ダージリンの憂鬱(後編)
「私の職業は、主に情報屋よ。通称[苔蜘蛛]と言われているけど私が名乗った訳じゃないよ。そうさね、原因は、多分こいつさね。」
苔蜘蛛さんは、モグモグとフルーツケーキを食べている蜘蛛さんを指し示す。
ん?なーに?と、苔蜘蛛さんに顔を向ける蜘蛛さん。
複眼が明るくピカピカ光っている。
「こいつの種名は、苔鬼蜘蛛、気に入ったのかいつの間にか私の家に住み着いててね。仕事の時にも気まぐれで着いて来る時もある。危ない時に何回も助けられた私のボディガードさ。見た奴はよっぽど印象に残ったんだろうね。いつしか私のことも一緒に苔蜘蛛呼ばわりさね。あんたがたが追ってる蜘蛛とは蜘蛛違いさ。」
蜘蛛さんの複眼が、その通りです。と、速く交互に光る。
「嘘っ、だったら何で、テンペスト様をつけてるの?テミ君を保護したのは何故?あなたは誤魔化している。騙されない、私は騙されない…。」
ファーちゃんは大声を張り上げた。
苔蜘蛛さんは溜め息を吐いた。
「仕方ないねぇ。私の名前は、リーフ・シッキム。テミとは、従姉弟の間柄さね。自分の身内を助けるのは当然さね。あんたとも遠縁だけど血筋は繋がってる。ファー・ダージリン、よく私を見なさい。似てないかい。」
僕は、その言葉に、苔蜘蛛さんと、テミ君と、ファーちゃんを見比べた。
…似ている、何処かとか、具体的に言えないけど、纏う雰囲気とか、しっかりしてるのにお人好しな感じとか、上品で華やかな何処とか。
ファーちゃんは、苔蜘蛛さんとテミ君を揺らぐ瞳で、凝視している。
…何も言わない。
苔蜘蛛さんは言葉を続けた。
「テンペストを付けてたのは、情報取りの為さ。テンペストは情報の世界じゃ、今が旬の超新星みないなもんさ。言っとくけど付けてたのは私だけじゃないさ。それこそ多いときには私が把握してるだけで20以上は付け回してたさ。テンペストはsearch範囲外は全く無頓着だから気にしてなかったかも知れないけど。あんだけいたんじゃ、さぞ蝿が飛んでるようでうざったく感じたんじゃないかね。」
ぎょぎょ…あの感じって、そうだったの?
でも、僕、モブだよ。
僕を見たって何も出てこないよ。
でも、プライベート見られてたなんて恥ずかしいよー。
僕の赤くなった顔を見て苔蜘蛛さんは察したらしい。
「あー大丈夫。風呂とかトイレとか入っても大丈夫だから。テンペストあんた、超超高性能の結界石身に付けてるでしょう。まあそれがあれば覗きは、ほぼ防止できるから。あんたの黒髪の魔力と相まって位置探索さえ出来ないわ。皆、諦めたみたいよ。私以外は。」
結界石は、学生時代に友達からプレゼントされたものだ。
「あんたには必要となるものだから、あげるわ。風呂でもトイレ行く時でも私だと思って常時身に付けるのよ。分かった?」とか、つっけんどんに言われて、貰ったものだ。
胸元から取り出して見る。小さな燻んだ水晶のようだ。
うーーん、これが、そんなに高性能とは知らなんだ。
でも、それだと、さぞお高いのでは…?
苔蜘蛛さんを見る。
「そうね、滅亡前のハイテクノロジーの回路を組み込んでるはずだから、ざっと見て、安くても1本はするわね。高いと天井知らずね。」
1本…良く分からない。
「あのー、1本と言うと。」
苔蜘蛛さんが、僕を見返す。
「…後ろに0が3つ付くわね。」
「…1000イエンですか?」
「…そんなわけないでしょう。」
苔蜘蛛さんが、呆れた声を出す。
え、これ、そんなに高いの?…僕、気軽にもらっちゃったよ。…どうしよう、これ。
マジマジと水晶を見る。
「まあ、取っといていいんじゃないの。少なくとも贈った方は値段分かってるはずだから。」
苔蜘蛛さんの言葉が心強い。
そう…だよね。ずっと付けっぱなしだから愛着あるし。
友達の顔を思い浮かべる。
もし返そうとしたら、鼻息荒く「いいから、取っときなさい。私のプレゼントが受け取れないの!」と、怒られそうだ。
…まあ、いいか。深く考えないようにしよう。
「話しを、元に戻すわ。ヘイロンとドアーズにちょっかい掛けたのは私さね。それはごめんなさい。」
苔蜘蛛さんは、このとおりと頭を長い間、下げた。
「ても、言い訳すれば、ヘイロンがアチコチ暴れてても誰も止めなかったんだよ。この子も危うく危なかったの。」
そう言って、苔蜘蛛さんは隣のテミ君を抱きしめてた。
顔真っ赤にして、バタバタするテミ君。
「だから、何とかしようと。ドアーズくらいしか対抗出来ないし、多少は誘導したけどね。でも、私程度の誘導調整力なんて効果無いわよ。他のせいにする訳じゃないけど、今回は、それこそ本物の[蜘蛛]じゃないかしらね。あまりにも上手く行きすぎたもの。あっ…。」
テミ君は、苔蜘蛛さんの胸から逃げ出した。
ファーちゃんが力抜けたように呟く。
「じゃあ、テミ君を何故、あなたが救けることが出来たの?あなたが[蜘蛛]だから、一味だから、あの時、あの場所に居てテミ君を保護できたんじゃないの。知っていたら何故、助けてくれなかったの?教えてくれるだけでも良かった。そうしたら私の両親は、姉は、何故…。」
ファーちゃんは俯いた。
歯を噛み締めている。我慢しているんだ。
ファーちゃんは泣かなかった。
「あの日のダージリンの受難は防げたかも知れない。」
苔蜘蛛さんの言葉に、ファーちゃんが顔を上げる。
「…でも、遅かれ早かれダージリンは没落していた。アチコチで滅びの芽は既に出ていた。およそ一人二人の傑物だけでは乗り切れない程に。ファー・ダージリン、あなたなら滅びの兆しには気づけていたかも知れない。しかし、あの日、滅亡を、あそこまで徹底的に成す必要性は無かった。犠牲があまりにも多い。私が情報に気がついた時には既に始まってしまっていた。駆けつけた時には、既に…テミを見つけて保護するだけで私には精一杯だった……すまない。」
蜘蛛さんが、苔蜘蛛さんの隣に来て、シャキシャキ鳴きながら肩をトントン叩いている。
一見して慰めているように見える。
でもペンペン様と付き合いの長い僕には分かる。
蜘蛛さんの複眼が、苔蜘蛛さんの前に置かれているフルーツケーキに向いていることを。
多分あれは(そのケーキ食べないんだったら、食べて良い?)と聞いてると思われる。
本当に、ブレないなぁ。凄いよ君達。
苔蜘蛛さんは、蜘蛛さんの頭を撫でて、ケーキをあげた。
「[蜘蛛]は、…自分で蜘蛛とは言わない。姿も見せない、まるで存在しないように。[蜘蛛]と名乗っているのは、手下か偽物だけだ。奴らは[蜘蛛]を崇拝している。まるで神のように。実態は全く掴めない。情報がありすぎて逆に分からない。どれが本当で、どれがフェイクなのか分からない。調べたけど、これ以上は危ないと感じた。この情報料は迷惑代と相殺にしといてくれ…。」
紅茶を飲み終えた後、僕とファーちゃんは、苔蜘蛛さん宅を後にした。
…[蜘蛛]に関しては、全く分からないと言う事が分かった。
収穫だ。
帰り、俯いているファーちゃんに僕は言った。
「ファーちゃんの敵は僕の敵だから、[蜘蛛]に会ったら僕がぶっ飛ばしてあげるよ。」
ファーちゃんは、一瞬何かを堪えるように真顔になって、それから少しだけ笑顔になった。
帰り道、僕の背中の方から、「ありがとう。」と、小さな声が聞こえた。