伍ノ其
ぼんやりとした意識の中、何かの電子音と数名の足音が聞こえる。
この臭いには覚えがある、消毒薬のエタノール臭だ。という事は、今の電子音って心電図か何かの音で、ここは病院なんだろうか。ただ、確認したくても瞼が重くて開け難い。
それよりも、何故こうなってるのか判らないけど──
「ぐあぁぁぁぁっ!」
意識が戻った途端全身に激痛が走り、正義は大声を上げてのけぞってしまう。
「草薙さーん? 大丈夫ですよー、落ち着いて下さいねー」
「君、鎮痛剤の準備」
「はい」
医療スタッフであろう人達の声が次々と聞こえ、しばらくして鎮痛剤らしき注射を左腕に打たれる。即効性の鎮痛剤なのだろう、徐々に痛みが引き体が楽になってくるのが判った。
「あー、君。千葉さんと…曲木さんにも、一応意識が戻った事伝えて」
「判りました」
千葉? 曲木?
意識を失っていた事による記憶障害で、名前を聞いてもそれが誰なのか思い出せなかった。だが、脳裏にじわじわと記憶が蘇ってくると千葉は自分の上司で曲木は仲間だと理解し、
「そういえば、三宿の戦闘!──ぐあッ!」
正義は、全てを思い出した勢いでベッドから起き上がるが、無理に起き上がったせいで再び激痛に襲われてしまう。
「草薙さん! まだ安静にしてなきゃ駄目ですよ、落ち着いて横になって下さいねー」
寝ている場合じゃない。
加賀がタケミカヅチのタマハガネを握ったかと思えば、いきなり発砲してきた。あれは一体どういう事なのか非常に気になるが、それ以上にタケミカヅチは完全に倒せたのかどうかも気になる。もし、あれから戦闘が続いているのであれば、こんな所で休んでいる場合じゃないだろう。
《これで、俺も…の仲間入りだ》
意識を失う直前、加賀が呟いた言葉を聞いた。はっきりとは聞き取れなかったが、彼は「神の仲間入り」と言っていた様な気がする。だとしても、どうやってそんな事をするつもりなのだろう…
「おう、兄さん! 生き返ったって本当か!?」
処置室のドアが開くと、大急ぎで走ってきたのか千葉が息を切れ切れにさせながらも大声を出しながら入ってきた。少し遅れて、茜も息を切らせながら入ってくる。
「大丈夫か!? 痛い所はないか!? 怪我の具合は──」
「千葉さん、草薙さんは安静にしてなきゃいけないんですから、そんな大声は出さないで下さい」
余程心配だったのだろう、千葉は矢継ぎ早に声をかけてくるが余りの興奮振りにスタッフから注意を受けてしまい肩を落としている。そんな千葉を尻目に、茜は正義の顔色を見て不安と安心が入り混じった表情で淋しげに微笑んでいる。
「草薙君が意識を失って三日経って、流石にみんな気が気でなくなってた状態だったんだ」
茜は、千葉をフォローする様に簡単に状況を説明する。確かに、それだけ寝込んでいれば千葉でなくとも心配で不安にもなるだろう──
「え? 三日?」
茜の言葉を反芻させて、正義は逆に混乱してしまう。イレディミラーの直撃で意識が遠退き、次に目を覚ました時はここにいた。てっきり数時間程度なのかと思っていたが、まさか三日も意識を失っていたなんて。
「そ、それじゃ、三宿の状況はどうなったんですか!?」
「タケミカヅチは、草薙君が倒してくれたのは覚えて…ないかな?」
興奮している正義に不安になりながらも、茜は彼を落ち着かせる為にゆっくりと言葉を紡ぐ。正義がタケミカヅチを撃破し、新たなエソラムも現れる事はなく、正義の負傷というよくない結果を残す羽目にはなったが戦闘に関しては何とか片付いた。少なくとも、正義の怪我が治るくらいの期間はそんな仰々しい戦闘も起こらないのではないかという管制室の連絡もあった。
「だから、草薙君は療養に専念して」
茜が嘘を吐いている、と正義は瞬時に判断した。表情の硬さ、淡々とした説明口調、何よりも目が泳いでいる。恐らく、彼女はこの場では何かを隠すべきだと判断して嘘を吐いているんだろう。
「加賀さんの事ですか?」
遠回しに訊いても誤魔化されるだろうと、正義は茜の目を見てストレートに言葉をぶつけた。案の定、焦った茜は思い切り目を逸らせてしまう。
「判ってそうなら話すが…あの野郎は謀反しやがった」
焦る余り言葉の出なくなった彼女の代わりに、それ迄黙っていた千葉が口を挟んだ。
「話せば長くなるから、怪我の容態が落ち着いてから全部話すが…今後、エソラムや『天人』の他に、ミカガミとも戦う必要が出てしまったって事だけは報告しとく」
千葉は茜と違い、言葉の端々に苛立ちに近い感情を見せている。
『ミカガミとも戦う必要』と言うって事は、加賀さんはミカガミを装着したまま組織を裏切った事になる。それだったら、千葉さんだけじゃなく大和司令や姫城さん、いや、コインデック全員が彼に怒りの感情を抱いていてもおかしくはない。
「『神の仲間入り』か…」
いつから考えていたのか、どうやればその発想に至るのかは本人でなければ答えが判らない。それでも、何かしらの方法を見付けそれを実行するのに組織を裏切って迄行動を起こすなんて…
「兄さん、今何て言った?」
「え?」
千葉にいきなり質問されて、正義は加賀の言葉を独り言で呟いていた事に気付いた。とはいえ、隠しても意味のない事だという事は理解していたので、加賀とタマハガネの奪い合いになってから自分が意識を失う迄の覚えている限りの出来事を簡単に説明した。
茜はタケミカヅチの本体が邪魔をして加賀が発砲した先が正義だとは気付かず、千葉もバンに設置された中継用カメラでその瞬間を目撃しておらず、正義が意識を失う程の負傷をした原因に合点がいったと同時にショックを隠しきれず呆然としてしまう。
「曲木、俺は今の話を司令に伝えてくる──兄さん、まずはゆっくり休んで体を労わってな」
動揺した気持ちを落ち着かせ、千葉は立ち上がると踵を返して処置室を後にした。だが、茜は正義から聞いた話を受け入れるのが辛いのか肩を震わせながら泣くのを堪えるので精一杯だった。
「…私、後悔してる」
沈黙を破る様に、突如茜が口を開いた。
「草薙君が私達に協力してくれる様になって、凄く嬉しかったけど…こんな目に遭わせてしまうなんて思ってもみなくて…」
守護者である以上、エソラムとの戦闘で怪我をするのは仕方のない事だった。それは、守護者の道を選んだ正義には覚悟してもらわなければならない事ではあるが、仲間である筈の者から攻撃を受け意識不明の大怪我を負わされる等本来だったらあってはならない事だ。しかも、それがまだ自分であれば致し方ない部分もあるかもしれないが、いくら守護者になる事を納得してくれたとしても元々一般市民でしかなかった相手に大怪我を負わせてしまった。こんな状態に巻き込んでしまうとは思っても見なかった、で済む話ではない。
「本当に…ごめんなさい…」
茜は感極まって、つい涙を零してしまう。だが、正義は暫く茜の姿を黙って見ていたかと思うとおもむろに「俺は、今後も守護者続けますよ」と口にした。
「加賀さんに襲われたのは意外だったけど、だからってケツ巻いて逃げる気なんてこれっぽっちもないですよ」
ケロッとした顔で言ってのける正義に、茜は唖然とした顔で反応してしまう。
「これから二人で鬼退治は結構きついだろうけど、加賀さんが抜けた分も頑張りますから」
この場で加賀を糾弾しても意味がない。それだったら、チームメイトとして彼女のフォローをする事が優先だ。今ここで先々の不安を口にしたって何も始まらないし、今後どうなるかなんて誰も判らない。だったら、逆に楽観的になって気休めを口にした方が頭がスッキリする。
正義のそんな気持ちに気付いたのか、茜も涙が伝っていた頬を誤魔化しながらこすると精一杯の笑顔を見せて、
「私だって、君に負けない様にパワーアップするんだから覚悟しててよね」
このやり取りは単なる現実逃避なんだろう。でも、今はこれでいい筈だ。
加賀さん。
貴方はきっと、俺等が絶望に支配されて怯えている姿を想像していでしょうが、残念ながら思い通りになるつもりはこれっぽっちもありませんよ。貴方が思っている以上に、俺等は悪足掻きをするのが得意なんだって事を、これから嫌という程見せ付けてやりますよ。
茜に見せる笑顔の裏で、正義の心の中は加賀に対する怒りで燃え上がっていた。




