プレゼントの中身は黒
クリスマスイブの夜、我が家に響いたのはクリスマスソングではなく娘の悲鳴だった。
「クリスマス会、すごーく楽しかった!」
ついさっき笑顔でそう話してくれた茉奈。今、彼女の顔には絶望と恐怖しか存在しない。私は泣き叫ぶ娘の側にすぐに駆け寄り肩を強く抱きしめた。
小さく震える娘を抱きしめていると視界の端にちらりと何かが見えた。娘の足元を見るとシンプルなネイビーのギフトバッグと鮮やかなブルーのリボンが落ちていた。
「これ……なに? なんなの? なんで? なんで?」
パニックになった娘は私に泣きつきながらずっとギフトバッグを指差している。
春から通っている近所の学習塾。クラスの友だちみんな通っているからどうしても行きたい、そうせがまれた時はすぐに飽きるだろうと思っていた。飽きたら辞めたらいいか、そう思っていたが予想ははずれ娘はずっと楽しそうに通っている。今日はその塾で授業後にクリスマス会があったそうだ。
クリスマス会といってもプレゼント交換をして遊ぶだけというシンプルなもの。みんなでじゃんけんをして勝った人からプレゼントを選んでいくそうだ。予算は500円。小学5年生ならこれぐらいがちょうどいいのかなと先週一緒にプレゼントを選びながらそう思った。
プレゼント。そのプレゼントの中身を見た瞬間、娘は悲鳴を上げた。気になった私はそっとギフトバッグを拾い中身を見た。見た途端に吐きそうになった。
髪の毛だった。
黒くて長いぐしゃぐしゃの髪の毛。それから何かの骨や魚の頭、卵の殻といった生ゴミがたくさん入っていた。袋の中を見るまでわからなかったが酷い臭いがする。
「茉奈はもう見なくていいの。こんなの捨てちゃえばいいのよ」
私はすぐそばにあった小さなポリ袋にギフトバッグを入れて口を強く結ぶと黒いゴミ袋に叩き込んだ。
「もう大丈夫。なにも怖くないわ」
恐る恐る私を見ている娘にそう言うと、私はすぐに出かける支度を始めた。
「お母さんどこ行くの? 家にいてよ」
縋るように言う娘。でも私は支度を辞めなかった。
「お母さん、ちょっと塾に行ってくるわね」
「どうして?」
「誰かが悪い事をしたらちゃんと注意しなきゃダメでしょ?」
「いいよ、お母さん家にいてよ」
「すぐに帰るからいい子にしててね」
引き止めてくる娘を無視し、私はそう言い残して家を出た。
許せなかった。
どうして私の娘がこんな目に遭わなければいけないのか。私には許せなかった。私の娘がいじめられるなんて。そう思うと居ても立っても居られなくなった。
自転車を走らせると冷たい風が容赦なくぶつかってきた。せっかくのクリスマスなのにこんな嫌な目に遭うなんて。せめて塾にはこの件を把握してもらわないと気が済まない。私は自転車を漕ぐスピードを上げた。
塾は二階建ての小さな建物だ。私は塾に着く受付で娘の名前とさっき授業をしてくれた先生に用があると伝えた。大学生だろうか。受付の女の子は最初不思議そうな顔で私を見ていた。しかし、要件を伝えると何かを察したのか慌てて先生を呼びに行った。
「茉奈さんの授業をさせていただいてます。佐々木です」
娘の先生は私と同い年ぐらいの眼鏡の女性だった。先生は私を「面談室」と書かれた部屋に案内してくれた。黒くて長い髪にグレーのスーツ。なんだかベテラン感がある。
面談室の中には大きな本棚があり、中にはぎっしりと教科書や参考書が詰まっている。私は部屋の真ん中に設置された白いテーブルに案内された。
私は椅子に座るとすぐに家でのさっきの出来事を伝えた。最初は感情的な口調にならないように気をつけていた。でも、知らぬ間に大きな声で怒鳴るように話してしまっていた。その間、先生は机の上で両手を組み何度も頷きながら真剣な表情で聞いてくれた。
「茉奈さんのお母さん、一つお聞きしたいんですが茉奈さんが持っていたギフトバッグってどんなものでしたか?」
「だからネイビーですって」
私はつい先生の質問に苛ついてしまった。
「はい、ネイビーというのは先程お聞きしました。それは無地でしたか? 柄はありましたか?」
「えっと、無地でとってもシンプルなものでした。それからリボンは光沢感のある鮮やかな青色でした」
「なるほど、ちょっと待っていていただけますか?」
そう言うと先生は席を外した。
3分ぐらい待った頃、先生が何かを抱えて戻ってきた。私はそれを見て絶句した。
「あの、茉奈さんが持っていたのはもしかしてこんなラッピングではありませんでしたか?」
その通りだった。先生はさっき私が捨てたものと全く同じギフトバッグを持っていた。青いリボンは結ばれていて中身もまだ入っているようだ。
私の中で何かが切れた。
「どうして先生がこれを。まさか先生がこんなことを?」
「いやいや誤解です。これは……」
「先生が茉奈をいじめたんですか?」
「茉奈さんのお母さん?」
「どうして茉奈がいじめられなきゃいけないんですか!」
面談室に鈍い音が響き私は我に返った。私はいつの間にか立ち上がりテーブルを思いっきり叩いていた。右の掌がじんと痛い。
「お母さま、落ち着いてください。私は茉奈さんをいじめていません。ちゃんと話を聞いていただけませんか?」
佐々木先生は落ち着いた声で言った。先生は焦ることもなくしっかりとした目で私を見つめている。
「すみません……つい感情的に」
「お気になさらないでください。とうぞ席に」
「はい……」
私は促されるまま席に着いた。
「これは私が予備で購入していたものです」
「予備……ですか?」
「はい、プレゼントを買うのを忘れた子がいたら渡そうと一つ買っていたんです。中にはシンプルな文房具が入っています」
「文房具ですか。で、それがなんです?」
私には話が見えず焦りを感じた。
「実際、一人の男の子が忘れてしまっていたのでこれを使うように渡しました」
「え? じゃあどうしてこれがここにあるんですか?」
「それがわからないです」
先生はそう言うと初めて表情が変わった。かなり困った顔をしている。
「生徒全員の前で男の子にこれを渡しました。そしてそのままプレゼント交換を始めました。私は茉奈さんが受け取ったところも見ています。なのに授業の後、教卓の下にこれが落ちていました」
「どうしてそんなことが……そんなことがあるわけないじゃないですか!」
私は先生を睨みつけた。先生は相変わらず困った顔のままだ。
「あるわけないと思われるのも分かります。でもお伝えしたことが事実です」
「そんな! 今のを信じろって言うんですか?」
「もちろんこの件についてはしっかり調べた上で改めてご報告させていただきます。ですので大変恐縮ですが調べるお時間をいただけませんか?」
「……わかりました」
真っ直ぐと先生に見つめられた私はそれ以上言えなかった。相手を押し込める、そんな圧が先生にはあった。
「どうしていじめだと思ったんですか?」
挨拶を済ませ家に帰ろうとした時、先生に呼び止められた。質問の意味がわからず、首を傾げていると先生は再び質問を投げてきた。
「どうして『いたずら』ではなく『いじめ』だと思ったんですか?」
「ああ、そんなことですか。だってこんな酷いプレゼントを渡すなんて絶対にいじめじゃないですか」
私は呆れながら言った。この人は一体何が言いたいんだろう? 早く帰りたい私は少し腹が立った。
「でも、プレゼント交換だから誰がどれを選ぶかわからないんですよ?」
「そんなの、なんとなくそう思っただけです」
私はそう言うとその場を後にした。
私が小学5年生の頃、クラスに麻里子という女の子がいた。
綺麗で長い黒髪、可愛い顔、裏表なくおっとりした性格。麻里子は男の子に人気だった。
運動も勉強も苦手、面白いことも言えない。なのに男の子に人気の麻里子。そんな麻里子が私は面白くなかった。いや、私だけじゃない。クラスの女の子に麻里子はあまり好かれていなかった。
きっかけは小さな小さなことだった。12月のある日、一人の女の子が麻里子が話しかけた時に無視をした。特に意味なんてない。なんとなくしたのだろう。しかしその出来事は大きな広がりを見せた。
麻里子が無視された翌日から、一人また一人と麻里子を無視する女の子が増えた。そしてそれを見て面白がった男の子たちも麻里子を無視するようになった。男の子に人気だった麻里子がみんなに無視される、私はその光景を見るのが楽しく仕方がなかった。
「どうしてみんな無視するの? 私の何がいけないの?」
たしかクリスマスの少し前だったと思う。学校から一人で帰っていると麻里子が後ろから追いかけてきた。自分は悪くないのに自分が悪いと思い込む麻里子。私はそんな麻里子がおかしくておかしくてたまらなかった。だからもっと困らせたくなった。
「麻里子がいけないんでしょ? 何が悪いかもわからないなんて。本当に最低」
私がきっぱり言い切ると麻里子は今にも泣きそうな顔になった。ああ、そんな顔もできるんだ。ふとそう思った私の頭にいい考えが浮かんだ。
「許して欲しい?」
「え?」
私がそう言った瞬間麻里子の顔がぱっと明るくなった。
「許してあげてもいいよ」
「いいの?」
「うん、許してあげる。だから今日はもう帰りなよ」
「本当に?」
「本当に」
「嬉しい! 本当にありがとう! バイバイ!」
嬉しそうに手を振りながら走っていく麻里子を私はにやにやしながら見送った。
次の日、私は麻里子を無視しなかった。何気ないそぶりで話しかけ、今まで無視していたことなんて嘘のように接した。私を見てクラスのみんなが最初戸惑っていた。でも、すぐにみんな当たり前のように普通に接し始めた。見ていると麻里子はすごくにこにこ笑っていた。私はそれが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
その日の昼休み、天気が悪く寒かったこともありクラスのほとんどの子が教室で話していた。もちろん麻里子も楽しそうにしていた。そんな穏やかな教室を私はこっそりと出て麻里子の下駄箱にプレゼントを置いた。
次の日から麻里子は学校に来なくなった。来なくなったと言ってもすぐに終業式だったので誰も特に気にしていなかった。
年が明けて学校に行くと麻里子は転校していた。仕事に不真面目な中年親父の担任は転校の理由を「家庭の事情」としか説明しなかった。
ああ、そう言えばこんなことも言っていたっけ。
「このクラスでいじめがあるかもしれないと聞いたけれど誰か何か知らないか?」
麻里子の転校の話の後に誰に聞くわけでもなく呟いた。
「そうだよな、あるわけないよな。面倒ごとは本当に勘弁して欲しいもんだ」
皆んなが答えることなく無視していると再び呟いて先生は教室を出て行った。
麻里子が楽しそうに過ごしていたあの日、私は麻里子にプレゼントを用意した。かわいいネイビーのギフトバッグに中身は教室のゴミ箱にあった埃や髪の毛、ティッシュや鉛筆削りのカス。
それからかわいいクマの便箋に一言。
「やっぱり許さない」
私はこのプレゼントを見たら麻里子がどんな反応をするのか試したくなったのだ。でも、結果は休んで転校。すごくつまらなかった。
最初転校と聞いてどきっとしたけれど不真面目な担任で助かった。6年生になる頃には、私は麻里子のことをすっかり忘れていた。
今日、茉奈の持って帰ってきたプレゼントを見て20年ぶりに思い出した。今思えば私は嫌なやつだった。もし自分の娘がそんな目に遭っていたら正気ではいられない。
そういえば麻里子の苗字ってなんだったかしら。よくある苗字だった気がする。たしか佐々木だったようなそうでないような……
麻里子、今どうしてるんだろう。思い出すと少し気になった。
「流石に20年も経っていたら時効よね?」
塾からの帰り道、ふと無意識に独り言が溢れた。
ちょうどその時だ。
「やっぱり許さない」
耳元で女の子の囁きが聞こえた気がした。
気のせいかもしれない。でも、耳元で誰かに息を吹きかけられたような嫌な余韻が残っている。