悪く無い…これならば悪くない一生だった。
この美しき神に会えたことで、私の運不運の帳尻は合ったに違いない。…ならば納得もできる。
微かにオレンジの香りがした。
神は匂いさえも芳しいのだな…。
それっきり私は意識を失った。
…
気がつくと、星空が見えた。
起き上がる。
辺りは真っ暗で人の気配はない。
機械馬から漏れる僅かな明かりが、そこにいる事を示すように明滅していた。
夢…だったのか?
今日一日を思い返す。
夢では無い。
私は神に遭遇して…負けたのだ。
いや、あの幼い兄弟達を命懸けで護った小さな少女に、既に負けていたと今では分かる。
見苦しい真似をした。
それにしても神とは、随分と気軽な衣装を身につけているものだ。
いったい何の神であろうか…風と共に舞い降りてきた、あの風はさながら暴風と言ってよいほどの…
あ!
脳裏に[暴風]の膨大な情報が奔流のように流れていく。
…神々しくもメチャクチャ可愛い美少女。
…黒瞳、肩までの黒髪、見た目16、7歳位。
…[火手]使い。
そして、二つ名の由来である暴風の様な出現と戦い方。
あれが…あれこそが[暴風]だったのか…?!
ああ、なんてことだ。
私は頭を抱えた。
なんてことだ…負けたのに全然悔しくない。
そればかりか空虚であった心が満たされたように満足している。
今まで感じていた飢えたものが全て吹き飛ばされたようだ。
まるで生まれ変わったような心地さえしている。
そうか…私は[暴風]に心臓を撃ち抜かれ一度死んでしまったのかもしれない。
「くくくっ…。」
それにしても、世の中は広い。
私が児戯の如くやられるとは、全く相手にならなかったではないか。
負けたのに心が晴れ晴れとしている。
春風が吹き抜けたかのように気分が良い。
尊敬すべき3人の順位は変わらない。
だが、アレを倒す気になれないな…。
モノクルが最後に計測した数値の履歴を見たら、そこには[999]と表示されていた。
…
ニルギリ様のお住まいになられる宮殿に帰る。
下命された任務の報告をしなければならない。
取り次いだ門番が妙な顔をして私の顔を見て来た。
なんだ?
途中、出会った文官や侍女も何故かジロジロと私を見ていく。
もしかして、私の変わった心の有り様が、見た目にも分かってしまうのかもしれない。
幸いまだニルギリ様はお休みになられてなかった。
しかし既に執務時間は過ぎているから広間では無く私室の居間での謁見となった。
「公爵様、タミール・ナデュ、只今任務を果たし戻りました。」
面を下げて片膝をついて挨拶する。
「かー、相変わらず堅いな。報告など明日でも良かろうに。まあ、それがお前の良い所かもしれん。だがたまにはもうちょっと冗談も入れてくれれば場も和むというものだ。ほれ、面を上げて酒でも飲め飲め。」
公爵様の仰せを受けて、私は面を上げた。
そして報告しようとした。
「ブフッ、ワハハハハ、なんじゃそれゃ。」
ニルギリ様が突如私の顔を指差し大笑いしだした。
「ククク、ガハハハハハ、ヒヒ、笑いが止まらん、やるなタミール、…お前サイコー!」
腹を抱えて大笑いして、最後には崩れ落ちて床を叩きながらヒヒヒ、クルシーと涙まで流している。
いったいニルギリ様はどうされたのか?
全く訳が分からない。
「公爵様、どうされたのですか?」
真面目な顔で聞く。
「ブフー、ダハハハハハ、止めろ、ククルシー!」
「公爵様、下命の任務、無事終了致しました。特質すべき点は無く異常ありませんでした。」
「ドハハヒ、分かった、分かったから、お前の努力は良く分かった。しかしそれは反則だぞ。帰る時はちゃんと落としていけよ、うむ、大義であった、帰って良し!…ププッ。」
訳が分からぬまま、謁見は終了した。
ニルギリ様は、私の額の辺りを指差していたような…?
洗面所の鏡で確認する。
「な、なんだこりゃー?」
私の額には、大きな崩れた文字で、[肉]と書かれていた。
しかも油性の黒マジックで書かれたのかなかなか落ちない。
だ、だれだ?こんなことを書いた奴は?
[暴風]のような可憐な少女が書くはずがない。
だとしたら、あの私に立ち向かった少女か?
いや、あの勇気ある少女が、このような低次元の腹いせをするわけがない。
だとしたらあの小僧か…ぬう、赦さんぞう。
私に、これほどの恥をかかせるとは…やるではないか。
口も回ったが、詰まらぬ機転も効かせるとは、覚えておけ。
次に会う時が楽しみだ。