幼馴染
片倉雅樹は病室に掛けられたプレートに目を向けた。
神楽と司、二人ともが同じ301号室にいることに違和感を感じながら中へ入ると、白衣の男が立っていた。
雅樹は会釈をすると神楽を見る。その姿は、ただ寝ているようにしか見えない。
周囲を見回してみても、実体がないと言っていた奇妙な姿の神楽はいない。
「二人の状態はどうなんですか?」
白衣の男に問いかけると、男は少し視線を落とした後、顔を上げた。
「きみは?」
「二人の友達です」
「二人とも?」
男が驚いた顔をする。
「はい」
「――そうですか」
男の態度に雅樹は重苦しいものを感じ、状況があまりよくないのだと判断する。
「二人は?」
と同じ質問を繰り返す。
「――正常です。二人はいたって正常なんです」
思わぬ答えに、雅樹は眉を跳ね上げる。
「いつ目が覚めてもおかしくないってことですか?」
「だと良いのですが、正直なところ、私には答えかねます」
医者らしからぬ発言に、雅樹の心は苛立ちを覚える。
「彼らは、正常すぎるのです。一人なら、そういうこともあったかもしれない。しかし、二人の検査結果にはほとんどブレがない。呼吸をしているだけと言うべきか、医者の私が言うのもなんだが、人と言うより巧妙に作られた人形、そんな感じさえしてしまう。無論、今の技術で、そんなものを作るのは不可能なのだけどね」
「例えば……ですけど、意識だけが分離して体にないから、意識を取り戻さないなんて事は?」
「唐突ですね、幽体離脱、臨死体験という類の話は、科学的には証明されていません。ですが、事故で意識を失っていた患者が、事故現場で自分が救助される様子を記憶していた、ということがあったり、存在しないと言い切る事もできませんね」
「――今、何かできることはないんですか?」
「申し訳ない。今はただ、見守るしかない。彼らを意識不明にしている要因が分かれば、それを取り除くことも可能かもしれないのですが……」
雅樹は肩を落とした。
不意に、部屋の外からスリッパの音がした。その音はドアの前から遠ざかっていく。
誰かがそこにいたのかと、雅樹が部屋を飛び出す。
同じ高校の制服を着た女の子の後姿が見えた。それが、彼の幼馴染の優希だと気づいて、雅樹は後を追った。
廊下の角を曲がり階段にたどり着くと、足音が響く階下へと向かう。
雅樹が優希に追いつくのには、それほど時間を要しなかった。
「待ってくれ、優希」
雅樹が優希の腕を掴む。
「どうして? わたしの、わたしのせいなの?」
優希が悲痛なうめきを漏らす。
「どうして、お前のせいになるんだ?」
「一緒に……いたの。
――あの日、わたしは神楽と一緒にいた。目の前で倒れた神楽を見て、わたしは何もできずに、ずっと名前を呼ぶだけだった。
どのくらい……、そうしていたのか分からないけど、それからようやく保険室まで行って先生を呼んで……。
――わたしが、あなたみたいにしっかりしてれば……。こんなことには……、ならなかったかも知れない」
顔を背け俯いたまま、ポツリ、ポツリと優希が語る。
「俺がすぐに動けたのは、昨日も救急車騒ぎがあったことが頭にあったからだ。それに、司だって同じ状態のようだし、お前が悪い訳じゃないだろう?」
「……放して」
優希の瞳に涙が滲む。
緩んだ雅樹の手を振りほどくと、彼女はその場を走り去る。
それ以上、彼女を追いかけることができず、雅樹はその後姿を、じっと見つめ続けた。
家が近所ということもあり、雅樹と優希は小学生のころからの知り合いだった。
だが、雅樹がこんなにも弱い優希を見たのは、あの時以来だった。
いつも気丈な彼女が、時折見せる弱さを、雅樹は知っている。
中学二年の時、彼女の弟が亡くなった。
自分の両親が難しい病名を口にしていた気がするが、はっきりとは覚えていない。
優希は一週間以上学校を休み、一ヶ月近くもの間、誰の言葉にも耳を貸そうとはしなかった。
休み時間に誰かと話しているかと思ったら、急に教室を飛び出して、そのまま帰ってこなくなったなんてこともある。
「くそっ!」
雅樹が廊下の壁を殴りつける。
「きゃっ」
と、後ろで短い悲鳴が上がった。
振り返った雅樹の目に月宮小羽の姿が映る。
「片倉……くん?」
そうだ、あの時、優希を救ったのが小羽だった。
ただ毎日、教室からぼんやりと空を眺めていた優希に気づいた小羽が、優希の教室にやってきた。
そして、前の席に座ると、優希に言葉を掛け続けていた。
「驚かせて悪かった。
――ひょっとして、優希を探してるのか?」
「ええ」
「――医者が、『原因がよく分からない』と言ったのを聞いちまって、飛び出していってしまった」
小羽が息を呑んだ。
「どっちへいったの?」
雅樹が指差すと、
「ありがとう」
と、言葉を残して、小羽が走っていく。
今の優希には小羽がいる。
雅樹は、小さな彼女のその背中を頼もしく思った。