検証
一息つく。
模擬戦も二巡目、アントワネット、アッサム、キームンは終了。
あと5人…最後の方の3人は楽しみ。
フォーチュン曹長は、正直、実力が良く分からない。ウバ君は、魔法特化らしいから、魔法合戦を楽しもうかな。
ところで、エトワールは、ちゃんとデータを取っているのかしら?
エトワールの方を振り向いて、その瞳を覗き見る。
アイコンタクトだ。
キームン曹長に通じたから、きっとエトワールにも通じるはず。
…あ、気づいた。
目が合った。
嬉しそうに、笑顔で手を振っている。
違う…それ、違いますから。
おかしい。通じない…どうして?
要検証ですね。
この時、僕のsearchの範囲ギリギリに何かが引っかかった。
僕は、山に来てから常時searchを展開している。
パターン…分からないけど1。
この人類未踏の地に、僕ら以外の誰かがいるよ。
それだけで、尋常では無い。
それ以外に、何? 僕、胸騒ぎがするよ。
今世に生まれてから経験で、直感は馬鹿には出来ないと認識している。
これは、なんだかやばい。
僕の尋常じゃない様子に、エトワールがギョッとしている顔をしているのが目の端に映った。
「エトワール、後は任せた…。」
僕は、そう言うと、全速力で走り出した。
3段跳びで、山を登る、登る。
辺りの景色が、あっという間に後ろへ流れて行く。
時速40kmは、出てるだろうか。
僕程度の長距離の全速力では、ここら辺が限界。
途中で熊を引いたけど、気にしてる暇も無いのでひき逃げだ。
searchで引っ掛かった光点の場所は、山頂を越えた反対側、急げば、15分で着くか?
到着した。
そこはモウモウと煙が噴き上がる噴火口だった。煙で、火口のマグマの様子は垣間見ることは出来ない。
前世では、こんな火口は無かったよ。
崖とも言えるような火口に至る急斜面に子供が、木の根を掴み、うずくまっている。
何故に、この様な所に子供がいるのか?
子供の危機に、何故?どうして?と疑問符が浮かぶ。
いや、そんな疑問は後から考えれば良い。
今の現実を見よ。
子供が今いる絶望的な状況に、不安と諦めと悲しみが胃の腑から立ち昇る。
おそらく足を滑らせて落ち、運良く、崖にたまたま生えていた木の根を掴むことが出来たのだろう。
だが、はたして運は良かったのか?
救けることは可能か?
僕の頭脳がフル回転する。
…
100%無理と回答がでた。
崖淵から、子供の所まで、約30メートル、斜面の角度は、怖ろしく鋭角に見えた…だが、そう見えるだけかな。
それでも、30度も無い。場所によっては、ほぼ垂直。
地盤は、最悪な事に、砂の様にもろい。
これではピッケルが刺さらない。
ロープは、非常用に腰に巻いたものがある。細く伸ばせば20メートルは届く。幸い僕の今世の体重は軽い、少年をプラスしても、何とか荷重には耐えるだろう。
問題は、長さが10メートル足りないこと。
子供は、もう10分と持たないだろう。
今にも噴火口に落ちそうだ。
エトワール達は間に合わない。
どんなに急いでも、ここまで30分以上は掛かる。
飛行魔法は?僕は風とは相性は良い。だから挑戦はしてるけど、いまだ完成の域には達していないし、更に難しい浮遊は、魔法力よりバランスの極致の様な感覚が必要で、このような熱風が噴き上げる場所では、コントロールしきれない。
…おそらくは落ちる。
僕は、出来る事はするし、出来ない事はしない。
当たり前の事だ。二次遭難は避ける。これは絶対だ。
冷徹に判断しなければならない。
僕は、今世、自分の命、身体を第一に考えている。
これが、僕の信条なのです。だから…御免なさい、名前も知らない君。
僕では、力不足であった。君の助けにならなかった。
結論は、出た。
…でも、これでは僕が、まるで冷血漢のように、後から来たエトワール達に思われるかも知れない。その通りだから思われても構わないけど、僕に対するブルー達の評価は下がるかも知れない。それは部隊運営上まずいかもしれない。
だから、救ける努力を装うことはするべきだよね。
そうだね。救けられない事は分かった。
でも、装う事は僕でも出来るはず。
今から僕がやることは救ける事ではない。だから僕の信条にも反しない。
方針は決まった。
もしかしたら、装うことの途中で、不慮の事故で僕は死ぬかもしれない。でも、それは不慮の事故だから。
だから、お母さん、お姉ちゃん、御免なさい。
崖淵のギリギリに立ち、噴火口を覗く。
子供が、見上げて僕の方を見ていた。
恐怖に顔がこわばっている…この子は、これから死ぬのだ。…無理も無いことだ。
僕は…
この時、突如、周りの景色が灰色に染まり、僕以外、色は消え、風が凪ぎ、鳥や葉は空中で止まり、音は聞こえなくなった。
そして正面に大きな黒い渦が出来て、中からヌッと黒山羊の頭が出て来た。
…ムシャムシャと、何かを、噛み締めている。
あっ、黒山羊様だ。
見るからに機嫌が悪そう。
二度と会う事は無いと思ったのに、また会ってしまった。
いったい何用なんだろうか、僕、今、取り込み中なんだけど。
黒山羊様は、全身を黒い渦から抜け出すと、暫く、クチャグチャと口を動かし、ゴックン、何かを飲み込んだ。
沈黙が続く。
でも、しばらくすると黒山羊様が喋った。
「… … …で?」
え?
「… …で、我は、何用かとお前に聞いているのだ。玉虫よ。」
何言ってるのだろう、この山羊は?僕の方こそ問いたいよ。
唐突に出て来て、何を言っているのか?
「シシシッ、われは察しが悪いモノが嫌いだ…われの時間を無駄にするからな。フンフン。」
黒山羊様の目玉がグルリと回った。
ピキリと何処かに亀裂が入ったような音がした。
そして細くて長い人差し指を僕の方に、指差した。
「シシッ、お主が我を呼び出したのだ。お主が願ったのだ…あの小さき虫を救けてくれと。我とお主は繋がっている。お主は我の眷属じゃからの…だが我が現世に介入するには、それに見合った対価が必要である……ペッ。」
それきり、黒山羊様は黙ってしまった。
僕の思考が、滝が落ちるように無数に状況と可能性を検証し始める。頭脳がこれ以上無い程フル回転だ。
黒山羊様が吐き出した場所を見ると、ヤモリの黒焦げの足のようだった。
不機嫌な様子は、このせいだったのかも。
おそらくお食事中だったのかもしれない…しかし、あまり美味しくなかった…しかも、途中で僕に呼び出された?
僕は、推測した…なるほど。なるほど。
僕は呼んでないけど、黒山羊様が、そう言うのであれば、そう言う仕様になっているのかもしれない…やだなぁ。毎回、これでは心臓に悪過ぎる。
つまり、僕がピンチの時は、僕の上司である黒山羊様が駆け付けてくれるのか…でも報酬は別途必要と。
簡単に言うと、法外な報酬を請求するレスキューみたいなものなのか。
しかも、黒山羊様の不機嫌な様子をみるに下手な事言うと、全て無かった事にされて消されるかもしれない。….そんな気がする。
悪魔とは究極に自由な存在なのかもしれない。
冷や汗が落ちる。
助けに来たと称して、僕の命の危機を生じさせている。なんたる理不尽。
黒山羊様が黙ってのは、必要な事はもう喋ったから、僕の返答を待っているのだろう。
これは不機嫌なのに、あまり待たせるとマズイ気がする。
僕は平伏した。
戦闘力の差が、巨人と蟻では、戦いにもなりゃしないから。
「閣下、伏してお願い申し上げます。あの子は私が助けます。ですから私めに、救ける力を一時的にお貸し下さいませ。」
どうだ?間接的かつレンタルならば、対価もお安くお願いしたいです。
沈黙が痛い。
黒山羊様が、僕を見ている圧を感じる。
…と、突然、それが減じた。
黒山羊様の鼻息が聞こえた。いったいどうなることやら?
「フシュルゥ、… …救けない選択肢が…はなから無いとは呆れたヤツだ。身を削りキエルか、アリエスめ…イイダロウ…フン…対価は…ソウダナ、オマエの前世の善のカルマを全部寄越せ。カルマとは魂に根付いたものだから、半身が引きちぎれるほどの痛みを感じるし、以後、幸運が無くなるが、かまわんじゃろうしシシシ。」
恐ろしいことを平気で言ってくる。
黒山羊様からは、感情を読み取れない。
悪魔が何を考えているのかなんて僕には分からない。
でも、…ほんの僅かに呆れと憎悪、哀しみと慕情のようなものを感じた。
もとより、僕に拒否権は無い。
「全て、閣下にお任せします。」
僕は、葉が幾つも落ちた地べたに手を着き、お願いした。
「フシュ、では契約は成立した。お主に小さきモノを救ける力を一時的に与える。代わりに前世の善なるカルマを我に献上せよ。」
黒山羊様が、いななき息を吸い込む。
途端、激烈な痛みが僕を襲った。
例えるならば、無理矢理身体を引き裂いで骨を抜き出されたような痛みだ…若しくは、虫歯の治療で、ドリルを口から下まで突き刺したような痛みだ…または、下から生きながら串刺しされたような痛みだ。
泣き騒ぎ、暴れ、七転八倒した。
まさに塗炭の上の苦しみ。
生きながら焼かれる生き地獄のよう。
鼻から口から目から、身体中のあらゆる穴から体液等が溢れ出て、苦しみと痛みで悲鳴をあげ転げ回りながら全身を掻きむしる。痛みが永遠に続くかと思われ、何度も失神し気が狂い壊れると感じた頃に、唐突に、それは終わった。
自己の呼吸音を聞きながら、倒れた状態のまま、涙を流し、よくショック死しなかったものだと思った。
…何か大事な宝石のようなものが、自分から失われているのを感じた。
でも、覚悟の上だ。僕が選択した結果だ。悔いはない。
「…シシシ、ウマシシシ、…カシケシュシュ。ゲフッ。うむ、うむ、フー、満足。ご馳走様。ああ…サラバジャ、アリエスよ。ウムウム。」
黒山羊様は、そう言うと、立ち去ろうとしている。
その様子は、とても機嫌が良い。満足そうだ。
僕は、涙や鼻血鼻水、涎を垂れ流しながら、起きあがろうと足掻くも、直ぐには立てそうにない。
「あっ、…待って…。」
「ケケ…蜘蛛には気を付けることだ…キシュカシュ、この情報はサービスじゃ。キシュシシシ。」
ああ、行ってしまった。
周りの色彩が、元に戻る。
鳥が羽ばたき、葉が地面へと落ちる。
風が吹き、僕の頬を撫でた。
具体的な救ける力って何?
説明もしないで去って行きやがったよ。あの黒山羊め。
自分さえ満足すれば、それでいいのか?
これでは、やり逃げだよ。
んん、身体の調子が非常に悪い。
まるで、内臓を抜かれて食べられたように感じる。
ダイエットだ。きっと僕、10kgは体重が減ってるよ。
無理矢理気力を振り絞り立ち上がる。
清浄の魔法を、何回も使い、身綺麗にする。
この魔法習得しといて、…本当に良かった。
僕の、このままの状態を放置するのは、人としての尊厳に関わるから…恥ずかしいので察してもらいたい。
やはり魔法は便利。
フラフラになりながら、丈夫な樹にロープを巻き付ける。
そして、僕は、そろり、そろりと崖を降り始めた。