《強欲》
時が止まったかのように辺りが静まり返った。否――実際に時が止まっている。
頭を踏みつけられていた少年は、激痛を堪えながらゲスファーの足元から脱出した。少年は一旦、ゲスファーと突然現れた“漆黒”から距離を置く。
何故かは分からないが、時が止まっている中で自分だけが動けるというのは好都合だ。少年は近くに落ちていた長剣を拾おうとするが、利き腕の右腕が折れ、反対の左腕は拳が潰されているため長剣を持ち上げることができない。
頭の中が怒りなどで煮えくり返っている少年は、身一つでゲスファーに体当たりをした。だが鋼のようなゲスファーの肉体には脆弱な少年の体当たりは意味をなさない。
己のあまりの非力さに、少年が唇を噛む。それと同時にゲスファーへの嫉妬心も湧き上がってくる。
どうしてお前なんかが――と。
少年の心から大きな闇が溢れ出す。そしてその心の動きに呼応したかのように漆黒が巨大化し――少年を含む全てを包み込んだ。
■□■
辺り一面真っ暗で、何も見えない空間。
少年は突然の環境の変化に驚愕しつつも、決して取り乱すような真似はしなかった。何故かは分からないが、少年にとってこの空間は非常に心地よいものだったからだ。
ふと少年が左手に目をやると、ゲスファーに握り潰されたはずの手が元に戻っていた。左手同様に、折られたはずの右腕も痛みがなくなっている。
困惑して首を傾げた少年だが、突然ピクッと体を硬直させた。真っ暗な空間の何処からかは分からないが、何者かが少年に声を掛けたのだ。
―――芳醇な香りだ。そう、芳醇な“欲”の香りがする。分不相応な者による、分不相応な欲。これを《強欲》と呼ばずして何と呼ぶ!
明らかに人ではない存在が少年の目の前に顕現する。背中から巨大な翼を生やした人型“ソレ”は一見天使のようにも見えるが、天使の翼は純白のはずだ。少年の目の前に顕現している“ソレ”の翼の色は漆黒であり、天使の純白の翼とは正反対の色である。
天使のようで天使ではない存在が少年の頬に手を伸ばす。
少年はビクッと体を硬直させるが、“ソレ”から流れ込んでくるナニカに硬直が和らいでいく。
「成程、私が触れても狂わないか。――君、私の後を継げ。これは確定事項だ」
少年の頬に手を当てたまま、“ソレ”が一方的に告げる。少年は何か言おうとするが、何故か口が開かない。
「継承は本来、本人と相手、双方の同意が必須なのだが……愉快なことに、君は既に《強欲》を身に宿している。つまりは――より上位の《強欲》を有している私に決定権があるということだよ。それに……ふふっ。君は《強欲》に加えて《憤怒》と《嫉妬》まで身に宿している。先々が楽しみだ。――さて、継承を始めよう」
言うと同時に、“ソレ”の手が少年の唇に触れ――少年の口が勝手に動き、その名を口にした。……してしまった。
「マモン」
それは“禁句”。決して口にしてはいけない悪魔の名。
「ここに継承は成った。たった今から、君の名は“マモン”だ。マモンよ、身の丈に合わぬ《強欲》を抱く者よ。その《強欲》で、すべてを手に入れてみせよ――」
“ソレ”――先代マモンの言葉を最後に闇が晴れ、時が動き出した。
毎日更新だ! 突っ走れー!