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存在の理由  作者: りす
第二章 姫と人質
3/25

異界の少女

 目を開けた時、落ちてゆく何かを視界にとらえた。

 ごつっ、と鈍い音を立て地面に落ちる。


 ――目が合った。


 それは、左右のバランスを失った目で、こちらを凝視している。

 潰れた鼻、血に染まる唇……。紛れもなく人の頭だった。

 地に落ちて割れた頭から滲みだした鮮血が、石畳を朱に染めていく。

 あまりに凄惨な光景に目を見開いた。

 喉の奥からこみ上げてくるものを感じて、胸を押さえて唾液を飲み込む。

 夢……、とは思えなかった。

 周りに充満する異質な空気に、肌がピリピリして、吐き気が治まらない。

 今まで感じたことのないような、得体の知れない感覚に体が震える。

 膝がガクガクと震えだし、立っていることが精一杯だった。

 金属同士が擦れあう音、人の絶叫、咆哮。

 広間には、無数の存在があった。

 頭を失って倒れた人間を踏み越えて、黒い鎧に黒い仮面を着けた存在がこちらへと迫って来る。

 全身に鳥肌が立つ。

 ここに居てはいけない。と、頭では解っていても一歩も動けなかった。


 なんだ、なんなんだよこれ!?


 不意にそれが足を止めた。

 仮面の下の目が、足元からこちらへと広がるものを凝視する。

 地面には屋上で見たのと同じような、幾何学的模様が描かれていて、その中心にぼくは立っていた。

 これに結界のような役割がないだろうか?

 そんな望みを胸に抱いた時、視界の前を何かが塞いだ。

 目の前に現れた若い男が、黒仮面との間合いを一瞬に詰める。

 気づいた黒仮面が剣を真上に掲げる隙に、男は懐まで入り込んでいた。

 仮面の下から呻きが漏れ、剣が振り下ろされることはなかった。

 男が黒仮面の体を蹴り剥がした際、その体から剣が引き抜かれてゆくのが見えた。

 こちらを振り返った男は、青を基調とした衣装を見に纏っている。

 袖からのぞく腕は筋肉質で、右手には両刃の剣、左手に盾を携えていた。

「あ、あの……」

 恐る恐る口に出す。口の中が乾ききっていた。

 聞きたいことが山ほどある筈なのに、次の言葉が出てこない。

 ここは一体どこなのか? 何故ぼくはここにいるのか?

 頭が混乱していて、何から話せばよいのか分からなかった。

「巻き込んでしまって申し訳ないが、今は説明している時間がない」

 鋭い口調で男が言う。それは、ぼくにも理解できる言語だった。

 この不可解な場所でも、言葉が通じる相手がいると判って、少しだけ安堵を覚える。

「ひとまず安全な場所まで送ります」

 男が石造りの壁、広がる空間の左右に同じように伸びている通路の片方を指差した。

 ここに居ることが危険なのは、間違いなさそうだ。

 それに男は『説明している時間がない』と言った。

 だとすれば、男に敵意はない。

 彼は、ぼくという存在がここにあることを知っている?

 何がどうなっているのかは分からないけど、今はついて行くしかないと思った。

 ぼくが頷くのを見て、男が動いた。

 まだ足に力が入らず、おぼつかない足取りで後に続く。


 通路の幅は二mくらい。突き当たりで、道が左右に分かれている。

 男が左右を伺うと手で合図を送ってくる。

 右へと曲がって、そのまま進むと天井の高い広間に出た。

 通路から先、奥に向かって赤い絨毯が広がっている。

 周りの壁に設置されたランプが、通路にあったものよりも大きく、それに応じて明るさも増しているようだ。

 壁には男の服と同じように、青を基調とした旗が掛かっていて、水が波紋を広げているような模様が描かれていた。

 広間の奥には段差があり、上には金色の輝きを放つ椅子がある。

 もし、あれが玉座だとするなら、ここは謁見の間といった場所なのだろう。

 この場所は、ぼくに西洋風の城を彷彿させた。

 男が段差を昇って、絨毯の一角をめくり上げると、地面に四角い切れ目が見て取れる。

 その中央に閂のようなスライド式の錠が埋め込まれている。

 錠を外し力を込めて持ち上げると、下へと続く空間が生まれた。

「ここから外まで出られます。真っ直ぐに進んでください。そこに風の……」

 男が言葉を切った。

 進んできた通路の方から、足音が近づいてくるのが聞こえたからだ。

「行ってください。 入り口は後から塞ぎますから、こちらには戻らないでください」

 男が言い残して、足早に通路に引き返す。

 一人取り残されたぼくは、地面に開いた穴の中を覗き込んだ。

 底の方にほのかな明かりが灯っていて、穴の一つの面にコの字型の鉄芯が等間隔に埋め込まれている。

 ごくりと唾を飲み干す。覚悟を決めて、恐る恐る足を差し入れた。


 地下の通路は、地上の半分くらいの幅しかない。

 明かりの数も少なく、ランプから離れた場所になると、薄暗くて足元に気を使わなければならなかった。

 片手を壁に添えたまま、注意深く歩みを進める。

 しばらく進むと別の通路と合流した。

 目の前にある通路から、今まで進んできた通路とそれ以外に2つの通路がフォークのようになっている。

 他の通路には、明かりが燈されていない。


「真っ直ぐに進む道」


 他の通路の一つを覗いてみるが、奥は見えない。

 男の言葉を無視してまで、暗闇を進むことは無いだろうと判断しかけた時、


「リュシス!」


 声と共に闇の中から飛び出してきた何かが、ぼくの体に巻き付いた。

 ――肩、ほっそりとした首、艶のある短い黒髪と順に視界に映る。

 ぼくの首に腕をまわして、女の子が抱きついている。

 胸に当たっている、やわらかな膨らみに気づいて、顔が熱くなる。

 どうしていいのかわからず、口を開閉させた。

「会いたかった」

 凛とした声が、通路に響くのを聞いて、はっとする。

 その声をぼくは知っている。忘れる筈のない声だ。

 でも、そんな筈はない。

「助けに来てくれたの?」

 女の子が、ぼくの体から身を離した。


 ――優希。


 自分の目が信じられない。

 優希は袖がゆったりとした、淡い緑の服を身に纏っていた。

 膝まであるワンピースのようなもので、腰のベルトから裾にかけて優雅に広がっている。

 袖や裾には植物の蔦と花を組み合わせた濃緑色の美しい刺繍が施されており、開いた胸元には碧色に輝く石をあしらったペンダントが掛けられていた。

 どこか異国の民族衣装のようだった。こんな格好をした彼女を見たことなどない。

 瞬きするのも忘れ、ぼくは彼女の姿に魅入った。

 優希が小首を傾げる。

「どうしたの? 時間が止まったみたいね」

 口元に手を当てて、クスリと笑う。

「私はそんなスペル使えないのに? 水のスペルなら、あなたの方が……」

「優希……?」

 今度は、彼女が目を丸くする番だった。

 何かに思いを走らせる様子を見せた後、彼女は顔を和らげた。

「あなた、名前は?」

「神楽」

 と、答える。

「カ・グ・ラ?」

 聞きなれない言葉なのか、一文字ずつ反復して口に出す。

 うん、とぼくは頷いてみせた。

「そっか、世界を見てくるって居なくなってしまったから、どこの国の衣装かと思ったけど、あなたはリュシスじゃないのね」

 彼女が肩を落とした。

 その仕草に、彼女にとってのリュシスという存在の大きさを感じ取る。

「きみは?」


「風の都、ウィン第一王女。ファナ・ラスカーニ」


 胸に手を当て、もう片方の手で服の裾を持ち上げると、ファナは小さくお辞儀をした。

 王女って言うと、お姫様!?

 思わず吹き出しそうになった。

「どうして笑うかな?」

 と、ファナが頬を膨らませる。

 その姿が、屋上で見た優希と重なる。ここに居るのが優希でないなら、彼女はあの後どうしたのだろう?

「いや、お姫様なんて会った事ないし。ぼくの知ってる女の子との出会いも唐突だったけど、なんだかイメージが……」

「あ、あれは、あなたをリュシスだと思ったからだもの。幼馴染でそういう自覚ができる前からの付き合いだったから」

 ファナが顔を赤らめるのを見て、どきりとしてしまう。

 見慣れた制服じゃないだけに、より一層彼女の魅力が引き立っているように感じる。

「ごめん。でも、どうしてこんなに似てるんだろう? きみが最後にリュシスと会ったのが、何時なのかは知らないけど、ぼくはさっきまで優希と一緒にいたんだ。きみと優希は、兄弟や双子って言葉で片付くものじゃないくらい似てる……」

「ユキというのは、きっとわたしの同調者ね。わたしも、まさかここまで似てるとは思っていなかったから……」

「同調者?」

「わたしたちの世界は、元々一つなの。そして、世界は二つに分けられた今でも繋がっている。異なる文明で生き、それぞれは別の意識を持っていても、同じ時に生まれた二人は同じ命を共有している。その姿は鏡に映したようだと言われている」

 そんな話を、ぼくは聞いたことがない。

 彼女の話は、あまりに非科学的過ぎて、簡単には受け入れられないものだった。

 でも、彼女の言葉よりも何より、目の前の少女の姿が、それが真実だと主張している。

「あなたの世界は、創世の歴史を引き継がなかったのね」

 ファナが、すっと肺に息を送り込む。

「この世界は一人の神によって創造された。創世の神は四人の神官に、世界の行く末を見守るように告げて眠りにつく。

 神官たちは、神へと近づく者を拒む障壁でもある。長い歴史の中で神の力を手中に収めようとした者たちは、四人の神官によって打ち倒され、世界は安定した繁栄を築いてきた」

 優しい言葉で、ゆっくりと物語を紡いでいく。

 まるで、何かのおとぎ話を聞いているようだった。

「ある時、魔法文明を築き上げた国と、科学技術を発展させようとする国の間で戦争が起きた。戦争は何十年にも及び多くの命が犠牲になった。

 本来であれば、神官たちは国同士の争いには介入しない。神官の力は強大で、一人でも介入すれば、戦況を変えてしまう恐れがあった。

 しかし、世界の行く末を案じた神官たちは、世の賢人と呼ばれる者たちを集めて話し合いを行った。そこで、世界を二つに分けてはどうか? という案が持ち出されたの」

「すごく……強引だね」

 ええ、とファナが頷く。

「突拍子も無いような案に思えるけど、神官全ての同意があれば、神への道を開くことができる。彼らは道を開き、神へと願った」

 ファナが伺うようにこちらを見た。

「それで世界が分かれた?」

「いろいろと問題が残ってしまったけどね。神官八人になっちゃうし」

「信じられない」

 と、ぼくは首を振った。

「無理もないわね。まあ、身をもって確かめてもらうしかない。あなたもまた神官なのだから」

 ぼくは目をぱちぱちとした。いや、まさかそれは無いだろう?

「ここは水の都、ウォルタ。水の神官であるリュシスに代わって、わたしは、あなたを保護するために来た。

 同調者であるあなたを護ることは、リュシスを護るという意味でもある」

 彼女の眼差しは真剣そのものだ。

 ぼくがどう答えてよいのか迷っていると、彼女が言葉を続けた。

「四日前、土の神官が殺されたの。調査に向かった火の神官は行方不明。 

 水の神官リュシスは以前からあちこち放浪していたわけだけど、彼に向けて放たれた魔法鳥から『すぐに戻る』との返事があった後、連絡が途絶えたままなの」

 ファナの声が震える。

「最悪の事態も考えて、異界の神官を呼び寄せる方法が、各地で取られることになった。

 でも、それを見越していたかのように、わたしの国、風の都では召喚の術師が殺された。

 火の都でも、同じように術師が殺されたと聞いている。

 相手が何者なのか分からないけど、かつてない程に用意周到でこちらの手の内を知っている者。そんな気がするのよ。土の神官が殺されたことを考えると、最悪の場合、相手は神官を取り込んでいる可能性すらある」

 ファナの話が本当であれば、今、動ける神官は一人ということになる。

 確かに事態は深刻に思える。だからといって、ぼくに何ができるというのだろう?

 スポーツもろくにできない、ただ毎日機械のように同じ日々を送って、優希に励まされて……。

 それがぼくだ。

「ぼくに、そんな力があるとは思えない」

 ファナが頷いた。

「大丈夫、あなたの世界には魔法力が存在しないから、異界の神官たちの力は封じられているの。まずは中央都市で力を解放する。それから、ヘブンズゲートを目指しましょう」

 ファナがこちらに手を差し伸べてくる。


 ヘブンズゲート……。


 どうするべきか、ぼくにはまだ分からないけど、そこに行けば、何かが分かるだろうか?

 そういえば、初めて優希に会ったときも、天国に連れて行ってもらったっけ。

 懐かしい思いがぼくの胸を押してくれた気がした。

 ファナは強い眼差しのまま、ぼくの答えを待っている。

「――ぼくに何ができるかはわからないけど、行くよ」

「ありがとう」

 と、ファナが緊張を解いた。


「この世界の人たちは、みんな魔法が使える?」

『魔法文明』、『スペル』、『魔法鳥』と彼女の口から発せられる単語が気になっていた。

「ええ。大抵の者は火水土風のどれか一つと、簡単な光のスペルを習得している」

「リュシスに魔法鳥を飛ばしたって言ったけど、魔法鳥というのは?」

「風のスペルに、魔法力を具現化して言葉を乗せて飛ばすスペルがあるの。魔法鳥というのは、その俗称よ。本当は鳥である必要はないんだけど、一番イメージを作りやすいから、その呼び方が定着したのね」

 ファナが掌を上に向けて念じると、淡緑に光る鳥が手の中に生まれた。

 まるで、手品を見ているようだった。 

「どんなスペルもそうだけど、意識を集中させて、しっかりイメージを練り込めた方が質の良いスペルになる。時間を掛けないで、より質の高いスペルを発動させられるのが、達人というわけ。って、こんな所で話しこんでる場合じゃないわね。日が落ちな


いうちに中央都市まで向かわなくちゃ」

 そういえば、あれからどのくらい時間が経ったのだろう?

 ぼくは腕時計に目を落とした。時刻は十八時を少し回っている。 

 もう一つ、気づいたことは、時計の表示が月曜日のままであるということだった。

 だとすれば、あれから三十分くらいしか経っていないことになる。

「何を見ているの?」

 ぼくが唸っているのをみて、ファナが不思議そうに時計を覗き込もうとする。

 この世界は本当に、科学と切り離された世界ということなのか……。

「時計っていうんだけど、時間を把握するのに使う道具だよ」

 ファナに向かって腕を差し出すと、彼女は興味深そうにそれを見つめた。

 シルクゴールドのステンレスのベルト、マリンブルーの青い光沢のある文字盤には、銀色のローマ数字、日付、曜日が表示されている。

「とても綺麗ね」

 言われて、ぼくは顔を綻ばせた。ぼくも、一目惚れして購入に至った時計だったから。

 砂浜と海と雪をイメージしたデザインで、マリンスノーという商品名が付いている。

「欲しい、頂戴」

 がくっ、と首を落としてしまった。

 先ほどまでの深刻な話はなんだったのか? と、言いたくなるような、お嬢様的な発言に苦笑いを浮かべる。

 いや、確かに、お姫様らしいが……。

 ファナが上目遣いにこちらを見ている。

 ぼくが、一歩後ずさりすると、ファナが一歩にじり寄る。

 ずるい、そんな目で、優希と同じ姿で、そんなことを言われたら……。

 ぼくは、もう一度時計に目を落とした。

 女の子と変わらないくらいに細いぼくの腕にも合うユニセックスのモデルだから、ファナにもきっと合うだろう。

「いいよ」

 と、言って腕から外すと、差し出されたファナの手首に通す。

 パチンと止め具が音を立てた。

「ありがとう、大切にするからね」

 ファナが満面の笑顔を返す。

 温かい、天使のような笑顔、それが見られただけもよしとするべきか。

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