ぼくは無知で無力だった
暗い闇の中を漂っていた。
ぼくは、死んだのか……。
「かぐら」
と、呼ぶ声が聞こえる。
優希の声? それとも?
目の前に光が集まり、天使が舞い降りた。
「ファナ……」
「カグラ……」
ぼくとファナは、しばらくの間、無言で向き合っていた。
「ごめんなさい」
と、ファナが謝った。
「あなたにはたくさん、ほんとにたくさん、辛い思いをさせてしまった」
目に涙を浮かべて、ファナが言った。
「ここは、どこ?」
「生と死の狭間……。あなたに一言、謝っておきたかったの。彼の代わりに……」
彼女は、リュシスのことを知っていたのだろうか?
「リュシスときみは、仲間だったの? 初めからこうするつもりだったの?」
ファナが首を振る。
「ううん、違う。でも、彼のしたことは、私のせいだから」
「きみの?」
ファナが、遠くの世界に思いをはせるように、語り始めた。
「ずっと前から、私は、巫女たちのことを遠くから見ていた。風のスペルで、そっと、彼女たちの声を聞いていたこともある」
ファナが悲しそうに、視線を落とした。
「初めは興味本意からだった。だけど、彼女たちの悲しい思いが、痛いほど伝わってきた。絶望して、感情を失った女の子。いつ訪れるか分からない、死に恐怖し、脅える子。毎日、紅茶を飲んで、いつか、お店を開けたらいいなって、夢見る女の子もいた。助けたい。友達になりたい。ってずっと思っていた。それを、彼に話したことがあったの」
ティアの姿を思い出し、胸が押し潰されそうになる。
ぼくはティアの夢を奪ってしまった……。
「いつかきっと、あの子たちを救い出そう。彼は、そう約束してくれた。その約束をずっと覚えていて、叶えようとしてくれていたの」
「リュシスは、きみとの約束を守るために、今回の事件を起こしたってこと?」
ファナが頷く。
「彼が世界を見て回るといって、あちこち出掛けていくようになったのも、世界で起こっていること、過去に起こったこと調べていたことも、世界の歪みがなんなのかを考えていたのも、すべてはそのため」
リュシスのファナへの想いが目に浮かぶ。
「だから、カグラと出会ったあの日……。仮面の男がリュシスだと知っても、私は止めることができなかった」
「リュシスの目的は、巫女のシステムと、命の共有を遮断させることだけだった?」
「それは、私にも分からない」
リュシスがファナのために事件を起こしたというなら……。
ぼくが優希を失いたくなかったように、リュシスがファナを失いたくなかったのだとしたら……。
きっと、リュシスは神官の神格化を望んだりはしない。
だからこそ、彼は土と火の神官を殺したのだ。
ぼくのした事は、無駄だったのかもしれない。悲しい思いを増やしただけだったのかも……。
「カグラ、あたなは世界に何を望んでいますか?」
わからない、と首を振った。
「巫女のシステムと命の共有のことは、ぼくも納得できない。でも、ぼくはこの世界のことは、ほとんど知らないから」
「あなたの世界のことは? 何か願いはある?」
どうしてそんなことを聞くのか、すぐに分からなかった。
その言葉の意図を理解して、ぼくは目を見開いた。
神の力は、この世界と、ぼくらの世界の間に存在しているものだ。
それは、ぼくの世界を変える力も持っているということ。
今、彼女に願えば、世界を変えることができる。
「あなたの世界のことを、私は知らないから」
ファナの言葉に、ぼくは自分の世界を思い描こうとする。
しかし、ぼくは、世の中の仕組みを、不条理を、どれほど理解しているだろうか?
病魔に侵され、なすすべもなく死んでいくもの。
教育を受けることもできずに働かされる子供たち、飢えと貧困で死んでいく者たち、貧困の連鎖。
なくならない戦争、憎しみの連鎖。
ぼくらの世界にだって、生きようと必死になってもがいても、生きられない者はたくさんいる。
そんな悲しみに満ちた世界……。
でも、何かを変えれば何かが変わる。世界は複雑に絡み合っている。
ぼくには一体何ができるのだろう? 彼らのために何をしてあげられるのだろう?
テレビに映し出される映像も、苦悩も、全て自分には関係ないことのように思ってきた。
なのにただ、自分だけが辛いように感じて、死にたいと願っていた。
力を前にしても、ぼくには何もできない。何も考えつかなかった。
「何もない、何も思いつかない」
悲しくて、情けなくて、ぼくの目から涙が溢れ出す。
――ぼくは無知で無力だった。
「それでいいのよ、きっと。神官もまた人に過ぎない。一人の意志で、世界を作り変えるなんて、するべきことではないと思う。だから私も歪められた世界を元に戻すことだけを考えている」
ファナの言葉に、少しだけ救われた気がした。
「どんな人でも可能性に向かって努力している。少しずつ、少しずつ変えて行くしかないんじゃないかしら?」
「でも、努力する力さえ持たないものは? なすすべもなく消えていく命は、ぼくの世界にもある」
「命は続く、たとえ一つの命が消えても、それを見守るものの心に少なからず影響と与える。どんなに小さな命でも、どんなに短い命でも。生きることに無駄なことなんて、きっと無いから」
ファナが優しく微笑んだ。その優しさに包まれていると、優希の元へと行けるような気がした。
「ぼくはただ、帰りたい」
自然と、その言葉が口をついて出た。涙が頬を伝って流れる。
「失った命まで、取り戻すことができるのかは分からない。だけど、彼はできると思っていたみたい」
ぼくは顔を上げた。
「ほんとうに?」
「ええ、だからこそ彼も、この計画を実行に移したんだと思う。
わたしも、そう信じたい。あの子らと、今回の事件で命を失った人々を救わなければならないから」
子供のように泣くぼくの頬を、彼女がそっと撫でた。
「次に目が覚めたら、全て元通りに、悲しいことは全て忘れて……」
「消さないで!」
急に大声を出してしまったせいで、ファナが驚いた顔をした。
ぼくは、頬にあてたれた彼女の手を強く握り締めた。
「ここでの出来事を忘れたら、ぼくはまた弱い自分に戻ってしまうから……。辛いことばかりだったけど、無駄なことは何一つなかったって思うから」
ファナが頷いた。
「ぼくはもっと、知らなければならない、世界の姿を……」
ぼくはファナの瞳を見つめる。
「――いつか、あなたのいる世界を見てみたい」
「その時には、歓迎するよ」
ぼくは涙を拭いて、笑顔を作った。
「――そうだ、ティアと友達になれたら、『紅茶と一緒に甘いお菓子を出して欲しい』って、伝えて」
「ええ、必ず」
ぼくとファナは、また、無言で見つめ合った。
美しい天使の姿をしたファナ。もっと話をしていたいけど、ぼくは言わなければいけない。
始まりを迎えるために……。
「さよなら、ファナ」
と、ぼくは別れの言葉を口にした。
「またね」
と、彼女が微笑んだ。
現れたときと同じように、ファナは白い光となって目の前から消える。
ぼくは、闇に身をゆだねるように目を閉じた。




