第三十一話
お話の続きです。
どうぞよろしくお願いします。
「…お前さぁ~…すぐそうやっていちいち検索すんのなっ!だから、つまんねぇって言ってんだよっ!わかんねぇのか?なぁ…」
かつてお笑い芸人を目指したことがある店長のいる居酒屋で、来月に控えた「お笑いライブ」の打ち合わせをしていた「がっつりめし」の片山は、飲んでいたレモン酎ハイのコップをテーブルの上に乱暴に置くと、一緒にいる後輩にそう聞いた。
後輩のピン芸人「ズキュン熊岡」こと、熊岡ひろゆきは、ずり下がったメガネを元のきちんとした位置に戻すとすぐさま反論してきた。
「何故ですか?何でですか?だって、わからないって言うから、わざわざ検索して調べてあげてんですよ!礼を言われることはあっても、つまらないって言われる筋合いはないですよ!だいたい…。」
高卒の片山は、大学院卒の高学歴の熊岡にそれ以上何も言いたくなくなった。
「あ~あ…しらけんなぁ…こういうやつ、いるとさぁ…ホント、やんなっちゃう…なぁ、俺さ、もう帰っていいかなぁ…わりぃんだけど、打ち合わせはまた今度でお願いします…。」
片山とコンビの長井、そして、「パンスキー」の二人と後輩のトリオコントの「行くぜ!アニキ隊」は会計を済ませると、さっさと店を出た。
少しふてくされたままの熊岡は納得がいかないままだったが、自分の分の支払いをしてくれていた先輩達の優しさに気づくと、追いかけるように店を出て大声で礼を言い、膝におでこがつくまで頭を下げて見送った。
「…僕…余計なこと…したんですか?」
熊岡と一緒に店から最後に出て来た先輩女芸人コンビ「ピンキーハート」の対馬みずきは、眉をへの字にした困った表情で「う~ん」と答えた。
「…悪いこと…じゃないんだけどさ…あの場合…みんなでわかんない、わかんないってあーだこーだ話してるのが楽しいからさ…別に正解を求めてない訳じゃないんだけど…う~ん…なんて説明すれば…。」
みずきの相方、川崎塔子がさっきの場合の雰囲気を自分なりの言葉で教えようと頑張った。
「あ、でも、熊岡くんさ、大学院まで出てんだもん…頭いいんだもん…そういうのわかるんじゃないの?」
勉強ができることと、そういう雰囲気を察知するということはどうやら別らしいのだが、高学歴の熊岡に対し、塔子は少しだけ意地悪げに聞いて続けた。
「そもそもさ、なんで熊岡君、お笑いなんてやろうと思った訳?大学院まで行って勉強したんだったら、もっとこう…なんて言うのかなぁ…いい就職とかできるじゃん。あたし達なんかと違ってさ…。」
「そ…それは…。」
人より幾らも高いプライドが、熊岡の返答を邪魔した。
「あ、もうこんな時間…すいません!見たいテレビドラマ始まっちゃうんで…今日はこれで…失礼しま~す。」
「ああ、はい、気をつけてね…じゃね、また。」
「ピンキーハート」の二人は、焦ってその場を立ち去るように帰って行く熊岡の自転車を見送ると、自分達も駅の方に向かってゆっくり歩いた。
「熊岡ってさぁ…なんで芸人になんかなったんだろうね?」
「さ…さぁ…。」
対馬みずきにとって、「ズキュン熊岡」のことなど正直どうでもよかった。
「だってさぁ、大学院まで行ってんだよ?そんなに一生懸命、何、勉強してたんだろうね?」
川崎塔子にとって、熊岡ひろゆきの存在が全く理解できない存在ではあるのだが、どうして同じ世界に身をおこうとしたのかということが気になってどうしようもなかった。
「知らないし、知りたくもないかなぁ…あいつさ、全然面白くないじゃん…それに親に高い授業料出してもらって、大学だけじゃなくて、その上の大学院まで出してもらって、あんなの親不孝じゃん!あたしが親だったら泣くよ!金返せ!って言いたくなるよ!きっと…だから…。」
みずきはそこまで言いかけて、口をつぐんだ。
塔子はその続きを聞くほど、野暮じゃなかった。
小学校からずっと一緒の学校だったみずきが、家庭の経済状況のせいで大学進学を諦めざるを得なかったことを知っているから。
みずきが放った「だから。」の続きは、「あいつ、許せない。」だろうなと塔子にはわかっていたし、塔子自身も同じことを少しだけ思っていた。
…僕は…やっぱり…駄目なのかなぁ…お笑い…向いてないのかも…でも…でも、どうしても…彼女のこと…見返したい!それができたら…もう…止めて…それから…それから…。
帰り道、熊岡の脳裏に大学院時代に付き合っていた彼女鬼塚ふたばの可愛い笑顔と共に、彼女を略奪した綱島五郎のこちらを嘲る様な笑い顔を思い出すと悔しくてつい道路に落ちてる小石を蹴った。
そんな中、カバンに入れたスマホが鳴った。
メールの相手は今、思い出したばかりの鬼塚ふたばからだった。
「ひろゆき、元気?あたし達、再来月結婚することになったの。だから、結婚式にはひろゆき、絶対来てね!会えるの楽しみ!じゃ、おやすみなさい。」
「ちくしょー!ちくしょー!ちくしょー!」
熊岡はアパートに到着するなり、部屋の壁を何度も何度も殴った。
ドンドンドンドン。
「うるせぇ~ぞぉ~!」
「あ、す、すいません!」
隣の部屋の強面の住人に壁越しに謝ると、熊岡は急に手が痛いと感じた。
見ると、手から血が滲んでいた。
次の日、いつも通りバイト先のコンビニに到着すると、バイト仲間でもある「ピンキーハート」の川崎塔子にすぐさま手の傷を発見された。
「おはよう!って、どしたの?それ?痛いでしょ?あ、あ、ちょっと待ってて…今、店長に救急箱聞いてくるから…。」
コンビニの制服に着替えた熊岡はバイトが始まる前、川崎塔子に丁寧に傷の手当をしてもらった。
「どしたの?それ…。」
「はぁ、まぁ、ちょっと…色々…はい。」
「昨日、別れた時はなかったよね、それ…。」
「ええ、まぁ、はい…そうですねぇ。」
「大丈夫?痛いでしょ?結構腫れてるけど…病院行かなくて大丈夫?」
「ええ、まぁ、多分…。」
「…そっか…じゃあ…何があったかは知らないけどさ…あんま無理しないでさ…ねっ!」
こんな荒んだ気持ちの時人から優しくされることが、これほどまで堪えるとは熊岡は知らなかった。
「あ、僕、ちょっとトイレ…あの…トイレに…すいません、ありがとうございました。」
さささと逃げるようにその場を立ち去った熊岡の目に、きらりと光るものが見えた一瞬、川崎塔子はドキッとした。
…え、嘘っ!熊岡くん、泣いてたけど…包帯の巻き方、ちょっときつかったかなぁ?怪我、もしかして結構痛いとか?…今、ちょっと泣いてた様に見えたけど…熊岡くん…。
自分よりも少し年下の熊岡のことが、なんだかいつもよりも気になる塔子だった。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
お話はまだまだ続きますので、引き続きよろしくお願い致します。




