幸せになるべき人
真夜中、スラムで倒れていた少年が起き上がる。
少年の格好は非常に貧相なものだ。襤褸切れ一枚を羽織って何とか局部を覆い隠してはいるが、それ以外の個所からは血行の悪そうな肌が露出している。
起き上がった少年は行く当てもなく歩き始める。
日本ではないこの世界に来てから丸一週間が経ち――少年は死にかけていた。
この世界に来た時に着ていた服はスラムの住人に襲われ、強奪された。少年がいま身に着けている襤褸切れは死んでいた老人から拝借したものだ。殆ど裸のような格好だが、裸よりは寒さを凌げる。死んでいた老人が着ていた襤褸切れを身に着けることに最初は罪悪感などを感じていた少年だが、いまは罪悪感など欠片も感じない。
いまの少年には罪悪感を感じるための体力さえ残っていないのだ。
ふらふらと歩いていた少年は傍にあった壁に凭れ掛かる。
もう何日も口に入れていない。少年が最後に口に入れたものは腐った水だ。味も臭いも最悪だった。しかしあれを飲んでいなければ少年は今ごろ死体になっていただろう。少年の視線の先にある少女のように――
「――ッ!?」
壁に凭れ掛かっていた少年がなけなしの力を振り絞って少女の方へ歩み寄る。既に命の灯が消えている少女の横で膝をついた少年は、少女の顔にかかっていた布を取った。
……少年はこの少女の顔に見覚えがあった。誰かに殴られたからか顔の形が変わっているが、間違いない。この少女は数日前、干からびて死にそうだった自分に腐った水を飲ませてくれた子だ。
「なん……で……」
「君は……その子の知り合いか?」
突然、声を掛けられた少年は背後を振り返る。そこには少年と変わらぬような格好の老人がいた。
「知り合いじゃないけど……水をもらった」
「君もか……」
「……君も?」
少年は老人の言葉に引っ掛かりを覚えた。そして直ぐに理解する。
「この子はスラムの住人を助けておった。自分もギリギリじゃったはずなのに、儂や君のような弱者を助けておったんじゃ。それが面白くなかったんじゃろうな……今朝、その子は荒くれ者に―――」
途中から老人の言葉は少年の耳には入ってこなかった。ある感情が少年の心を支配したからだ。それは――怒り。
「どうして、助けなかった……見てたんだろ? どうしてだ! どうして!!」
死に体だった少年が老人に飛び掛かり、押し倒す。老人は少年から一切目を逸らさず答えた。
「……怖かったんじゃ。儂だってこの子を助けたかった。じゃが……怖かったんじゃよ……」
少年は老人の襤褸切れから手を離した。老人の感情も理解できたからだ。
誰だって死ぬのは怖い。少年とて死ぬのは怖い。でも……それでも……。
「この子は、スラムで死んでいい子じゃなかった。幸せにならなきゃいけない子だった」
それだけ言うと、少年は立ち上がって歩き出す。少女の無念を晴らすために。
「君っ……儂の分も頼む……」
老人は少年が何処に行こうとしているのかが分かったのか一瞬止めようとするが、止めようとする言葉の代わりに出た言葉は自分の無念も晴らしてくれという正反対の言葉だった。
少年は返事をせずに歩き続ける。目的地は少女を殺した男――このスラムの支配者の住処だ。
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