壱ノ其
東京都新宿区新宿三丁目──午後。
靖国通り沿いのファストフード店で、茜は正義の見てる前で大きな口を開けてフィレサンドにかぶりついた。そんな彼女を見ながら、正義は軽く苦笑いしながらコーラをすする。
新宿ピカデリーでどうしても観たい映画があるからと、正義は茜に半ば強引に外に連れ出された。突然の事に戸惑ってしまったものの、タケミカヅチ戦で意気消沈気味だった彼にとっていい気分転換にはなった。
「特典付きのパンフがなかったのは残念だったなー」
目の前で無邪気な笑顔でポテトを頬張る茜を見ていると、その一方で人知れず魍魎を相手に戦う守護者であるという事が信じられなくなってしまう。
それだけではない。
戦闘に明け暮れる毎日に慣れてしまったのか、今迄は普通だった“外をぶらつく”という行為が新鮮に感じてしまう感覚の麻痺──自分達が非日常的な世界に足を踏み込んでしまっている事実は、あからさまに正義の中にあった“当たり前”を全て崩壊させていた。
「…こら、まーた難しい顔してる」
脳裏をよぎった不安が顔に出ていたのか、テーブルの反対側から茜に額を突かれてしまう。
「今日は久々のオフなんだから、難しい事は全部忘れてリフレッシュしなきゃ!」
恐らく、彼女なりに気遣ってくれているんだろう。以前、メカニック統括の津久井と話をした際に
「自分の中でイケてると思い込んでる最中に手痛い目に遭うと、大抵のヤツは途端にやる気を失くしちまうんだよな」
と言われた事があった。茜は、それを守護者になる前から何度も見てきているんだろう。それだから、先輩の立場として心配し励まそうと明るく努めているんだろうな…と、正義は茜の気遣いが嬉しくなり思わずフフッと軽く笑ってしまった。
「難しい顔は生まれつきだから仕方ないじゃないですか」
「おうおう、ナマ言ってくれちゃってるじゃないの」
この日常は束の間の事かもしれない。
でも、それが周囲の人達の日常を守る為だったら喜んで非日常の世界に身を投じても構わない。ただ、今だけは自分達もみんなと同じ日常にいる事を許してほしい──
茜の手元に置かれたスマートフォンが小刻みに揺れた。
マナーモードにしていたからか、着信音はならないもののバイブレーションが鈍い音と共に本体をカタカタと揺らしている。
「まだ、ポテト全部食べ終わってないのになぁ」
不満の色を思い切り表情に出しながら、茜は大人しく着信に応じる。そのスピーカーから、千葉の声が正義に迄はっきりと伝わってきた。
「曲木、今何処にいる?」
「えー、草薙君と一緒にピカデリーの近くにいますけど?」
かけてきた相手が千葉と判った途端、茜は再びポテトを口に入れ出した。そのやり取りから、千葉の些細な電話に何度も苦労させられていたのだろう事が正義にも理解出来た。
だが、そんな彼女に対して千葉は即座に「判った、今から迎えに行く」と、神妙な口調で返答してきた。それは茜にとって思ってもみなかった反応で、
「…何かあったんですか?」
「何か、なんてもんじゃねーよ…とんでもねー事になりやがった」
その言葉に、二人の頭の中で『天人』という文字が浮かぶ迄そう時間はかからなかった。