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存在の理由  作者: りす
第八章 天使
22/25

ぼくは無知で無力だった

 暗い闇の中を漂っていた。

 ぼくは、死んだのか……。


「かぐら」

 と、呼ぶ声が聞こえる。

 優希の声? それとも?

 目の前に光が集まり、天使が舞い降りた。

「ファナ……」

「カグラ……」

 ぼくとファナは、しばらくの間、無言で向き合っていた。

「ごめんなさい」

 と、ファナが謝った。

「あなたにはたくさん、ほんとにたくさん、辛い思いをさせてしまった」

 目に涙を浮かべて、ファナが言った。

「ここは、どこ?」

「生と死の狭間……。あなたに一言、謝っておきたかったの。彼の代わりに……」

 彼女は、リュシスのことを知っていたのだろうか?

「リュシスときみは、仲間だったの? 初めからこうするつもりだったの?」

 ファナが首を振る。

「ううん、違う。でも、彼のしたことは、私のせいだから」

「きみの?」

 ファナが、遠くの世界に思いをはせるように、語り始めた。

「ずっと前から、私は、巫女たちのことを遠くから見ていた。風のスペルで、そっと、彼女たちの声を聞いていたこともある」

 ファナが悲しそうに、視線を落とした。

「初めは興味本意からだった。だけど、彼女たちの悲しい思いが、痛いほど伝わってきた。絶望して、感情を失った女の子。いつ訪れるか分からない、死に恐怖し、脅える子。毎日、紅茶を飲んで、いつか、お店を開けたらいいなって、夢見る女の子もいた。助けたい。友達になりたい。ってずっと思っていた。それを、彼に話したことがあったの」

 ティアの姿を思い出し、胸が押し潰されそうになる。

 ぼくはティアの夢を奪ってしまった……。

「いつかきっと、あの子たちを救い出そう。彼は、そう約束してくれた。その約束をずっと覚えていて、叶えようとしてくれていたの」

「リュシスは、きみとの約束を守るために、今回の事件を起こしたってこと?」

 ファナが頷く。

「彼が世界を見て回るといって、あちこち出掛けていくようになったのも、世界で起こっていること、過去に起こったこと調べていたことも、世界の歪みがなんなのかを考えていたのも、すべてはそのため」

 リュシスのファナへの想いが目に浮かぶ。

「だから、カグラと出会ったあの日……。仮面の男がリュシスだと知っても、私は止めることができなかった」

「リュシスの目的は、巫女のシステムと、命の共有を遮断させることだけだった?」

「それは、私にも分からない」

 リュシスがファナのために事件を起こしたというなら……。

 ぼくが優希を失いたくなかったように、リュシスがファナを失いたくなかったのだとしたら……。

 きっと、リュシスは神官の神格化を望んだりはしない。

 だからこそ、彼は土と火の神官を殺したのだ。

 ぼくのした事は、無駄だったのかもしれない。悲しい思いを増やしただけだったのかも……。


「カグラ、あたなは世界に何を望んでいますか?」


 わからない、と首を振った。

「巫女のシステムと命の共有のことは、ぼくも納得できない。でも、ぼくはこの世界のことは、ほとんど知らないから」

「あなたの世界のことは? 何か願いはある?」

 どうしてそんなことを聞くのか、すぐに分からなかった。

 その言葉の意図を理解して、ぼくは目を見開いた。

 神の力は、この世界と、ぼくらの世界の間に存在しているものだ。

 それは、ぼくの世界を変える力も持っているということ。


 今、彼女に願えば、世界を変えることができる。


「あなたの世界のことを、私は知らないから」

 ファナの言葉に、ぼくは自分の世界を思い描こうとする。

 しかし、ぼくは、世の中の仕組みを、不条理を、どれほど理解しているだろうか?

 病魔に侵され、なすすべもなく死んでいくもの。

 教育を受けることもできずに働かされる子供たち、飢えと貧困で死んでいく者たち、貧困の連鎖。

 なくならない戦争、憎しみの連鎖。

 ぼくらの世界にだって、生きようと必死になってもがいても、生きられない者はたくさんいる。

 そんな悲しみに満ちた世界……。

 でも、何かを変えれば何かが変わる。世界は複雑に絡み合っている。

 ぼくには一体何ができるのだろう? 彼らのために何をしてあげられるのだろう?

 テレビに映し出される映像も、苦悩も、全て自分には関係ないことのように思ってきた。

 なのにただ、自分だけが辛いように感じて、死にたいと願っていた。

 力を前にしても、ぼくには何もできない。何も考えつかなかった。

「何もない、何も思いつかない」

 悲しくて、情けなくて、ぼくの目から涙が溢れ出す。


 ――ぼくは無知で無力だった。


「それでいいのよ、きっと。神官もまた人に過ぎない。一人の意志で、世界を作り変えるなんて、するべきことではないと思う。だから私も歪められた世界を元に戻すことだけを考えている」

 ファナの言葉に、少しだけ救われた気がした。

「どんな人でも可能性に向かって努力している。少しずつ、少しずつ変えて行くしかないんじゃないかしら?」

「でも、努力する力さえ持たないものは? なすすべもなく消えていく命は、ぼくの世界にもある」

「命は続く、たとえ一つの命が消えても、それを見守るものの心に少なからず影響と与える。どんなに小さな命でも、どんなに短い命でも。生きることに無駄なことなんて、きっと無いから」

 ファナが優しく微笑んだ。その優しさに包まれていると、優希の元へと行けるような気がした。

「ぼくはただ、帰りたい」

 自然と、その言葉が口をついて出た。涙が頬を伝って流れる。

「失った命まで、取り戻すことができるのかは分からない。だけど、彼はできると思っていたみたい」

 ぼくは顔を上げた。

「ほんとうに?」

「ええ、だからこそ彼も、この計画を実行に移したんだと思う。

 わたしも、そう信じたい。あの子らと、今回の事件で命を失った人々を救わなければならないから」

 子供のように泣くぼくの頬を、彼女がそっと撫でた。

「次に目が覚めたら、全て元通りに、悲しいことは全て忘れて……」

「消さないで!」

 急に大声を出してしまったせいで、ファナが驚いた顔をした。

 ぼくは、頬にあてたれた彼女の手を強く握り締めた。

「ここでの出来事を忘れたら、ぼくはまた弱い自分に戻ってしまうから……。辛いことばかりだったけど、無駄なことは何一つなかったって思うから」

 ファナが頷いた。

「ぼくはもっと、知らなければならない、世界の姿を……」

 ぼくはファナの瞳を見つめる。

「――いつか、あなたのいる世界を見てみたい」

「その時には、歓迎するよ」

 ぼくは涙を拭いて、笑顔を作った。

「――そうだ、ティアと友達になれたら、『紅茶と一緒に甘いお菓子を出して欲しい』って、伝えて」

「ええ、必ず」

 ぼくとファナは、また、無言で見つめ合った。

 美しい天使の姿をしたファナ。もっと話をしていたいけど、ぼくは言わなければいけない。

 始まりを迎えるために……。


「さよなら、ファナ」

 と、ぼくは別れの言葉を口にした。

「またね」

 と、彼女が微笑んだ。


 現れたときと同じように、ファナは白い光となって目の前から消える。

 ぼくは、闇に身をゆだねるように目を閉じた。

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