chocolat裏(中編)
わたくしの前におわしますアールグレイ少尉殿。
真剣な面持ち…素敵。
鍛えられてるのに柔らかそうな小さいお身体…抱き締めてしまいたい。
私を見詰めるキレイな瞳…ずっと私を見て!
少尉殿が一礼する。
ああ…動きさえ、繊細で綺麗で凛々しい。
ハッ…いけない。私も、慌てて一礼を返します。
これから少尉殿と、訓練の為の模擬戦なのです。
…と見せかけた、おそらくレッド昇格のニ次試験。
ドキドキします。
私の少尉殿への溢れる愛でドキドキです。
こんなに近くに私の推しが。
幸せ過ぎて狂いそうなほど、萌えが生えて来そうです。
少尉殿が攻撃してきました。
ああ…素敵、好き、素敵、好き。
少尉殿に失望されたくないし。
見る。少尉殿の一挙手一投足を見る。
筋肉の僅かな動きを見逃さない。
私のアールグレイ・アイが細部の力の強弱さえ見過ごさない。
ん…分かる。解る。予測できる。
脱力…からの揺らぎの動き
点と点を繋ぐ、常に揺れている動き、会得しました。
これで、少尉殿の動きが予測できる。
なんて流麗で美しい動き。まるで柳に風の如し。
はわわ…踏み込まなければ分からなかった美しい、感動するような動き。
真似です。
少尉のお身体を頭に思い描き、同調させるのです。
技の名は、アールグレイ・シンフォニー!
私の動きが、少尉殿と同じ動きをたどっていると感じるだけで、喜びが溢れてしまう。
私は、少尉殿の攻撃を全部避けた。
凄いよ、私。
私は、自然と踏み込んでいた。
私と、少尉殿が急接近。
超ドキドキで、超素敵。
自動的に手が伸びる。
ああ、私の手が少尉殿の胸元に…キャー。
柔らかな感触があるかと思えば…擦り抜けました。
え?何?
その時の私が抱いた感情は、絶望。
以前、読んだ心理学の古典に、思春期には、自分の理想像を現実のように見てしまう、一過性の心理現象があるとの記載を思い出したのです。
まさか、いや、でも、まさか…?
もしかして、アールグレイ少尉殿は、私が想像した幻想?
嫌な可能性に絶望感が胸を打つ。
だとしたら、あの現実離れした容姿も、純粋な天使のような心根も、惚れ惚れとするような凛々しさも説明がつきます。
そんなはずはない。
嫌だ、嫌だ、そんなのは嫌。
一抹の可能性に、私の頭の中がパニックです。
世界がグルグル回っているような虚無感。
少尉、少尉、私の少尉。…何処?
少尉の攻撃が私を擦り抜ける。
やはり、マボロシなのですか?
すると、少尉のお手が、私に当たった。
あ痛ッ。
あっ、夢じゃなかった…途端に安心感と幸福感が私を満たす。
…
あーーーー、
私に絶望を見せた可愛らしい少尉が、少し小憎らしい。
でも、…許します。
逆に、私の少尉への思いは、深く深く、相当深まりました。
もう、私は絶対少尉から離れない。ずっと着いていく。
決意を新たにする。
でも、先程の擦り抜けは、いったい何?
少尉を、よくよく喰い入るように見ると、…振りをしていることが分かった。
打たないのに打つと勘違いさせるような、動き。
それは、言わば虚…マボロシです。
なるほど…原理は不明ですが、少尉はマボロシを使うのですね。流石です。素敵です。
だとしたら、先程の擦り抜けたのも…幻ですね。
良かった、実態はあるから抱き締めることも可能。
少尉の使う幻を、アールグレイ・アイで見て解析する。
…実態と判別は、不可。
見れば見るほど、見分けがつきません。
…良い。少尉がマボロシで無ければ、今はそれでよし。
なんて有り難き幸せ。
ならば、今の私の実力を鑑み、軽い拳は避けず、重い拳は避けましょう。
軽重の区別ならば判別可能。
被弾しながら、前に進みますと決める。
何しろ虚実混ぜると、少尉の打ち出す拳は何倍もの数になる。全てを避けるのは不可能。
これが、私なりの今の最善の防御。
身体ごと振り、虚実関係無く、被弾を避け、弾けさせ、前へと前へと圧を掛けていく。近づく、少尉殿のお側に、今、ショコラが参ります。
待っていて下さいませ。
そして、たどり着いた後には、ご褒美を下さい。
まずは抱き締めて、押し倒して、あんな事や、こんな事まで、キャ…恥ずかしくて口に出せません。
おそらく、このような不実な至らぬ事を考えたのが、いけなかったのでしょう。
少尉の威力ありきの重い一撃を受けてしまいました。
身体ごと後方に吹っ飛ぶ。
ガードした腕が痺れてます。
ゴクリと息を飲み込む。
あまりの威力に、前へ進むのを一瞬、躊躇する。
でも、私は決めたんです…アールグレイ少尉のお側に居ると。
優しくて強い、私の少尉殿。
前へ出ようとした時、少尉の左拳が弾幕のように、私に打ち出されて来ました。
少尉から判断が遅いと言われた気がしました。
次いで、考えなければいけないと思いました。
…もしかして、これは囮?
弾幕の雨はアールグレイ・アイで判別して避けれるものは避ける。軽いものは無視する。
囮だとしたら、本命は?下?
右拳が腹部に来たのをガードしました。予想通り?
いや違います。これで終わりではありません。
これも囮?だとしたら…上?
咄嗟に右腕を上に打ち出す。
弾け飛びましたが、何とかガード出来ました。
少尉殿が私を見ている…何?
まさか、まだ終わらない?
でも、少尉殿の身体に動きの兆しは無い。
目線も、こちらを見ている。不自然なほど?
不安感がもたげる。
準備行動無しの技なんてあるの?……ある!
思い至った時には、私の腹部に少尉の右拳が突き刺さっていました。
威力は無かったけど当たった位置が悪うございました。
しかも、鳩尾に寸分の狂い無く正確に来ました。
全部、少尉の思惑通り?
くの字に身体が折れ曲がるのを感じながら、私は、だとしたら、次に来る攻撃は上からだと確信しました。
でも、もう遅いです。
予想どおり、衝撃が上から来ました。
耐える、堪える、…耐えるんです。
でも、耐えたのは一瞬だけで、プツンと意識の糸が切れた音が気がしました。
柔らかなフカフカに抱かれて、幸せを感じたのは、気のせいかもしれない。
だって本当は地面に打ち倒されてるはずだもの。
でも、柑橘系の香りがして、天国に行ったような感じがしたのは、本当なんです。
しかも、優しい声で、
「…良くやりましたね。」
と、褒められた気がするのです。
こんなに幸せな気持ちになるのなら、私、何回でも模擬戦をしたいです。
でもこれも、私が感じたマボロシかも知れませんよ。