[閑話休題]ギャル・セイロンの日常(前編)
アールちゃん、元気かなぁ。
窓から、外を見る。
陽の光りが眩しい。
今頃、山登りでも、してたりして。
アールちゃんに想いを馳せていたら、お腹がグゥと小さくなった。
もうすぐ午前のお茶の時間です…我慢我慢。
お城の一角に新しくあつらえたキャンブリック・アッサム殿下の執務室に、今、私はいる。
アールちゃんとお別れしてから、早いもので、半年近くたつ。
あの頃は、まだまだ寒い冬だったのに、いまや初夏と言ってもよい程の暑さ…まあ、お城の執務室の中は涼しいけどね。
役得、役得。
私の名は、ギャル・セイロン。
トビラ都市の北に位置する衛星都市を領するアッサム伯爵家の次子、キャンブリック・アッサム殿下をお護りする一衛士です。
私も、今や21歳目前、なのに相手は誰もいないし、出会いもない。同僚は、あのハゲと新しく来た新人の女性騎士とメイドさんだけ。
ああ…私の青春は、何処に行ってしまったのか?
誰か教えて…ルラララララ〜♪
無論、仕事中なので現実に歌ってるわけではない。
それでは唯の頭の可笑しい人だから。
全て私の頭の中の脳内作業である。
殿下は、今も執務を淡々とこなしている。
殿下は、伯爵様から、簡単な案件ならば任せてもらえるようになりました。
もはや、後継者と目されてるともっぱらの噂で、隠れていた殿下の英邁な人格と英知の輝きが、周りに理解され始めている。
私達だけが知っていた殿下の良い所が知られるのは嬉しい反面、なんだか寂しい。…殿下が私から遠ざかるようで。
過去の殿下を思い返す。
ヨチヨチと歩いていたお小さい殿下。
雷降る夜は怖がって抱きついて来た殿下。
美味しいデザートを食べたときはニッコリ微笑んだ殿下。
ああ、何もかも懐かしい。
過去の殿下を思い出すだけで、鼻の奥がツンッとして涙が出そうになる。…仕事中だから泣かないけどね。
子供の成長は早い。
あっというまだ。
いまや、殿下の英知の輝きと、その美しさは隠すことは出来ない。背も少し伸びられた。
子供らしかったあどけない瞳は、培った叡智と強い覚悟に変わっている。
転機は、やはりアールちゃんとの出会いだと思う。
あの出会いが、殿下を子供から大人に変えられた。
変わったと言えば、私自身も変わったかもしれない。
妙に達観するようになった。
心が動かない…少し引いた視点から物事が見える。
良い意味で、他人事のように心動かないのだ。
これは、アールちゃんと一緒に仕事してた時、当時は夢中で何も思わなかったけど、後から考えれば、かなりの修羅場を私、経験していることに気がついた。
きっと、この経験に寄るものだ。
よく。私生きていたなぁ。
(ギャルよ、それこそ不動心というものだ。
我が弟子よ、よくぞ会得した。
だが、武の道は始まったばかりぞ、我についてこい、そしていつかは我を追い越すが良い。)
あ、今、クラッシュ様の声が聞こえた気がしました。
でも、だいたい似た様な事を、最近当人から言われましたし。
だが、クラッシュ様に、私は言いたい。
私は、あなたの弟子になった覚えは無いぞ。
ましてや、追いつき追いこそうなどとは露とも思ってない。
でも、この間、思い切って面前にて、言いかけた時、手の平を突き出して、「皆まで言うな、分かっておる。」と止められ、クラッシュ様は、しばらく瞼を閉じられた。
そして、突如、刮目して、「分かったぞ。」と私に告げ、ウンウン頷きながら去っていかれた。
…あれ、絶対分かってないよね。
クラッシュ様も、多少変わったのかも知れない。
以前は修行僧のように張り詰めていた。まあ今でも坊さんなんだけど。
それが、少しだけ緩んだような気がする。
アールちゃん効果だろうか?
そしてクラッシュ様のマイブームは、アールちゃんの技の真似だ。
もしかして、クラッシュ様、アールちゃんのファン?
帰って来た当初は、歩行術を修練し出していた。
そして、まがりなりにも自己流の歩行術を作り上げてしまった。
クラッシュ様はテンペスト流歩行術と吹聴しているが、あれは違う。
多分、基本理念は一緒なのだと思うけど、アレンジし過ぎている。もはやあれはクラッシュ流と称して良いと思う。
但し、アレンジし過ぎて、クラッシュ様しか使えない。
最近では、テンペスト流読心術なるものを修練しているらしい。多分、さっきのあれだよね。
うんうん…無理。全然成果は出ていないとみました。
そもそも、あれはアールちゃんの天性の先読みの良さから来るものだと思う。
…確かにアレは凄い。
アールちゃんは、意識せずに普通に使っていたけど、直感のように人の心の機敏を見抜く。
常時発揮されていたら、おそらく恐ろしくてアールちゃんの側に近寄ることは出来なかったはず。
でもアールちゃんの先読みは、猫のように気紛れに発揮してるし、普段は陽だまりのように鈍感で隙がある。
要は使い方を心得ているのだろう。
うんうん…流石、私のアールちゃんです。
この頷く癖も、アールちゃんを観察するうちにうつってしまいました。
でも、確かに武芸者からすると、あの先読みを技能の一種だとしたら、身に付けたいに違いない。
でも、かなりの洞察力が必要だよ、あれは…。
扉が開く音がした。
メイドの子が入って来た。
お茶の時間ですね。
ちょうど小腹が空いた所です。
最近、殿下は食が細い。
だから、ごまめにお茶を出して、何かしら食べさせようとしている節がある。
そして、殿下は、一人で食すのを望まない。
だから、私もご相伴に預かることが出来るのだ。
これも役得である。
メイドの子は、年齢16歳位の黒髪のブルネット。
小さくて無表情でクール。必要以外、喋ることは無い。
最近、殿下付きになった。
でも普通のメイドではない。
おそらく伯爵家の暗部からの派遣。
殿下が後継者レースにエントリーされてから、側付きが増えたけど、最内側に位置するのが、クラッシュ様を別にすれば、このメイドの子と、騎士団から派遣された女騎士、あと衛士隊からの派遣の私だ。
観察する。
…所作が洗練され過ぎている。
以前遭遇した一流の暗殺者と同じ気配。
おそらく私が感づいてることも折り込み済み。
こいつ、わざとだな。
つまり、「私の邪魔をするな、したら殺すぞ。」と無言の牽制。
分かっている。
そんなことは、相手の思惑など、…関係ないのだ。
たとえ、私が敵わないとしても、やりようはある。
私の意志は自由だ。
アールちゃんを見倣う。
メイドは、私の太々しさに内心呆れながら面白く無く思っているのが、私には分かる。
アールちゃん程でなくとも、これぐらいならピクッとした目の下あたりの僅かな動きで、私でも分かるのだ。
今は、この子には敵わない。
でも、多分半年後には抜けるだろう。
メイドは何も言わずに、お茶を入れて、お茶菓子を用意すると、音も立てずに静々と去っていった。
「…ギャル。お茶にしようか。」
待ってました。殿下。
私は、頷くと殿下の机の横に椅子を持って行った。
もちろん、殿下とご一緒にお茶する為ですよ。
あのメイドの作る、おそらく自家製のクッキーは、なかなか美味しいのです。