フリージアの花(後編)
ペコー先輩と午後の巡回に行く。
復興中の都市の中心は割と賑わっているのに周辺部はサッパリで人気がまるでありません。
ぬぬ…失敗したかも。
ペコー先輩に先んじて率先して歩く。
…
…何故だろう?
午前中は楽しく話せていたのに、今は先輩の姿を見ると何だかドキドキしてマトモに顔を見れないのです。
でもそれは、けして嫌な気分でなくて、フワフワして綿の上を歩いているような気分なのです。
ペコー先輩はあんなにお小さいのに、話せば話すほど広い知識と深い見識をお持ちで尊敬できるのです。
高慢で浅学な同級生の女子と全然違う。
優しくて、何だか逞しくて、それなのに小さくて柔らかくて、…実はとっても可愛いことに気がつきました。
途中、コミュニケーションを取ろうとして、ペコー先輩は、僕の同級生のこうるさい女どもとは全然違いますと、先輩を褒めるつもりで言ったのに、逆に嗜められてしまいました。
「ニコ君、それは違うよ。ニコ君が彼女らに抱いている印象は多面体の一側面に過ぎない。彼女らを知ろうとしさえすれば、きっと万華鏡のように煌びやかに見れるかも知れない。とかく思春期の女子は皆綺麗ですからね。だから、よく見てあげて…きっと魅力的な一面があるから、知らないのはもったいないよ。」
ああ、なんて優しくも、人間観察について穿った見方をお持ちなのだろう。
コミュニケーション的には失敗ですけど、ペコー先輩の新たな魅力を発見して、僕、益々心惹かれる思いです。
やはり先輩は、他の女子とは違う。
瓦礫を避け、砂利をザクザク踏み締めながら考えます。
考えるのは先輩のことです。
先輩は核たる自分をお持ちです。
それが迷える僕からしたら眩しいほどの煌めきに見えます。
先輩とは一歳の歳の差です。
でも来年、僕はペコー先輩のように成っているだろうか?
焦ります。
今の僕は、心も身体も小さくて、せめて先輩を守れるくらいに強くなりたい。
母様を守る父上のように…。
前に父上と一緒に鍛錬に行った帰りに聞いたことがある。
「…強さとは何ですか?」
今では幼い質問であったと分かるけど、あまりにも漠然とした質問だったのか、父上は、真剣にしばらくの間、考えてからこう答えた。
「…強さとは耐えることであるとワシは思う。世の中とは…社会とは理不尽であり、ワシらは目の前の敵よりも、心煩わせるような理不尽とまず戦わなければならん。勝つ事は出来ないかもしれないが負けることも出来ない。どのような理不尽な目にあっても耐えて耐えて耐え忍ぶ事だ。騎士とは人間社会の最後の砦よ。どのような手を使われても負けることは許されない。何故ならワシらが負けることは人類社会の死を意味するからな。」
…重いです。
子供の漠然とした質問に真剣に答えてくれたのは分かるけど、全然期待していた答えとは全く違います。
これでは夢も希望もありません。
あまりにも殺伐とした答えに僕が憮然としていたことに珍しく気を使ったのか、父上は話しを続けました。
「昔噺にこんな話しを聞いたことがある。ワシらが世の為人の為に歯を食いしばり我慢したり耐えたりすると、この世の何処かで花が咲くそうだ。それはそれはとても美しい花だそうだ。だとしたら、この花も何処かの誰かが咲かせた花なのかもしれん。」
父は路傍に咲く小さな花を見ながら、そう答えました。
無骨な父上にしてはロマンチストな回答です。
でも僕には腑に落ちました。
この世に咲く花は、この世界にいる誰かの頑張りによって咲いた花だとすれば、なんて多くの人が他の人の為に頑張っているのだろうか。
一つの花を咲かせる奇跡に相当する我慢とは、人の為に辛さ悲しさを耐えるに堪えた心の美しさ故其の物だ。
僕は父上と家路につきながら、路傍に咲く多くの花々を見た。
だとしたら、この咲いている花々の多さは僕達に希望を与える。
僕は父上の話しから、強さとは心の美しさだと、解釈した。
なるほど…見掛けは無骨者なのに内心は意外とロマンチストな父上らしい主張です。
だとしたら、心の美しい者が最も強い勝利者になってしまう。
それは…ない。
やはり、これは御伽話の類いだろう。
父上も言っていたではないか、これは御伽話だと…。
…
ペコー先輩と何も進展無いまま、シナガの街の外周を2周してしまった。
陽は傾き、地平線の上に茜色の光りを放っている。
僕らは出発した神社仏閣の敷地内に戻って来た。
お別れの時間に迫っている。
巡回任務は間も無く終了、後ギルドに戻り腕章と引き換えに報酬を貰ったらペコー先輩とはお別れです。
なんてことだ!
どうしよう?
焦りながら、周りを見渡す。
すると、少し広めの境内の隅にある銅像が目に付いた。
僕は、その銅像に近づきました。
それは、子供を抱き締める母親達、その前に両手を広げて、何かから子供やその母親らを護るように仁王立ちしている少女の像です。
僕は、その少女の像をジッと見つめながら母様の話しを思い出していました。
…
足音の砂利の音からペコー先輩が側に来たのが分かりました。
僕は、その銅像を見上げながら話し始めました。
「この子供は僕です。」
僕の言葉に、母親に抱き締められている小さな子供の銅像を先輩は見つめた。
怯えた小さな子…その子を庇うように必死で抱き締めている母親。
これは僕と母様を模した像です。
それらはリアルな等身大で作られている。
まるで今は居ない怪物が目前にいるかのような切迫さが伝わって来るような。
「僕の母はダージリン氏族の出身です。ダージリン受難の際、僕と母は実家に里帰りしていました。今では蜘蛛の仕業であると分かっていますが、ダージリンを狙い撃ちにした同時多発テロに誰も何の備えも、予想もすらしてなかったダージリンは何も抵抗もできず屈っしてしまった。帰る実家は炎上し着のみ着のままで逃げ出した僕たちは、スラム民と成り果てたところへ、悪性生物群の来襲があったのです。誰も助けてはくれなかった。そう、ただ一人を除いては……。」
僕は、そこまで語ると親子を庇うようにして立つ少女の像に視線を移しました。
「あの方が後に[暴風]と呼ばれるお方です。当時はまだそう呼ばれておらず、ギルドに所属する一介の冒険者に過ぎなかった。強さを表す階級もブルーの星二つ、若手にしては強いほうですが数多いるブルーの一人です。あの時、対した悪性生物は10メートルを越える百足状の生物でした。…あの方は見ず知らずの僕達を命懸けで助けてくれたのです。それって、そうそう出来ることじゃないですよね。あの方は、悪性生物に襲われた僕達親子の命だけでなく、[蜘蛛]の誘導によって迫害されて困窮に喘いでいたダージリンをも窮地から救ってくれたのです。… … 不思議と、この地であの方に助けられてからダージリンへの迫害は無くなっていったそうです。ですから僕らダージリンの一門は、あの方に多大な恩がある。僕らはあの方をダージリンの口伝で伝えられていたダージリンの危難の時に現れ仕えるべき救世主である[黄昏の姫巫女]様と呼んでいます。…まあ、僕は当時のことはハッキリとは覚えてなくて、全部母様から聞いた話しですけどね。」
少女の像は、夕陽に照らされて顔が良く見えません。
僕も、実は恩人の顔を良く覚えてません。
この像からは。小さいながらも立ちはだかって悪性生物を通しはしまいとする悲哀とも言えるような覚悟と躍動感が伝わってきます。
この像を作った人はダージリン氏族の一人です。
製作者も、あの日家族を殺され迫害を受け、逃げ出した先で悪性生物の襲撃を受けて、この場面を見ていたのでしょう。
像を見ていると分かる。
きっと、あの日僕が感じた思いを、彼も感じたのだ。
この像の少女は、当時、今の僕やペコー先輩と似たような年齢でした。あと2、3年で僕も当時の彼女に追いついてしまう。
その等身大の像は、今の僕の身体の大きさと比べても遜色無い小ささです。
流石に13歳の僕よりかは背は高いですけど。
あの時、10メートル大の悪性生物の化け物に正面から襲われた時、僕は母様と一緒に死ぬかもしれないと思った。
そうしたら、あの人が僕らの前に立ちはだかって戦ってくれたのだ。
勝ち目の薄い命懸けの戦いです。
今の僕に出来るのだろうか?
想像してみた。
…
彼女の偉大さが分かる。
僕は彼女に問いたい…何故あなたは、こんなことが出来たのですか?
…
僕が考え込んでいたこの時、川の方から悲鳴が聞こえてきました。
ハッとして、僕は川沿いの方へ走り出しました。
先輩も僕の後を追い掛けて来るのが分かりました。
川沿いの道に行ってまず目に付いたのは、今日街中で遭遇した騎士でした。
その足元に5、6歳位の小さい子供らが互いを庇い合うようにしてうずくまっています。
騎士がボールを蹴るようにして、子供らを僕達の目前で蹴りました。
痛さに悲鳴を上げ、転がる子供達。
なんてこと…。
酷い!何より騎士たる者の行いでは断じて無い!
僕は騎士に詰め寄り抗議した。
「待たれよ!私はギルドより巡回依頼を受けたニコ・ザクセン・フリージアと申します。幼な子を分けもなく蹴り上げるとは騎士とは思えぬ恥ずかしき所業、いったいどう言うことですか?ことによってはギルドに通報し、騎士殿の家中に抗議します。」
僕の抗議に、騎士は馬鹿にしたように鼻で笑った。
こんな騎士がいるなんて…。
あまりの態度の酷さに眩暈さえして来る。
本当に本物の騎士なのか?
マジマジと見る。
コイツは大柄ながら鍛えて絞った身体つきをしている。
父上と比べても遜色無い体付きに強さも想像出来てしまう。
敵対したら、まともには戦えない…。
その騎士の年齢は20歳位、片目にモノクルを付けていた。
あれは超古代の貴重品です。
たしか戦闘力を測る道具で、空間上に表示されるタイプです。…前に父上が所属する騎士団にあるのを見せてもらったことがあります。
だとしたら、僕の戦闘力も数値で把握されている?!
口元に冷笑を浮かべているのがムカつきます。
「ふん、子供が一端の口を利くな。ギルドの苦情などニルギリ様は蚊が刺すほども思わんわ。だが我に無礼な口をきいた愚かな勇気に免じて教えてやる。我の使命はな、此奴らのような汚い亜人のスラム民共を排除することだ。復興途中のシナガに此奴らのような難民を流入させるわけには行かぬ。一匹でも紛れ込ませば、コイツらはあっというまに増えてスラムを形成するからな。政治的な裁量にギルドが口を挟むんじゃない。」
ニルギリ家の騎士?!
その特徴は、忠義に特化した炎のような気性の激しさと氷のような非情な冷徹さを合わせ持つと言われてます。
偏った思想と重なると、こうなる見本が目の前に!
…最悪です。
戦闘では敵わぬまでも僕は反論せざるを得ない。
だって、この騎士は間違っている!
「亜人も私達と変わらぬ人である。待遇を違える根拠にはならないし、なによりあなたの主張は卑怯です。政治的な裁量権を盾にして幼く弱い子供らを蹴るとは騎士として恥ずかしくないのですか?!」
瞬間、騎士の顔は歪んで怒りで赤くなったのが分かった。
人は図星を刺されると怒り出す。
しかし騎士は…それから血の気が引いたように白く無表情になった。
異様な雰囲気です。
僕は固唾を飲んで騎士の顔を見上げた。
突如、衝撃が頭に来た。
僕は鞠のように吹っ飛び神社の壁に激突してバウンドしてから地面に倒れこんだ。
「ぐはぁ…。」
あまりの痛さに苦悶の呻き声を上げて意識せず手脚をジタバタしてしまう。
何が起こったか分からない…?
いや…平手だ…見えなかったけど、あの騎士に平手で殴り飛ばされたんだ。
そうとしか考えられない。
騎士が何やら尋常じゃない様子でブツブツ言いながら子供らに近づこうとしているのが目の端に映った。
ペコー先輩が子供らを守るように、そこに割って入る。
…!
それは、何処かで見た光景。
怯える幼い子供。
脅威からその子供を守る為に、命懸けで立ちはだかる少女。
騎士がギロリとペコー先輩を見下ろす。
騎士が腰に吊ってある剣の柄を右手で握っている。
なんて事だ…このままでは…
あの騎士はやる。
危ない…逃げて…
救けたいのに身体がダメージで動かない。
…
騎士が剣を抜き、その刃に夕陽が当たってギラギラと光った。
先輩の後ろから幼な子の怯えて泣いている声が聞こえて来る。
視界が霞む。
変わらず身体は動かない。
全てが夢のようだ。
…
…
騎士が刃を上に持ち上がり始める。
その表情には何も浮かんでいない。
ああ…まるで悪夢だ。
絶望が僕の心を暗く染める。
…
もう駄目だ。
この時、ペコー先輩が騎士に対し構えを取った。
あれは…[火手]の双手攻撃の構えです。
信じられない…何故逃げないのですか?
このままではマジで死んでしまいますよ。
あの構えは、攻撃に特化した構えです。
つまり、敵に対して、お前などは逃げる事はおろか防御にさえ値しないと示しているのだ。
騎士の顔が気色満面の笑みで歪んだ。
…
騎士が剣を高く上段まで構える。
あああ…
涙がでる程に悔しい…先輩が立ち向かっているのに僕はこんなところに倒れ伏してるだけで何も出来ない。
無力な自分が無性に腹立たしい。
僕は起き上がろうと腹の底から気力を振り絞った。
もういい、僕の命など、どうでもよい…
体当たりして斬られてもペコー先輩らが逃げる時間をつくる!
瞬間…風が吹き抜けた。
シナガの中心部方向から突風が吹いたのだ。
騎士が動きを止め、目を細める。
僕の後ろから、夕陽のオレンジ色の光りがペコー先輩達を照らしている。
次いで春風のような暖かな風と、豪音が轟き、見知らぬ少女がオレンジ色の光りの中に現れ、先輩の左斜め真後ろにピタリと張り付く。
地味な黒色系の上衣ニットとズボンに青色のパーカーを羽織っている肩までの黒の髪をなびかせている16、7歳の少女でした。
辺りには突風で散った秋の花の花びらが宙に舞っています。
それは美しい少女でした。
内からの生命力がキラキラとほとばしるような輝きの美しさを放っています。
でもその真剣な美しい顔は怒っているように見えました。
彼女の動きとペコー先輩の動きが同調している。
[火手]の双手攻撃の構えからの右手の掌底を騎士に対して打つ。
同時に騎士が振り下ろした剣は、その刃に合わせるように彼女の左手の手甲で外側に払われていた。
言葉にすると簡単に見えるが、少しでも合わなかったら斬られてしまう超高等技術である。
彼女の右の掌底が騎士の胸元の鎧に当たる。
瞬間、騎士の胸元が爆発したかのように、騎士は華麗に宙に吹っ飛んだ。
あの大柄な簡易鎧付きの身体が体重などないかのように軽々と約20メートルほど吹っ飛んで地面に落ちて動か無い。
な、なんだ?
なんなんだ…これは
地面に倒れ伏し動かない騎士と、右手の掌を突き出している彼女やペコー先輩を交互に見つめる。
すると、彼女と目が合った。
フフッと彼女が微笑んだ。
ああ…なんて美しくも優しい泣きたくなるような微笑みではないか。
そして、不思議と何処かで見たような…懐かしさを覚える笑顔です。
突如現れた彼女は、僕の方に向き直ると、右手の人差し指を伸ばし唇に当てた。
その表情は、先程と違って悪戯っ子のようだ。
目が笑っている。
そして振り返り、泣いていた子供らの頭を撫でました。
白い神々しい光りが子供らを包み込み、泣き止んだ子供らが不思議そうな顔をして彼女を見返すと、彼女は微笑んで元来た方に走り去りました。
…風が舞う。
…微かにオレンジの香りがしたような気がした。
彼女が現れてから、立ち去るまで10秒に満たない。
…女神様?
…それとも天使?
…それから、しばらくしてペコー先輩が動きだした。
今まで目を閉じていたようだ。
そして倒れている騎士の処におそるおそる近づき、拾った小枝でつついている。
ついで、動かないことに安心すると、おもむろにポケットから取り出したマジックで騎士の顔に、何やら悪戯書きをしていた…。
先輩…何やってるの?
さっきまで死に掛けたのに、その豪胆さに畏れ慄く。
しかも自分で書いた悪戯書きを見て噴き出したりしている。
「…ぷぷ。」
その後、いきなり慌てだした先輩に連れられて、その場を後にした。
ギルド本部で腕章と引き換えに報酬を貰う。
体験した大変さと比べると、まさしく雀の涙です。
その際、オリッサ少尉から「…あなたも苦労するわね。」と嘆息されました。
あれ?何やら少尉殿から哀れまれたような?
…いったいどういう意味だろう?
子供らは、僕の家で引き取る事にした。
父上と母様に土下座してお願いした。
かなりすったもんだしたけど、了承してくれた。
それは又別の話しだけど。
ペコー先輩とは連絡先を交換できた。
やったー!
一縷の望みを繋げることが出来ました。
これが今回の僕の巡回任務の大きな報酬です。
最後に…
僕らの窮地を救ってくれた彼女について。
あの時は驚きが先んじて、気がつかなかったけど、両親に幼な子を引き取りたいと、事の経緯を説明してお願いしている最中に、彼女が[黄昏の姫巫女]様である事に気がついた。
僕の気づきと拙い説明に、両親は互いに顔を見合わせた。
…僕、鈍すぎるにも程がある。
でも、当事者ならば、なかなか気がつかないものですと言い訳したい。
でも、これで彼女には二度も窮地を救われた。
何故に彼女が、僕の前に現れてくれたのが不思議だけど、ダージリンで語り継がれていた伝説は本当なのかもしれない。
…だとしたら彼女が僕の前に現れたのは神意なのか?
でも、たとえそうであっても僕らの窮地を救ってくれたのは彼女のかけがえのない意志の賜物である。
その儚くも自己を犠牲にしてまで他者を救けんとする純粋なる意志と勇気ある行動を思うと、僕の心は震えた。
彼女の強さとは、その美しくも純粋なる慈愛に満ちた心から発せられている。
少なくとも父上の言っていた強さの答えを彼女は体現していた。
父上の言っていたことは本当だったんだ。
ああ…彼女の恩に報いるには、僕は、これからどうすれば良いのだろうか?