ダージリンの事情
火猿氏の提案を受けて、場所を移す。
たしかに、この場所で話し込むには落ち着きません。
移動した火猿氏の邸宅は、道場を併設した割と大きめの平屋建てでした。
昔ながらの、外見は、和式という造りに見えます。
しかし中は、現代風に改装されていました。
広間に通され、お茶を出される。
お茶を出してくれたのは、火猿氏の奥方と思われる女性の人。でも会釈をすると、引っ込んでしまいました。
火猿氏より若干歳下と思われる年配のご婦人でした。
そうですか…火猿氏の妄想では無かったのですね。
…良かった。
二重の意味で良かったです。
さて、落ち着いたところで、お話ししましょう。
皆々様、耳の穴を闊歩じってお聴きくださいませ。
「私の名は、正式には、ファーストフラッシュ・アールグレイ・ダージリンと申します。皆さんの記憶にあるかどうか分かりませんが、約5年前までは、トビラ都市の五公爵の一角を占めておりましたダージリン本家の三女が私です。」
まずは自己紹介です。
テンペスト様も、私の出自はご存知では無いでしょう。
もっとも、私が貴族でもスラム民でも、テンペスト様の対応は全く変わらないでしょうけれども。
周りを見渡す。…あまり驚かれていない。
全く気にしていないのか、表情に出してないのか分からないけど。眼を見張っているのは火猿氏のお弟子さんくらいです。
「ご存知の通り、ダージリン本家は壊滅しました。私を除いては。あの日、何があったのかは、今でも分かりません。私は当時10歳でした。テミ君のご家族が遊びに来ていたのは覚えています。夕食前の出来事でした。突然、賊に襲撃されました。おそらくは内通者がいたのでしょう…あまりにも早かった。私の家族は次々と殺され、テミ君のご両親も…。その日はダージリン一族が我が家に集まっていたのです。ですから、わが一族の高位の者は、その日を境に皆いなくなってしまったのです。当時、私とテミ君は小さかったので別室にいました。突然、爺やに連れられて分けが分からぬまま、逃げ出しました。賊に襲われて皆が亡くなったのは、この爺やから聞きました。その爺やも追いついてきた賊から私を守る為に…。」
いけません。当時の事を思い出すだけで、涙が出そうです。
ああ、爺やは、厳しくて厳しくて、そして、最後まで厳しかった。
今際の際の爺やの言葉を思い出す。
(ファーお嬢様、あなたはダージリン本家の最後の生き残り…生きてください。今や散り散りになっているダージリン一族の運命は、頭領たるお嬢様の双肩に掛かっているのです。辛くても悲しくても、今は泣いてはいけません。南のシナガにあるダージリンの分家へ、私の実家へ一時撤退です。指揮を取って攻勢の準備を。貴女は貴族たる…。)
まったく、最後の言葉ですよ。
今生の別れなのに、もっと優しい言いようがあるでしょうに。
本当にダージリンには珍しく、好戦的で厳しく元気な爺様でした。
「爺やの言葉を頼りに、私は南のダージリン分家を頼りに一人で逃げました。テミ君とは爺やと逃げる途中で逸れてしまいました。何とか紆余曲折を経て、南のダージリン家と合流はしましたが、そこでも既に襲撃はされていたのです。」
そう、爺やの実家であるダージリン分家でも襲撃は行われ、幸い生き残った人々と合流を果たしました。
私達は、住む所も無く、シナガの路上で暮らすスラム民と成り果てました。
考えられますか?
王家に次ぐ権勢を誇った公爵家の一族が!わずか一日でスラム民まで成り下がるとは。
「ダージリン家の者にとっては、最悪の一日。この日、ダージリン家は、政治的、経済的、物理的にも、多数の方法、多数の者達によって、何故か同時に攻撃されたのです。一つ一つならば対処の仕様があったかも知れません。ですが同時多発で多数の場所に全く別の多数の集団から、この日この時、同時に攻撃されました。後の調査では、攻撃集団の間には意志の疎通は無かった事が分かっています。つまり全ては偶然。…あり得ない。あり得ないのです。こんな偶然は。ならば、こんな偶然を、誰にも気づかれずに調整できたのは、おそらくは…。」
誰も答えない…静まりかえる広間。
人為的に偶然を装う…芸術的誘導の真骨頂。
後の世に、[ダージリンの受難]と称された政治的、経済的、物理的、同時多発の一斉攻撃。
この日一日で、ダージリンは人的に、根絶やしにされ、財産は没収され、名誉は剥奪され、政治的に失脚しました。
まるで、この世に初めからダージリン家など存在しなかったかのように。
こんな偶然は、あり得ない。
更に、あの日から、生き残った者達への差別化は、辛酸を極めました。この世の全ての悪意が、何故かダージリンに向かう。
噂、マスコミ、ネットによる巧みな情報操作によって、悪いイメージをつけられ、それに追同する責任感の無いその他大勢の者達…。
足掻いても、浮き上がれぬ、絶望感。
頑張っても、報われぬ、哀しみ、寂寥。
弱者が、如何に抵抗しても、正当な主張しても理解されぬ無力感。
この受難によって命を散らした私達の同胞は数千人…。
誰も、助けてはくれなかった。
本当の差別とは、命や身の危険を感じるものと、私は、この時、知りました。
私の話しに、ここに居る誰もが、想い描いたでしょう…人類の敵を。
何しろ奴らは、戦わずに、表にも出ずに相手を破滅に導くのです。ダージリンのような五公爵の内の一つですら一瞬で壊滅するほどの力です。
誰も、逆らう馬鹿は居ないのです。常識で考えれば。
そう、…常識で考えれば。
私は、テンペスト様をジッと見つめました。
テンペスト様は、「何かな?」と不思議そうに私を見つめ返して来ます。
話しを続けます。
けど、そこで私は、いや、私達ダージリン一族は、運命の出会いを果たすのです。
ならば、この受難すら私達の運命だったのかも知れません。
しかし、それは、また別の話し。
次の機会に話しましょう。
話しを元に戻します。
「[蜘蛛]です。私達は[蜘蛛]の仕業であると断定しました。証拠も証跡すら残っていません。全ては偶然に起こったかのように装われてます。ですが、こんな偶然はあり得ないのです。だからこそ断定できる。このような仕業は[蜘蛛]でしか成し得ないと。」
テミ君は、泣きそうな顔をしてました。
聡いテミ君の事です。私の言わんとしている事は理解しているのでしょう。
当時10歳であった私ですら、辛酸を舐めるような記憶です。
当時5歳であったテミ君にとって、保護し世話してくれた蜘蛛は、父母の代わりであったでしょう。
今、私はテミ君に酷い事実を突きつけている。
両親と死に別れた小さい子に、小さな幸せを掴んだ幼な子に私は、何て酷い事を。…胸が張り裂けそうです。
この時、私の肩に、ポンと手が置かれました。
置かれた手の人の顔を、思わず見る。
「まずは事実確認。話しはそれからだよ、ファーちゃん。」
テンペスト様でした。