フォレ・ノワール(後編)
エトワール少尉は、滔々と語りだした。
「コホン、ではそろそろ話すぞ。そもそも私とアールは、同級生だというのは、知っているか?」
私はコクンと頷く。
既に、エペ家の情報機関[エペの耳]によって周知済みである。
無論、私が頷く事によって、エペ家の情報収集力と、私自身の性格、判断力、演技力などを、エトワール少尉が把握してしまうことも折り込み済みであります。
折角ですから、私の性格と度量も、エペ家の力も、この女に知ってもらいましょう。
勿論、全部を知る必要は、ごさいませんけど。
「初めて会ったアールグレイは、小さくて儚くてか弱くて、本当に可愛いかった。純心で穢れなく明るくて上品で恥ずかしがりやで、とにかく皆に可愛いがられていた。」
ほー…。
眼が開き、鼻血が飛び出す程の情報です。
勿論比喩ですよ。
私のリアクションに満足したのか、少尉は話しを続けた。
「当時、私達は8歳だった。だが、この時私には特別可愛いだけの幼い少女に見えただけで、私も彼女に興味を抱かなかった。まあ、ぶっちゃけると…ほら、私って、天才だからさ、小さい頃から、今と同じなんだわ。周りの奴らが馬鹿に見えてしょうがなかった。両親含め皆んな馬鹿ばっかり。人間はIQが20以上開くと会話が成り立たない説を知っているか?この説はある意味正しい。私からしたら、周りは全部猿以下で、人間は私一人だけだぞ。猿語の会話をマスターする屈辱とアホらしさは、貴様には分からんだろうな。はっ。」
…
エトワール少尉の、あまりのぶっちゃけ具合に、やはり、この者は、さもあらんと言う気持ちと、嫌悪の念を抱く。
だが、疑念を生じた。何故ここまで、潜在的な敵である私に、ここまで内心を吐露する必要があるのか?
演技?いや、とても演技には見えなかった。
この女の本性は分かってはいたが、誰もが軽蔑する様な心情の吐露に、私の表情も引き攣ったようになってしまっていた。
とても、まともに反応出来ない。
そんな私を見て、つまらなそうにエトワール少尉は説明した。
「エペ家の家訓は、誠意には誠意で返すことらしいな。韜晦ばかりでは、話しは進まないし面倒だ。正直に話すのは、私なりの誠意と思ってくれ。第一、貴様との化かし合いの会話に時間ばかり掛けては、アールが帰って来てしまう。…今、あの辺りかな。」
エトワール少尉は、夕闇のハクバ山中腹辺りに目線を飛ばす。
なるほど…あなたなりの理由には釈然としませんが、話しが進むのは、こちらも望むところです。お続け下さい。
私は、話しを促した。
「…話しを続ける。転機は、私達が10歳の時。彼女の父親が病で亡くなった。子供にとって片親が亡くなるのは、かなりの衝撃らしいな。私には分からんが。彼女は、しばらく学校を休んでいた。学校に出て来た時、彼女は、人が変わったように憔悴していたよ。以前の天真爛漫さは影を潜めていた。経済的にも苦しかったらしい。働き手を失ったからな。当然だ。だが、生き物が弱った時、低次元の猿のような人間世界では、何が起こるか分かるか?」
少尉が、ここで質問を投げかけて来る。
…まさか?
「そう…イジメだ。彼女は可愛かった。その頃の私なら美しいものはただ愛でるだけだが。愚かにも嫉妬する猿どもがいたらしい。猿共に誰もが迎合し、彼女を救ける者はいなかった。貧乏になり片親になった彼女は、仲間として失格だったらしい。他の者は見て見ぬフリ、教師でさえそうだった。手の平を返すとは、正にこの事だな。猿世界に必要以上介入しない私も、いささか気分を害する様な状況だった。まあ、私には関係無かったがね。そんな状況が何ヶ月か続き、そのままならば、彼女は、心が壊れて、自然淘汰されていたはずだった。」
…なんてことだ。ぐぬぬ。
唇を噛み締める。
おのれ!私の少尉殿を、そんな目に合わせるとは。許すまじ!
ああ、愛くるしい小さい少尉殿を、時間を飛び越えて救けに行きたい。
あの心根の優しい少尉殿をイジメるとは、この女の言う通り正に下賤な猿、そ奴らは人間では無い。
だが、この女も同罪だ!何故、その場にいて少尉殿を、助けなかった?
私は、エトワール少尉を睨みつけた。
少尉は、フッと笑った。
「私がアールを助けなかったのを非難してるのか?…基本、私は、この世界には介入しなかったからな。貴様も、わざわざ猿世界に、人間の善悪の基準や道徳を強制しないだろう?私もそうだっただけだ。…よろしい、私への理解を試みよう、少し私について話そうか。天才たる私にとって、私以外は、…そうだな…取るに足らないモノと言う形容が適当かな。興味も無かったし。私が物心付いた時には、人間と言えるのは私一人だけ。周りで私を世話してくれるモノはいたが、会話はままならかった。同じ知的生命体とはいえ、基礎知識量と理解力が圧倒的に違うもの同士に、日常生活において相互理解は不可能。…別に私は、私以外のモノを貶めている訳ではないぞ。単に事実を言っているだけだ。この世に私以外の人間いないし、人間は世界に私一人だと理解するには、しばらくかかった。おそらくは、自分でも信じたくなかったんだろう。圧倒的な孤独。私と同じ生物は私だけ。それを納得した時、私の世界は灰色になった。ここまでは理解できるか?」
いいえ、全く理解できません。
この女が狂人なのは理解しました。
私は、コクコクと機械のように頷く。
怪訝な顔して、エトワール少尉は話しを続けた。
「ある時、彼女が変わった。今現在のアールの誕生だよ。変わった原因は分からない。あの日、アールはイジメッ子の主犯と言えるような女の子を担いで、泣き騒ぐその子の尻を叩きながら校内を一周した。加担した男の子達を、ぶん殴り気絶した彼らを下半身丸出しにして校庭に放置したらしい。更に見て見ぬフリをしていた教師に正座させて泣くまで説教したらしい。私は、その日を含めた数日、学校に行く気がせず、自宅で魔法研究していたから見れなかったがね。」
そう語ると、エトワール少尉は、溜め息をつき、しばらくの間、黙っていた。
当時のことを思い出しているのでしょう。
無表情だった、少尉の頬が、段々と紅潮していく。
「あの日、世界は変わったんだ…しばらくの自主休校後、私が登校した際、校内の空気がいつもと違うことに気がついた。こう、清浄な風が吹いている感じがした…こうキラキラと輝いている風が通るような感じがして、よく説明出来ない。その中心に彼女がいた。会った途端に分かったよ。原因は分からないけど彼女が、私と同じ人間に進化した事が。しかも私とは違う形の進化だ。…構わない、些細な違いだ、個性の範囲内。初めての私の仲間、私の片割れ、私は、もう世界に一人では無い。その日から、この世界はカラーに変わったんだ。この私の気持ちが、感動が貴様に分かるか?」
傍目に見ても、目を潤つかせ、頬が紅潮している。
いつみても冷静な少尉には珍しく興奮してるらしい。
んん…でも、その気持ちは私にも分かります。
私も、アールグレイ少尉殿に初めて会った時は、空気感の違いを感じました。
世界が光り輝くような、清浄な風が吹いているような感じ。
分かります。分かりますよ。
私も、ちょっと興奮して、しばらくの間、私達はお互いに感じたアールグレイ少尉殿の印象を、キャーキャー言いながら、分かる、分かるわと言いながら教え合った。
「…コホン。まあ、それから仲良くなろうとして、偶然を装って頻繁にアールと出会い、友達になろうと食事に誘ったりしたのだが、何故か分からぬのだか、逆に嫌われてな。」
エトワール少尉が絶望的な顔になる。
少尉は、アールグレイ少尉殿の事になると表情が割と豊かになることに気がついた。
もしかして、少尉って、頭脳の明晰さとは逆に、精神は幼い?
アールグレイ少尉殿と出会った時から対人関係を意識しだしたとしたら、少尉の精神対人能力は、8歳か9歳?
「まあ、学校時代は仲良くはなれなかった。アールの友人にアドバイスを受けてな…関係をリセットする為に、しばらくアールに会うのを控えたのだ。アールに会えぬなど拷問のようだと思ったが、…我慢した。もちろん、その間もアールの動向はあらゆる手を使って逐一把握していた。私がギルドに入ったのも、全てアールに近づく為の計画の一環。…アールが私の事を、どう思おうともかまわん。たとえ嫌われようともアールは私が守る。」
んん…退いてしまう。
エトワール少尉、それはストーカーでは?
しかも10年近く、つけ回すとは悪質です。
それ、絶対アールグレイ少尉殿に言わない方が良いですよ。
絶対ひかれますからと思わず助言してしまう。
少尉は素直に、うん分かったと頷いた。
少尉の執念が滲み出た変態ストーカーぶりに、思わず退いてしまいましたが、少尉を守ろうとする決意には共感できるので、勘弁してあげたい。
情状酌量の余地ありです。
まったく、アールグレイ愛が高みにある私ならば、許されても、普通そんなことしたら犯罪的ですよ。
「それで、ものは相談だがな。アールの性格は、普段ものぐさで、気まぐれで、飽きっぽく、寝るのと食べるのが好き…ここまでは問題無い。個人の範疇だからな。」
少尉は、ここまで喋ると一息ついた。
「問題は…既存の概念や権威、権力に関係なくして、自己の思うがままに振る舞う点だ。他人から見たら、正に[暴風]、あらゆるものを吹き飛ばしてしまう。私達から見たら痛快と思えても、既存の権力者や力ある者からみたら、これ程恐ろしいものはない。事実、私の情報網では、すでに[暴風]は、ロックオンされている。東方では自力で退けたらしいが。」
少尉は、ここで、私の目を正面から見た。
「アールの、あの自由な気風は、あの時生まれた魂に付随するもの。これから終生変わることは無いだろう。だが私は、アールは…アールグレイはそれで良いと思う。それで問題が生じるようならば世界の方が間違っている。世界を変えるべきだ。…だから、私はアールを護る。もし、私が傷つき倒れても、貴様ならばアールを護ってくれるだろう。どうだ?」
もちろんです。
少尉に言われるまでもない。
私のアールグレイ少尉殿への愛は、終生変わることはない。
私の身を挺しても少尉殿は護る。
そう少尉に答える。
「そうか…それを聞いて安心した。もし、私が倒れた時は… … …[蜘蛛]に気をつけろ。今は、まだ動くな。動けは蜘蛛の糸に引っ掛かる。今はまだ、もしもの話しに過ぎんからな。」
少尉は、元の無表情に戻った。
はたして、私のアールグレイ少尉殿を横取りしようとするような太々しくも図々しい、この女が倒れることがあるのだろうか?想像もつかない。
だが[蜘蛛]という言葉は、私の印象に残った。
む!…クンクン。
私の少尉殿の成分が欠乏して敏感になっている少尉殿センサーが反応しました。
少尉殿の芳しい美味しそうな匂い…いや、少尉殿の気配を感じました。
そう言うと、エトワール少尉が驚いていた。
「エペ家の嗅覚は優秀と聞いた覚えはあるが…まだ位置的に1kmはあるぞ。驚いたな。」
まだまだ、少尉はアールグレイ愛が足りませんね。
私ぐらいの上級者になれば、容易いことです。
逆に、私とは別の方法で少尉殿の位置を把握していることにドン引きです。
変態です。ストーカーです。
わ、私は、自然な愛の力で、察知しているので良いのです。
エトワール少尉とは違いますから。
少尉と一緒に、山の方を見つめる。
来る…来る… … …来た!
少尉殿の可愛いらしい身姿が見えた。
今日一日見ない間に、一段と愛らしく見える。
手を振る。
少尉殿が手を振り返す。
幸せ…はわわわ…天にも昇るような幸せな気持ち。
お父様、お母様、私をこの世に産んでくれてありがとう。
きっと私は、少尉殿に会う為に、この世に産まれてきたのです。
あ… … 少尉殿の後ろに、赤褐色の、少尉殿の身長の3倍近くあるドラゴンが、静かに降りたつのを見た。
危ない!少尉、後ろにドラゴンがいます!
私達は、大声をあげて少尉殿に警告した。
でも、この距離では声の内容は届かない。
ど、どうしましょう…。
私達が逡巡しているうちに、少尉殿の対応は早かった。
少尉殿が、ドラゴンに振り向いた途端に、何故かドラゴンが倒れたのです。
あっ、少尉殿の背中に、ロッポ中尉が背負子に乗せられ、背負わせられていることに気がつきました。
私、スッカリ中尉の事忘れてました。
中尉は、背負子にグルグルに縛られて、幸せそうに阿呆面して寝ている。
いったい何をやらかしたのか?
私の視力は、6.0、間違いない。幸せそうな緩みきった阿呆面です。
私のロッポ中尉への株は、急降下で下がった。
ドラゴンが、少尉殿が何をする事もなく、怯えたように逃げ去って、昼と夜の合間の空を飛んでいく。
おお…。
流石です。
素敵です。
大好きです、少尉殿。
少尉殿が、手をお振りになって、私達に近づいて来る。
少尉殿、今日の夕食は、私が料理した豚汁ですから、たんと召し上がって下さいまし。