吃驚仰天の二ヤード・クス(後編)
赤龍を見張ることは出来て危険の及ばない領域まで下がり繁みに隠れて点呼を取る。
殿で最後まで残った3人、姉さん、アールちゃん、ダルジャン准尉がいないことが分かった。
望遠鏡で赤龍の足元を見る。
ああ、未だに戦っている。
みんなが撤退完了したのを連絡したいが、この辺境では携帯は繋がらないし、連絡手段がない。どうしよう?
ふと横を見ると老騎士達全員、手持ちの望遠鏡を持って覗いている。
う!これは…
よい歳をした男共が集団で繁みに隠れて、望遠鏡で妙齢の女の子達を覗いている状況は、何やらマズイような気がする。
多分、心配だから皆さん覗いているに違いないと思うんだけど…そうなんですよね?
今はそれどころじゃないからと自分を誤魔化しスルーしようとした時、覗いていた爺さま達が一斉に大声を出した。
「ああーー!」「あぶねー!」「大変じゃあ!」
その声に驚き、まさかと再び覗こうとしたら、後方から白銀に光り輝くラインが空を赤龍の方向へ伸びて行くのに気付いた。
何だ、アレは?…光の弾道に見える、誰が何故?
一瞬注意が逸れたが、姉は、アールちゃんは、ダルジャン准尉はどうしたのかと、ハッとして望遠鏡を再び覗いた。
そこには、正に今、赤龍に踏まれる直前のダルジャン准尉と、庇うように右手を天に伸ばすアールちゃんの姿があった。
心臓が凍りつく。
間に合わない。
この後の展開が嫌になる程分かった。
ああ…神様…。
直後、赤龍の方から爆発音が響く。
そして望遠鏡を覗いた先には、信じられないような光景が映っていた。
ば、馬鹿な…。
アールちゃんが伸ばした右手の指先に赤龍の足が乗っている。続いて右手を真横に送り出すように振ると赤龍の足も滑るように流れて行った。
赤龍の重心が崩れ、その巨体がゆっくりと倒れていく。
土煙りが天まであがり、轟音が地響きをたてた。
赤龍を指先一つで倒した…?!
あの技は、青藍騎士団の訓練中に見た技に似ている。
たしか古流柔術の一種だ。
だが、それ以前に指先一つで赤龍を支えるなんて物理法則に反している。いや、ならば魔法?…それこそあり得ない。
魔法は万能ではない。
あんな使い方、僕は知らない。…知らない。
天地がひっくり返るほどの驚天動地。
僕の中で常識が音を立てて崩れた。
世界認識の崩壊…自己の中に積み上げて来た何かがガラガラと崩れる音がした。
ああ…そう言えば忘れていた。
彼女は、ギルドのレッド。
本職の騎士さえ畏れ慄くという。
何てこった…彼女に追い付くにはどうしたら良いのだろう。
アールちゃんの姿が遠のいていく。
地面を見つめる。
…
その後の事は、あまり覚えていない。
倒れた赤龍の首をダルジャン准尉が掻っ切ったらしい。
…任務は達成されたのだ。
しかも、捕らわれていた炎龍を解放したとして、炎龍の加護を得た。皆んな大騒ぎだ。
夜の帷が落ち、焚火を焚いて夕食の時間になっても僕はボーとしていた。
…
気がつけば、皆がアールちゃんに一斉に頭を垂れていた。
そう言えば、ギルドから来る最後の一人が団長候補であるという噂を聞いた。
そうか…皆んな、そんな眼でアールちゃんを見ていたんだ。
どうりで、最初、当たりが厳しかったはずだ。
そして、アールちゃんは団長として、皆んなに認められたんだ。
いや、本当は分かっていたんだ。
僕には高嶺の花だって…でも眼を逸らしていた。
だって…一目見て好きになってたから。
世界が霞むほど輝いて見えたんだ。
今でも彼女は輝いて見える。
僕ではきっと釣り合わない。
諦めよう…彼女とは二度と会うことは無い。
明日になればおさらばだ。
さようなら、アールちゃん。
さようなら、僕の初恋…。