小猿(後編)
聞きたいか?
聞きたいじゃろ。だが今ここでは語らん。
何故なら、わし若く見えるかもしれんが、70歳越えとるんじゃ。80歳近い年齢じゃ。
ダイジェスト版でも1頁、2頁じゃ語りきれんわいのう。
試しに書いてみたが、無理無理じゃ。
波瀾万丈すぎて書ききれんじゃった。
だから、ここでは端折って試しの儀に着いてから語ろう。
今日は、どうにも調子が悪いわいのう。
クシュン。〜ズズズ。風邪ひいたかのう。
わしが試しの儀に着いた時は、既に皆集まっておった。
弟子のテライも来ておった。
下馬評では、久々の大型新人らしい。
しかも向こうから乗り込んで来たという。
あ〜どれどれ…。
広場の中央には、ギルドのレッドの制服に身を包んだ17、8歳位の肩まで届かない長さの小さな黒髪の女の子が佇んでいた。
なんじゃい…今期の新人は女の子か。
しかも、少女と言えるくらいの歳の可愛いらしい子だ。
…いかんのう。クシュッ。
あんな小さい子を裏の試しの儀に参加させるとは。
元々試しの儀は、表の常識にはみ出す突出した者の処理の為に開催された。
処理とは迷惑な者は処分するか、頭を押さえつけて傘下に加えたりすることじゃ。
まあ、裏のドラフト会議みたいなものじゃな。
その際、勝負して勝った者の傘下に組み込みのが暗黙の了解となっておる。
裏には化け物クラスの実力者がウヨウヨしてるが、性格破綻者もまた多い。一般には悪人の区分に括られる輩もいる。
わしのような善人は、そうそうおらん。
…ここは笑う所ではないぞい。
いつもは、来てない奴らもおるのう。
やれやれ。
試しの儀で、勝負した新人が勝つ事は無い。断言できる。
当たり前じゃ。裏と表では実力が天と地ほど違う。
新人で以前に勝った者は、わしくらいじゃ。
当時は、100年に一度の快挙と言われたわい…懐かしいのう。わし凄いのう。…クシュッ
あ〜何だか熱が出て来たわい。
負けた新人は、その場で処分されるか、又は傘下に組み込まれるか、弟子にされるか、奴隷のようにこき使われるか、枷と監視で様子見となるか、要は勝った者の気分次第じゃ。
あんな可愛い子が負けたら何されるかわからんぞ。
あんな事やこんな事まで…むぅ、いかんぞい。
どうも、今期の試しの儀は、きな臭いものを感じる…まるで誰かの思惑通りに進んでいるような…気に入らん。気に入らんわ。
面倒だが、弟子のテライを対戦させて、わしの所で保護するとするか。…クシュッ。あ、テッシュ、テッシュはどこにやったかな。
…
ふぉっ、驚いた。
あのお嬢ちゃん、テライより実力が優っちょる。
…いかん。
あのまま、勝ってしまうと、テライの試しの儀が不十分と見なされ、次の対戦相手がきっと出てくる。
現に、出ようとしている気配を何箇所かで感じる。
…剣呑な欲望の匂いが、するわい。
テライの未熟者め、鼻の下伸ばしながら行くから不覚を取るのじゃ。わしの見立てでは実力は伯仲しとった。経験の差でテライが勝つもの思ったが。
ジッと少女を見る。
花のように可憐な少女じゃ。だが中身はどうじゃ。
その内観を見る。
わしくらいの達人になると、瞳から人格を垣間見ることが出来るのじゃー。性悪な女に騙され続けたわしには分かるのじゃよ。…見た目にはもう騙されんわ。騙されんぞう。
経験がものを言うわい。
凝視する。
ぬ…強い覚悟と…高潔な人格…を感じる。
猛々しさと…優しさが混然している。
あと、懐かしいような、分からない…惹かれるものが…ある。
これは…郷愁に近い何か。なんだこれは?!
思わず強引に、選手交代した。
ふん、テライの奴、不満タラタラじゃったのう。
まあ、…分かる気がする。
直近で対面してみた。
おおっ、この少女、近くで見ると…魅力がダダ漏れじゃ。
可憐にして、凛とした美しさを合わせ持っておる。
思わず目を追ってしまう。目が離せない。こんな人間おるんじゃのう。…だがそれだけでない何か...懐かしいような…..?
自分でも分からない気持ちを抱きつつ、軽口を叩きながら、少女と闘う。
クシュ、本格的に風邪を引いたようじゃ。
頭に霞がかっておる。
ぬう、集中じゃ。
少女の実力よりも人格の方に、目を見張る。
強さとは、人格から出ずるものだから。
闘ってて分かる…この子は毎日毎日継続して基礎を修練している…十年以上の練度を感じる大きな土台じゃ。それは、たゆまぬ努力。
およそ弱点と言えるものが無い…毎日、試行錯誤して改善している姿がみえる。吸収力と成長率が半端無い。前進する勇気。
正々堂々とワシに向かってくる。至誠。
わしは、これほど内と外の魅力が合致する者を見たことが無い。
いや、いた…昔一人だけ。
なにやら、懐かしい気持ちがした。
一瞬、油断してしまった。少女に首を突かれる。
ぬう、不覚よ。わしとしたことがぁ。
少しだけ、本気を出してやろう。
身体中に力を込める。
わはははっ、わしの奥義よ。少女の鍛え上げた身体に、致命傷をギリギリ負わぬ程度に傷を負わせる力を込める。
可哀想だか入院して表にお帰り。
それがお主のためじゃよ。
そして、当然わしの勝ちじゃ。わはは。
わしは少女に両手刀を繰り出した。奥義[破極突き]
だが突如、見知らぬ白服の少女がわしの前に飛び出した。
「させません。守ります。私が…。」
ふぉー。なぬぅ。いかん!命を懸けて庇うつもりなのか。
止まらない。間に合わんぞ。こんな華奢な身体に奥義が当たれば殺してしまう。
更に、ここから不思議な事が起こる。
バナナの皮に滑るわし。「うおっ。」
突きの軌跡が変わる。そして勢いが更に加わる。いかん。
従前まで、バナナの皮など無かった筈、いやあった、見落としていたのか、何故?
バナナの皮に滑る白服の少女。「キャー。」
あちらにもバナナの皮が。
そんなバナナ。
そして庇った白服の少女を庇うように、更にわしの前に出る少女。
なんじゃ!
躊躇なく、白服の少女を庇う為に命を投げ出すというのか!
刹那の瞬間にコロコロと状況が変わっていく。
全てがスローモーションの様に遅く…感じる。だが身体が展開の変化に追いつかない。
いかん、力が加わった分、致命傷を負わしてしまう。
間に合わん。
少女の顔を見る。
信じられん。その表情は、…微かに笑っている。
何故じゃ、まるでわしに感謝しておるような、そのお陽様のような笑顔は。
それは、全てを赦す笑顔だ。
鼻の奥がジーンとする。その時、……匂い立つ程の、幸せのオレンジの香りを嗅いだ。
遥か昔、約束した言葉を脳裏に思い出す。
(うんうん…えらい。さすが男の子だ。ならば、君がこれから修行して強くなった時は、僕がピンチの時に助けに来て。約束だよ。)
約束だよ
「ふおああがおああぁ!」
なあ、約束は守るものだろう。
この身命を賭してもだ。
無理矢理身体の動きを急停止させる。指先を無理矢理曲げる。
わしの70年の修行が走馬灯のように脳裏によぎる。
全てはこの時のために。
マジで全力を出し切る。
…
…と、…止まった。
顔から身体全体から、ぶわっと嫌な脂汗が吹き出し落ちる。
止める為に何もかも出し切った。
力が入らない、尻もちを付いてしまう。
指先に感覚が無い。
少女がボロボロと涙を溢しながら、両手でわしの指先を包む。
「火猿さん、ありがとう、ごめんなさい。」
…温かい。おそらく治癒魔法を掛けてくれている。
…何故直ぐに分からなかったのだろう。
…この少女は、あの人に瓜二つだ。声までそっくりだ。
あの人が存命ならば90歳に近い…年齢が違いすぎるから、あの人の孫かひ孫なのじゃろうな。
危うく恩人の孫を殺してしまうところじゃった。
脱力して少女に治療を受けていたら、[影]が傍に来ている事に気づいた。
「火猿殿、お主の負けだ。確か同門では、後ろに退がった方が負けだと聞く。それは退がったうちに入るだろう。」
わしが尻もちを着いた箇所を指差す。
…なるほど、確かに[影]の言う通りだ。
わしと彼女は同門だ。違いない。わはは。
どう考えても、わしの負けじゃ。
「そうじゃのう。わしの負けよ。…完敗だ。」
負けであるのに、スッキリと晴れやかな気分がした。
嫌なものが全部外に出し尽くしたような。
いつのまにか風邪も治っている。
わしはこれまで勝ちに拘ってきた。
だが、…負けで良い。これで良いのだ。これが正解なのだと腑に落ちた。
何故なら彼女の勝利が、わしらの明日につながる。
わしの話しは、これで終いじゃ。
また、話しが聞きたいと、思ったら声を掛けておくれ。