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アールグレイの日常  作者: さくら
赤龍討伐
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驚愕憔悴のアナスタシア(前編)

 私の名はアナスタシア・クス。

 だがそんなことは、どうでもよい。


 アールグレイ少尉から、怒りの赤龍が音速で接近中である報告を受ける。

 春の陽だまりのような口調なので、言っていることは真逆の内容なのに緊迫感がまるでない。

 あまりにも平然と言うものだから、最初何を言ってるのか理解出来なかった。

 この子、いったい何考えてんのよ?

 何故に赤龍が怒っているのか…あなたもしかして何かした?

 音速で到着するって、もう時間がないじゃないの。


 聞きたいことは山ほどあったが…飲み込んだ。

 既に赤龍到着の先駆けのように、妙な吸い込まれるような重低音が聞こえて来て池の水面に小々波が立っているから。


 来る!赤龍が!


 身体が震えたが、私の心はもっと震えている。

 初陣がドラゴンとか冗談じゃないよ。

 今更ながら叔父を恨む。

 何故に新米の経理担当将校がポンコツの老人達を指揮してドラゴン退治せねばならないのか。

 私は老人ホームの介護責任者じゃない。


 それでも喉元まで出かかった思いを口には出さない分別はまだある。

 時間がない。…泣きそうだ。

 大声を出して指揮を執る。

 内容は、アールグレイ少尉をオトリに残して隠れていろだ。

 この子を残したのは、先程の意趣返しもある。

 …私を驚かした意地悪です。 

 でもギルド将校の実力を知りたかったのも理由の一つである。


 ギルドのレッドは、貴族の騎士爵と同格と看做されている。

 世間一般の周知の事実。


 あのプライドの高い貴族達が、最低位とは言え自分らと同等の価値があると認めたのだ。

 いや、本当はその実力を認めざるを得なかった。

 自分らの爵位に取り込まなければ危険を感じるほどに。


 本来は騎士爵に取り立てるはずだったのを、自由を良しとするギルド側が権力に取り込まれるのを嫌がり蹴ったのだ。

 それでも、以来レッドは騎士爵と同格とするのが貴族側とギルド側、双方の不文律である。

 だから、こと戦闘力においては、本来後方支援の私とは雲泥の差であるはず。


 さあ、私の全貯蓄の価値を見せなさい。


 罪悪感が胸をうつ。

 この子は悪く無い。分かってはいるのだ。

 自分より歳下の子に甘えて、当たっている自分が情け無い。

 …でも私の貯金はいまや零だ。

 嗚呼、爪に火を灯す思いで貯めた私の貯金。

 食べたいデザートを食べずに、オシャレもせずに、欲しいものも買わずに貯めた私の貯金が、いまや零…。

 


 いや、貸すだけだから!この新米騎士団に貸すだけなのだ。

 経費として私から借り受けたことにしている。

 でも、この騎士団が潰れたら返って来ない…。


 藪の中に隠れて赤龍を待つ。

 アールグレイ少尉は、見た目平然としていた。

 あなた怖くないの?

 もし私ならオトリに残した指揮官を恨むかもしれない。


 空気が張り詰めていく音がだんだんと大きくなっていく。

 大地が振動で震える。

 池の水が弾けて宙に舞う。

 樹々が嵐に遭ったようにしなり木の葉が飛び散っている。


 思わず目を瞑る。


 …


 しばらくして風の音が消え、辺りが静まり返ったのを感じて目を開けたら、アールグレイ少尉の上方に、赤龍が浮いていた。


 これが龍?

 初めて見た…。


 で、でかい…!


 全長20メートルの赤色のビルが宙に浮いているかのようなシュールな光景。

 しかも、こいつは生きているのだ。


 なにこれ?…こんな大きいなんて聞いてない。

 これ…勝てるの?

 圧倒的な質量に勝てるビジョンが浮かばない。


 私は呆然としていたのだろう。

 隣りのダルジャン准尉が、アールグレイ少尉に向かい叫んだ。

 赤龍が僅かに揺れている…落ちる!

 そう思うとほぼ同時に、大地が揺れ、土煙りが舞う。


 間一髪でアールグレイ少尉は避けていた。

 一見して間に合わないように見えたけど…大丈夫だったらしい。ホッとする。

 しかし、軽くて小さいアールグレイ少尉の身体が、赤龍の着地の爆風に吹き飛ばされてコロコロと転がる。

 隣りのダルジャン准尉が、少尉の元に走りだした。

 転がり倒れた少尉がムクリと起き上がる。


 …良かった…無事だ。


 もう意地悪を理由に物事を決定するのは止めよう…私の胸が罪悪感で潰れてしまいそうだ。

 しかしアールグレイ少尉頼みなのは変わらないので、時が遡ったとしても、結局やることは変わらないのだけれども。

 要は私の心の中の問題なのだと思う。


 起き上がった黄砂まみれの少尉から呪縛開始の指示が飛ぶ。

 わ、分かっているわよ。


 私は藪の中から抜け出して、呪文を高速で詠唱し呪印を組んだ。広範囲に描いた魔法陣が光りだす。

 内側に描いた魔法陣は赤龍の着地に潰されて跡形もない。

 この魔法陣を二重に描く事を提案したのもアールグレイ少尉だ。

 事前会議の際は、少尉の用心深さを一笑に伏したけど、少尉の執拗な意見具申に念の為と渋々応じた当時の自分を思い出した…私は今、恥ずかしさに頬が紅潮してるかもしれない。

 それでも面倒だなぁと嫌々ながらも採用した当時の自分に激励を贈りたい。


 呪縛陣完成!

 魔法陣から暗紫色の大量の糸様の光りが赤龍に伸びて手脚に巻きついていく。

 赤龍が暴れる。

 きつい!


 まだ始めたばかりなのに、既にもういっぱいいっぱいです。

 大き過ぎるのよ。

 指揮する余裕がない。

 もしもの為に、少尉への指揮の委譲は取り決めていたので問題はない。

 これも…少尉からの提案。

 思えば、会議において微に入り細に入り少尉は提案してきた。私と爺様達はその度に反対し、少尉が臆病であると内心馬鹿にしていた。少尉は私達の心の有り様を感じていたはずだ。

 ダルジャン准尉は自分の主人が馬鹿にされてるのを身体を震わして我慢していたくらいだから少尉には伝わっていたと思う。私達が少尉の数々の提案を受け入れたのは、今思えば、少尉が私達の命を尊重してくれた上での提案だったから。

 そう、馬鹿にされながも作戦を提案してくれたのは、私達が死なない為だった。

 傲っているうちは、人は他人の思いに気づかない。

 自分が窮地に陥って始めて分かる。


 必死で呪印を組みながら考える。

 私達は馬鹿だった。


 少尉が指揮を執り、弟と老騎士達を空に送り出す。


 赤龍の暴れに暗紫色の光りの糸が何本かブチ切れる。

 反動で自分の身体が引き裂かれる痛みが走る。

 もう涙目です。

 二ヤードが呪文を唱えて、空からも暗紫色の光りが赤龍に伸びて巻きつくことで一息ついた。

 けど、呪縛を維持するために魔力が急激に吸い出されていることは分かる…こ、これは長くは保ちません。


 空からの呪縛陣も少尉の提案だった。

 爺様達は、自慢の鎧や空馬に呪文や記号をペイントするのを猛反対した。私はただ黙って見ていただけ。

 憤慨する爺様達を、根気よく宥め説得したのも少尉だ。

 会議当時馬鹿にしていた少尉に今の私達が救われているのだ。赤面ものだ。頬が熱い。

 恥ずかしい。私達は何も見えていなかった。

 少尉に対し、私は、な、なんて失礼なことを。

 きっと少尉からは、私達が阿呆のように見えていたことだろう。


 あの小さな可愛い少女は私達よりも遥かな高みにいたのだ。


 やれ、依頼主だ、歳上だ、指揮官は私だとか、少尉に知らず知らずに対抗していた自分が恥ずかしくて穴があったら入りたい。

 少尉の見識の一端を垣間見て、私は世間の広さを痛感した。

 …傲っていた。知らず知らずして私は傲っていた。


 で、でもおかしいでしょう。

 普通、あんな歳下の少女が、まるで経験豊富な古老のような見識を持っているなんて考えつかないでしょうに!

言い訳だけど…。


 魔法に全力を傾けながら、認識を改める。

 私は経験不足の無能の指揮官だ。

 だが先は長い、不足ならこれから身につければ良い。

 補えば良い。

 幸い、見本が直ぐ側にいるではないか。


 アールグレイ少尉がダルジャン准尉と共に赤龍に向かって行く。自ら白兵戦を挑むのですか?…後衛職なのに?

 あんなに小さくて儚いのに、なんたる勇気か。

 私は足がすくんでこれ以上前には出れないというのに…。

 

 見た目を裏切り、あの小さな少女は凄い。

 ギルドのレッドとは、かくも凄いものなのか。

 それとも本物の騎士とは誰も皆、かくも凄いものなのか。


 だとしたら騎士団設立の道のりの長さに気が遠くなりそうです。


 

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