天竺
山の麓のキャンプ地に、無事に帰って来た。
何事も無し。
俯いてニヤリと笑う。
ふふん。
何となく勝った気になります。
でも、喜んでいるのを運命の女神に気付かれてはならないのです。だから俯きました。
世の中は、理不尽な程に不幸や不運が、転がっている。
まるで、運命の神が、人間に試練を与えるかのように。
しかし、当たった人間の方は、たまったものではない。
だから、避けるのだ。
危険を、耳を立てて察知するのだ。
備えるのだ。いざという時の為に。
傘は、晴れの日でも持つべきなのだ。山の天気は変わりやすいし、不慮の作為不作為が来るかもしれぬ。
判断する。決断する。
正解な決断などは、無い。そんなものは無い。
ただ、決断して行動する事で、事態を切り拓いて行くしかない。
もちろん、運命の女神の下りは、僕が心構えとして、勝手にそう思っているだけの話しで、実際には天上に座す神々は、ちっぽけな僕の存在など歯牙にもかけないだろうと分かっている。
だけど…
皆んなの姿が見える。
ショコラちゃんが、大きな鍋の前で、お玉を鍋の中に入れて、かき回してる姿が見える。
その近くに、エトワールが立っている。
ルフナが、キームン曹長、アッサム曹長と薪を運んでいる。
ダルジャン曹長が、アントワネット曹長と一緒に、肉を切り分けている。
ウバ君が、冷気の魔法を解除しているようだ。
フォーチュン曹長は居ない。お風呂かな?
…帰って来た。
皆んなの元に、無事に帰って来ました。
何も非日常的なものなど無い一日でした。
でも、それで良い。
それが良い。
お風呂に入り、皆と一緒に夕食を取ろう。
少しお酒も飲みたい気分だけれでも、ダメダメ。
今世の僕は、まだ二十歳前だし、アルコールに凄く弱いみたいだから。
「ケイちゃん、俺、お腹すいたよ…ぐぅ…。」
後ろから、声が聞こえて来ました。
あっと、ロッポさんを背中に背負ってるのを、スッカリ忘れてました。
…クスクス。
そうですね。僕もお腹空きました。
僕は、僕に気がついて、こちらに向かって手を振っているショコラちゃんとエトワールに、手を振り返しました。
ショコラちゃんが、さかんに手を振り、声を出しているようだ。
…まるで、僕に何かを知らせるように。
もちろん気がついている。
僕らの後を付けて来た、送り狼ならぬ、送りドラゴンが、僕の後ろに、静かに降り立ったのを。
気に入らない。
おそらく隠形の術と静音の術、重力制御の術もかけてるに違いない。
姑息である。
これが、生物の王者、強さの象徴であるドラゴンのすることか。
クルリと半回転して、体内の連環を駆動させる。
ドラゴンがちょうど体重を乗せようとした脚に、水平型トルネードを打ち込む。
足払いである。
…ドウッと倒れる。
暗褐色の5メートルくらいのサイズのドラゴン。
ドラゴンにしては、割と小さい…子供かもしれない。
見下ろして、目線からℹ︎武術を発動させる。
ドラゴンの目に怯えが見えた。
成功…ドラゴン程に知能が高ければ、効果あると思ってました。
僕は、そのまま、ドラゴンを睥睨したままにした。
僕から、仕掛ける気は無い。
夕食の時間だし、お風呂にも入りたいから。
ドラゴンからしてみれば、夕食だと思って、いただきます直前で、食べものから一撃をもらったようなものだから、理解するのに一定の時間が掛かるかもしれないと思う。
引くなら良し。
引かぬでも良し。夕食にドラゴンステーキが一品増えるだけの話し。
ドラゴンは、目を見張り、さかんに首を振ると、夜空に逃げるように飛び立っていった。
…妙に人間臭い仕草をするドラゴンだ。
すっかり空が暗くなり始めている。
「ただいま帰りました。」
僕は、皆の方に振り向くと、大きな声で挨拶をした。
今日も、何事も無き日常で助かりました。
何事も無き日常こそ、至高の幸せだと、僕は思うのです。