ダルジャン・ブルーの憂い(前編)
アールグレイ少尉殿の反応が鈍い気がします。
そんな感じがしたのは、行軍の時からでした。
ハクバ山探索の二週間を共にした、以前から少尉殿を知っている私にしか気付けない、ほんの僅かな違和感。
現に初対面の他の者は、皆、気づいていない。
最初は、自分の気の所為であろうか…とも思いました。
私の名は、ダルジャン・ブルー・ダーマン・エペ。
ダーマン・エペ子爵家に連なる者であり、冒険者ギルドのレッドを拝命した者でもある。
現在は、麗しのアールグレイ少尉殿と赤龍討伐任務に就いている。
少尉殿の不調が、決定的に思えたのは、赤龍が地上に降りたつ気配を示した際、少尉殿が、悠長にまだ上を見上げていた時です。
反応が遅い…危ない!
私は、思わず繁みから出て、少尉殿!と叫んでしまった。
少尉殿は、私の言葉にハッとして、走り出したけど間に合わないと察しました。…遅かった。
胃の腑に、鉛を呑み込んだような絶望感と後悔。
幸い何らかの技を使ったのか、少尉殿は身体がワープしたかの様に、間一髪で難を逃れた。
安心にホッとひと息つく。
でも、お小さい少尉殿の身体が、赤龍の着地に発生した突風に飛ばされて、地面に打たれ、転がっていく。
あぁー!
轟音と共に、土砂が吹っ飛び、辺りに土煙りが漂う。
土砂降りです。
少尉殿は何処?ご無事か…?
無事に違いない。
あんなにお強い少尉殿が、ここで終わるはずはない。
分かってはいるが、それでも心配です。
やがて土煙りが晴れ、黄砂に塗れた少尉殿を確認できた。
猫のように身体を振るわせて、身体に付いた砂を払っている。
良かった…ホッとする。
でも、これでハッキリとした。
少尉殿は、体調が悪い。
僅かな反応の差が、それを示している。
通常の少尉殿であれば、赤龍が来襲して来た時点で、翼を切って捨てたぐらいはしていたかと思う。
少尉殿が性格的に待つことはしないと思うし、よしんば気紛れか、私には伺いしれない深慮で待つことはしても、赤龍程度で、間一髪で逃げ出すような失態などは、絶対にしない。
今日の少尉殿は、動きが断続的で、ハクバ山探索で見せた、周りの全てを把握していると感じる流麗な動きはない。
比較すると、ハッキリと分かる。
ああ、少尉殿、不調ならば、何故に私におっしゃって下さらないのか。
そんなに私が頼りないのですか。いたらない自身が不甲斐ない。
悶々としながらも、少尉殿が言わないのであれば、こちらからは聞かないと決める。
私にとって少尉殿は、主では無い。
なんだかもう気持ち的に主でも良いとも思えるけど、私にとって少尉殿は、主を越える何かだ。
それに私が主認定しても少尉殿は、きっとお喜びにならない…そんな気がする。
だから勝手にライバルとさしていただく。
少尉殿は、私にとって越えるべき未踏の山だ。
山の頂きが雲に隠れて見えない程の峻険で高く大きな山で、畏怖さえ感じるほどです。
見た目は、こんなにも可愛いのに。
その落差に、ゾクゾクワクワクしながらも胸の内がキュンとしてドキドキする。
会わない間、少尉殿の身姿を想うだけで、切なくなりながらも幸福感で胸がいっぱいになるほどです。
今日、久方ぶりに会った際は、気持ちがほとばしり抱きしめて頬ずりしたいのを必死に我慢しました。
そんなことしたら流石に不敬です。…我慢我慢。
不調の少尉殿をお助けしなければならない。
少尉殿の間一髪の危機の後に、思ってはいけないことだと思うけども、不調の少尉殿も、なんだか、か弱くて可愛い…素敵。
悪竜に襲われる、か弱きアールグレイ姫を救ける騎士の私。
想像するだけで、燃えます。
これ…良いかもしれません。
俄然やる気が出ました。
立ち上がった少尉殿の横に並び立つ。
少尉殿を見る。
黄砂にまみれた灰被り姫…少尉殿が私を見つめ返して来ました。
その身姿が、清純なものが汚された感じがして、なんだか背徳的な気分でドキドキしてしまった。
そんな自分が恥ずかしく、少尉殿の首筋とか細部を見てしまう。
うっすらと、汗をかいてる。
いつもより、息遣いがはやい。
なんだか色っぽいですよ…少尉殿。
ああ、同性の私を籠絡して、いったいどうするのですか?
やはり、少尉殿は、いつもより弱っていると感じる。
でも、そんなことは一言もおっしゃらない。
誰にも自分の不調を漏らすことはしない。
不調なのに、平然である演技をされていた。
私…騙されてしまいました。
おそらく聞いても、「問題無し。たとえ不調であったとしても関係無い。不調の私こそ、本当の私。だから問題は無い。」と言いそうな気がする。
畏れながら、私よりも歳下で小さいのに…しかも今は、不調で弱っているのに…気丈であります。
ああ…この様な人が、この世の中にいるなんて…少尉殿の思いが私の胸を打つ。
これは、少尉殿の信念であり覚悟でもあるのですね。
あらためて崇敬の念を抱く。
ああ、高き山が、また高くなってしまいましたよ。
少尉殿が、その気ならば、私にも考えがあります。
一番槍は、私が貰い受けます。
今日は、私が主役を張らせていただきますから。
フフフ…竜殺しは騎士の誉れ。
姫を救けて、竜を屠り、大活躍です。
もしかしたら、事後に姫から、ご褒美もいただけるかもしれない…考えるだけで、テンション爆上がりです。
さあさあ、赤龍殿よ、覚悟めされい!