第九話
アウトドア部と干物部による、毎年恒例の燻製会の出来事です。
長年、干物部の顧問を担当しているベテランの滝沢よし先生を慕って、卒業生から「これ、干物に使ってください。」とほぼ毎週、どこかしこから様々な食材が届く。
たまに干物部だけでは使い切れないほど多く頂いた食材なぞは、他のクラブにおすそわけ。
といっても、ほとんどのクラブはもらってもちょっと困るということで、果物や野菜類などは飲み物部、肉や魚などは料理研究会にもらってもらうことが多い。
今回の様に毎年恒例となったアウトドア部との合同燻製会の時は、頂いた食材を全部使いきれるのだった。
「…という手順で皆さん作業に入ってもらいます…皆さん、くれぐれも怪我しないように気をつけて…じゃあ、滝沢先生…後、何かございましたら…お願いします。」
アウトドア部の顧問、池田先生の説明がひとしきり終わると、続いて干物部顧問の滝沢先生が続けた。
「皆さん、美味しい燻製を作りましょうね…では、どうぞ…始めてください。」
ニコニコと優しい笑顔の滝沢先生は、いつもの小花柄の割烹着姿がとても似合っていた。
干物部とアウトドア部の部員が丁度良く交じるように、幾つかのグループに分かれた。
山形るかと永田ちかは同じグループになった。
和気藹々と始まった燻製作りだったが、一人だけ苛立ちを隠せずついには怒鳴るように声を荒げた。
「そこのお前っ!ちゃっちゃとやれや!さっきから見てっと、お前だけのろのろ…やる気あんのかよ!」
それはアウトドア部の2年、富田祐介だった。
「あっ…ごっ…ごめんなさい…。」
みんなと談笑しながら燻製にする鮭を捌いていたちかは、いきなり後ろから大声を出され包丁で手を切りそうになった。
「はぁ、びっくりしたぁ…間違って手ぇ切っちゃうかと思ったぁ…。」
「大丈夫?ちかちゃん?あたし代わるよぉ…それにしても何?あの人?富田だっけ?なんであんな偉そうなの?」
「わかんない…なんかあたし、どんくさかったんじゃない?」
「そんなことないって!ねぇ…馬子ちゃん。」
「うん、全然ちかちゃん悪くないよぉ…だって、他のグループのみんなもにこにこゆっくり丁寧にやってるじゃん!ねぇ。」
辰巳馬子は目の前で作業していた菅原翔に話を振った。
「ああ、永田さん、気にしない、気にしない…あいつさ、キャンプん時とかたまにそういうことあっから…それよか、ごめんなぁ…空気悪くしちゃって…。」
「あ、ううん、菅原君何も謝ることないよ…ねぇ、ちかちゃん…急に怒鳴ってきた富田だっけ?あいつが悪いよ。」
るかの言葉に、そこにいる一同はうんうんと頷くのだった。
「お前っ!さぼってんじゃねぇぞ!何ぼーっとしてんだよ!」
「お前っ、へたくそだなぁ、ちゃんとやれや!」
「お前っ!馬鹿っ!何やってんだよ!」
富田から何度も執拗に怒鳴られていたちかは、堪らずとうとう泣き出してしまった。
見かねたるかが大声を出した。
「ちょっとぉ!さっきから何あんた!ちかちゃん、ちゃんとやってんのにさ!なんかちかちゃんに恨みでもあんの?ちかちゃん、誰にも迷惑かけてないじゃん!丁寧にやってるじゃん!それなのに…何さっ!」
しゃがみこんでしくしく泣くちかを、グループの仲間が囲んで慰めた。
「あらあら、どうしたの?」
そう言って滝沢先生と池田先生が、こちらのグループの元にやってきた。
「先生!さっきからこの人がくどくちかちゃんのこと怒鳴って…ついに泣かせちゃったんです!ちかちゃん、ちゃんとみんなと一緒に一生懸命やってんのに…お前呼ばわりで大声出して…酷いんです。」
るかの説明に泣いているちかの背中をさすって慰めていた面々は、こくんと大きく頷いた。
「あらま、そうなの?駄目じゃない…え~と…。」
滝沢先生が顎に人差し指をつけて考え込むと、池田先生がすかさず「富田です。2年の富田祐介。パン屋の弟です。」と教えてくれた。
それを聞いたちかは、泣きながら心の中で「嘘っ…。」と呟いた。
「そう、その富田君…あなた、駄目よぉ。うちの部のちかちゃんをいじめちゃ!」
「そうだぞ!富田、そういうことするやつは燻製作りに参加させないぞ!いいのか?」
二人の教師に叱られた富田は、ふくれっ面のまま、ちかに「ごめんなさい。」と頭を下げた。
「ねぇ、ちかちゃん、富田君もこうやってちゃんと頭を下げたんだから、このまま、一緒に燻製作り続けてもいいかしら?」
本当は嫌だったけれど、ちかは「はい。」と了解したのだった。
燻製が出来上がるまでの間、富田を抜かしたグループの面々は色んな話で盛り上がった。
他のグループもどうやら同じ様子。
ふてくされているのは富田だけだった。
なんだよ!あいつ!…ちくしょー!…永田ちか…入学の時からずっと見てたけど…だけど、同じクラスじゃねぇし…パン買ってる時、兄ちゃんのこと…あんなあからさまに…好きだってバレバレだっつの…なんだよっ!面白くねぇなぁ…俺の方が兄ちゃんよりも前から、あいつのこと知ってんのに…何だよ!あいつ…さっき池田ちゃんがパン屋の弟ですっつった時のあの驚き…去年だって…一緒に燻製作りやったのに…あいつ、全然覚えてねぇんだもんなっ!くっそ!…折角今日は近くにいるけど…なんか全然こっち見ねぇし…ムカつく!何だよ!…永田…ちくちょー!俺にはあんな笑顔見せねぇくせに…イライラすんなぁ!
一人だけグループから離れた場所で膝を抱えて腐っていた富田は、時折チラッチラと涙が残る頼りない笑顔で仲間達と談笑しているちかを見ては、更に膨れた。
ちょっとしたお店が出来るぐらい、沢山燻製が出来上がった。
まだ、薄っすら湯気が上がる出来立てを、参加した全員で試食。
「あ~、おいし~!」
「桜のチップの香りがやっぱいいねぇ~。」
生徒達の感想をよそに、池田先生は一人「あ~、ビール飲みてぇ~!」と叫んでいた。
それぞれ作った燻製を分け合ってビニール袋に入れてお土産になった。
「楽しかったねぇ。」と言いながら片付け終わって帰り支度を始めた頃、ふてくされていた富田がずんずんと怖い顔でちかの前にやってきた。
一瞬、ちかだけじゃなく周りの面々も身構えた。
「…あのさ…あの、その…さっきは怒鳴ってばっかでごめんな…これ…その、なんだ…お詫び…。」
そう言ってちかの前に学校の裏の土手で摘んだらしい、名前もわからない小さな花の束と「富田ベーカリー」の好きなパン交換券を5枚くれた。
「あ…えと…。」
ちかはそれ以上言葉が出て来なかった。
富田は「お先に!」とばかりにだだだと走って帰ってしまった。
何が起こったのかイマイチ理解できていないちかは、だんだん小さくなっていく富田の後ろ姿を目で追うのが精一杯だった。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
お話はまだ続きますので、どうぞよろしくお願い致します。