[閑話休題]ギャル・セイロンの日常(中編)
クッキーは、美味しい。
私が食べないと、殿下が食べないからね。
うんうん…役得、役得。
職場には潤いがないといけない。
潤滑油ですよ。
それは、花であったり、美味しいものだったり、或いは人であったりする。
だって、人生の大半を職場で過ごすのですよ。
給料だけでは、対価になり得ない。
何も高額な難しいものを要求しているつもりはございません。
例えば、毎日一輪の花が生けてあったり、たまにクッキーが食べれたり、アールちゃんに会えて愛でたり、つまり、そう言うことなのですよ。
そう…潤い、それが人生には必要なのです。
砂漠を旅する旅人にはオアシスが必要なように、私の心にもオアシスが必要なのです。
オアシスがある何処には、自然と人が集まり、砂漠には屍と成り果てた旅人が集うのです。
全ては砂漠を旅するキャラバンを率いるリーダー次第。
私のリーダーへの点数は、20点。
殿下には悪いけど、私の伯爵への評価はそんなものです。
この20点は、後継の一人に殿下を選んだ点と、仮にも給料をくれてる義理だ。
とうに伯爵への忠誠などは、擦り切れて、無い。
潤いが無いので忠誠心も、擦り切れてしまったのです。
私の所属する衛士隊の話しをしましょう。
衛士隊は、人材のプールという側面がありました。
伯爵領では、最初は誰もが衛士隊に所属して学び、各部署へと異動していく。そして組織に貢献して定年退職前に戻ってくる。もちろん別の部署に行かずに衛士隊を選ぶ者も少なくありません。
それがリストラの断行により、実働員は2/3となった。
仕事量は逆に増えている。
それなのに実働は2/3。
当然休めない…残業となる。
私の上司の衛士長が選んだ方策は、実働を半分に減らすこと。
休みを捻出する為だ。
全ての活動が効率的に運用され、街中に衛士の姿は見えなくなった。
余計な仕事は請け負えない。
皆、分刻みで動いている。
けれども決められた休憩は取る。
取らないと倒れてしまうから。
そこへ衛士隊長から、更なる目標設定がされた。
係間の実績点数が違うと言う。
上の、係に合わせろと言う。
伯爵が点数だけを見て言い出したらしい。
数字だけを見て判断するのは、猿でもできる超簡単。
数字とは氷山の一角。
リーダーの資質とは、数字に表れない側面を読み解くこと。
環境を整えることだと思う。
さすれば、勝手に人は働きますよ。
伯爵は、リーダー失格です。
でも、良いのですか?
別に衛士隊員はサボっている訳ではないのに。
他の係は、実績点数にカウントされない仕事をしているだけだと思う。
もし、点数主義に走るのならば、全ての係の活動が一様になってしまう。
つまり点数になる仕事だけしかせずに、他の仕事は全くしなくなってしまう。
組織が変質していく。
超効率的な組織へと。
でも、これって組織の存在意義があるの?
もちろん無ければならない。
だから、変質していくしかないのだ…これは改善なのか?
全ては、同僚から聞いた話し。
「ギャル、衛士隊に帰りたい?」
え?なんて恐ろしい質問…絶対、私、帰りたくない。
殿下、不肖ギャル・セイロン、一生殿下に付いて行きますから。
私が殿下に、衛士隊の近況を報告してた際、殿下が聞いて来たから、首をブンブン振って答える。
絶対に嫌。
ここには殿下という潤いがある。
クッキーもあるし、女騎士が来てくれて護衛の仕事も最低限は回りだしている。
もしかして、出張があった際には、またアールちゃんにも会えるかもしれないという希望もある。
私の絶対拒否の態度に、殿下がクスリと笑う。
これです。これが潤いなのです。
殿下の愛おしさが、天然のシャワーのように私に降り注ぐ。
あー、潤う。
なにせ殿下に勘違いされては、私の死活問題である。
ここは、念を押す必要がある。
「思えば殿下と私の付き合いは、私が衛士隊に所属して一年経ち、ようやく仕事に慣れてきた頃、臨時に殿下の護衛に付いたのが初の出会い。あの頃を思い出します。チョコチョコとお歩きになる殿下、私に辿々しい言葉でご挨拶してくれた殿下…。」
ここで、チラリと殿下をみる。
殿下は、キョトンとしてらっしゃる。
きっと、ギャルは今更何を言っているのだろうと思っているに違いない。
ここからだ。私のターンは。
「そう言えば、殿下がお小さい頃は、執務でお疲れなり、私がおぶった頃もありましたなぁ。殿下が伯爵様の代理で植樹祭の開会挨拶に行き、お帰りの際にサヤマ湖を見に立ち寄られたこともごさいました。夕映えが美しゅうございました。」
私の言葉に、殿下も思い出したのか、表情が和らぐ。
「その帰り、トイレに間に合わず粗相をなされて、私がお片付けした事もありました。…今では良い思い出です。それがこんなに成長なされて、ギャルは嬉しゅう御座います。」
チラリと殿下を見る。
覚えているのか硬直して赤面している殿下……可愛い。
「ギャルは、これまでも、これからも殿下第一の忠義の士で御座いますれば、これからも宜しくお願いします。」
その場で、平伏してお願いする。
頭を上げない。
お願いします。ずっと殿下と一緒に居たいんです。
こんな可愛いくて、心の広い上司なんて何処にもいない。
私は、殿下の側を離れたくない。
はあっと、殿下の溜め息が聞こえた。
「ギャル、そんな事しなくても、私からギャルを手放す気はありません。こんな忠義の志は、何処にもいませんからね。」
殿下の御言葉に、平伏しながら、カッと刮目する。
嬉しい…涙が出そうだ。
「それよりも、同僚の前で、体裁が悪いのではないですか?」
殿下の御言葉に、思わず頭を上げると、出入り口の扉前に、女騎士が呆れた表情で起立しているのが見えた。
今度は、私が赤面する番だ。
「き、騎士殿、い、いつから其所に?」
女騎士を指差しながら、聞いてしまう。
「我が入って来た時、御主が、殿下に平伏して忠義を誓っていた。…ちょうど良い。我も殿下に誓おう。」
そう言うと、女騎士は剣を抜き、殿下にその剣を逆向きに柄を差し出し、殿下の前で肩膝を付いた。
「我が剣は、我が主の為に生き、我が主の為に死す。我が一生を主の為に費やすことを我が剣に誓うものなり。」
いきなりの誓いの言葉に執務室内が、緊張の静寂でシンッとなる。
誓いの口上に決まりは無く、人それぞれ。
でも今、騎士が口にした口上は、最上級の誓いの言葉であるのは、内容からして私にも分かった。
騎士の一生を左右する誓いの言葉って、こんなにアッサリと言って良いものなの?
一生に一度しか言う機会の無い言葉だよ。
私は、マジマジと女騎士を見た。
女騎士は、輝かしい金髪を垂れ、片膝のまま微動だにせず、殿下の返答を待っている。
後継者の一人に過ぎない殿下が、騎士から最上級の支持を得た。この意味は大きい。
騎士は貴族の一人である。
最初に殿下を支持した貴族が、護衛に付いたこの女騎士。
この意味は、騎士にとっても大きいはず。
聡い殿下は、当然この意味に気づいている。
流石に殿下のお小さい手が震えている。
「…良いのか、ダーマン・エペ殿。」
殿下の御言葉に女騎士は、コクリと頷いた。
「私事なれば、尊敬する我が姉が、今、ギルドのレッド昇格試験を受けている。あの姉君ならば絶対合格間違いなし!我も、いざ前に進まなくてはならない時とみた。キャンブリック殿下は我の主に相応しい。…どうか我が剣を受けて欲しい。」
普段、無口と言って良いほどに余計な口を開かぬ女騎士が、今、長文を発している。
内容は良く分からぬけど、本気であるのが伝わった。
そして、おそらく殿下にも。
殿下が女騎士の剣を取り、その肩に刃を乗せる。
「ソリュート・ジル・ダーマン・エペ子爵令嬢。この私、キャンブリック・アッサムの騎士に任ずる。」
この時、私は気がついた。
ああ、やられた!
これでは、私の忠義の口上が霞んでしまう。
きっと、殿下のご記憶も上書きされたに違いない。
くぬぅ…やるではないか。
可愛いらしくツンと澄ました顔が、少し憎らしい。
強いから筋肉脳と決め付けて、すっかり油断してしまいました。
強い上に、強かな策士で、勇気ある決断。
中でも英断と言って良いほどの決断力。
これが騎士と、いうものなのですか。
侮れない。一兵卒の強さと参謀の頭脳と指揮官の決断力を併せ持つ、これぞ騎士なり。
ぬかりました。
強さだけの元騎士を身近に見てるので、侮ってしまいましたよ。これはクラッシュ様のせいですね。
うん、きっとそう。
女騎士は、私より歳下で可愛いので仲良くしたい。
でも、殿下の第一の忠義の士は、わたくしですからね。
これは譲れませんから。