翼
広間の奥にある扉には、四つの魔法陣が掘り込まれていた。
そのうち一つは、ペンダントの石に刻まれているのと同じ魔法陣だった。
手を当てて、「ヴァッサ」と唱える。
青白い光が魔法陣の窪みから漏れて、その形を浮かび上がらせて、扉は音もなく開いた。
石を剣へと変化させ、足を踏み入れると、冷たい空気が流れ込んでくる。
先の広間と同様に、物音一つしない空間だった。
広間の奥の方から漏れている光は、壁のランプから発せられるものではなかった。
地面に大きく描かれた魔法陣そのものが、白い光を放ち、左右に置かれた翼を持った天使の彫像を浮かびあがらせている。
左の男性象が剣を掲げ、右の女性像が盾を手にしていた。
美しい天使の彫像、少ない布で体を覆った女性の曲線美……。
しかし、それよりも魔法陣の奥、正面に存在している氷の塊に、ぼくの目は釘付けになった。
風の神官であるファナが、その中に閉じ込められるようにして、眠っていた。
慌てて、彼女の元へと走り寄る。
「ファナ……」
彼女は左の掌を、内側から氷の表面に当てた姿のまま、目を閉じて身動き一つしていない。
そっと彼女の掌に、自分の手を合わせた。痺れるような冷たさが痛みに変わり、すぐに手を放す。
彼女の腕に巻かれた腕時計の秒針は止まり、その機能を失っていた。
「気に入って貰えたかな?」
振り返ると、リュシスがそこに立っていた。
「これで、彼女の美しさは、永遠だ……」
体中の血が沸き立つ。
「助けるんじゃなかったのか? 彼女は、きみにとっては大切な人じゃなかったのか?」
ぼくは叫んでいた。
ファナは、あんなにもリュシスに会いたがっていたのに……。
「きみが仲間になってくれれば、こんなことをしなくて済んだ。彼女を殺したのはきみだ。きみの心の弱さだ」
ぼくは拳を握り締めた。確かに、その通りかもしれない。
だけど、リュシスのしたことを、許すことなどできなかった。
彼は、土と火の神官、司を殺し。ぼくに優希を殺させた。
犠牲になった兵士の数だって少なくない。
「きみが何を考えているかなんて知らない。ぼくは、きみを止める」
最後に生き残った神官は、命の繋がりを超えて、神の元へと辿り着ける。
リュシスが、神に何を願うつもりでいるのか?
言葉通り、巫女のシステムを消すことなら問題ないのかも知れない。
しかし、火の神官ルルドの言うような、神官の神格化を望んでいるのだとしたら……。
どちらにしても、今のリュシスを信じることはできない。
彼に力は渡せない。もう迷う必要はなかった。
ぼくは挑むように、リュシスを睨み付けた。
「いい顔になったじゃないか、神楽。だけど、僕も後戻りはできない」
リュシスが剣を実体化させる。ぼくもまた、剣を構えた。
互いに間合いを詰める。背中から振り下ろしたぼくの一撃をリュシスが受け止める。
「神楽、お前は世界に何を望む!」
ぼくは答えない。
ぶつかり合った剣を横へと弾いたリュシスが、顔を歪めた。
「逃げるのか、見ない振りをするのか?」
「巫女のシステムと命の共有を無くす、本当にそれだけなのか?」
リュシスの剣をくぐり、身を屈ませながら剣を横に薙ぐ。
距離をとって交わすリュシスを追従して、さらに一撃を叩き込もうとする。
リュシスが右手を突き出した。
スペルがくる! と、反射的に横に飛ぶ。
しかし、リュシスは舌打ちしただけで、術を発動させない。
「ああ、それだけを願って、今まで生きてきた」
「そのために、人の命を奪ってもいいのか……」
「土の神官も、火の神官も、願うなら自分達の都合のいい世界に作り変えようと言ったからだ」
リュシスが距離を詰めて、連続して攻撃を仕掛けてくる。
剣技と体術を織り交ぜた攻撃は、ティアや優希とはまったく違っていた。
荒々しく、強く、それでいて早い。
これにスペルが加わるとなると、分が悪いのはあきらかだったが、さきほど構えただけでリュシスはスペルを一度も使ってはこない。
「無関係な者だっていた筈だ! 失った者の悲しみが、お前に分かるか!」
「きみこそ、ぼくがどんな思いで、ここまで来たか、分かりはしない!」
ティアとの戦いを思い出す。相手の反応速度を超えるんだ。
もっと早く、もっと強く。お前の全てを見せてみろ。ぼくはリュシスを倒す!
自分自身に言い聞かせる。
距離を詰めて、リュシスの一撃をかわすと同時に、体を反転させて、逆方向から剣を薙ぐ。
ティアと戦ったときに使った方法だった。
しかし、リュッシスは、こともなげに受け止めていた。
すぐさま、わき腹を狙った蹴りが飛んでくる。
片手を剣から離して左腕で受け止める。腕に痺れが走った。
剣を持ち直す左手に力が入りきらない。
ぼくは、リュシスとの距離を大きく取った。リュシスはそれを追いかけてこない。
「どうした? その程度なのか? カグラ」
気がつくと、体の下に光を放つ魔法陣があった。
魔法陣の上では戦わない? 戦えない? 何かしらのスペルが発動するからか?
と、思いかけて、はっとした。ぼくの後ろには、ファナを捕らえた氷塊が存在していた。
ファナがいるからか?
リュシスのファナを想う気持ち、それは嘘ではなかったということだろうか?
今一度、周囲を見回してみる。この空間の天井はさっきまでの場所と違って低かった。
リュシスとの間合いを一気に詰める。
リュシスの一閃を身を低くしてかわし、そのまま地面を転がって、体の位置を入れ替える。
起き上がりを狙って放たれたリュシスの追撃を、後ろに飛んでかわす。
一撃、また一撃と、後ろの壁に追い詰められるようにして、じりじりと後退していく。
三メートル、二メートル。
リュシスの攻撃を弾きながら、背後に迫る壁に神経を研ぎ澄ませた。
一メートル。
リュシスの一撃を後ろに退いてかわすと、背後の壁を蹴ってさらに上へと飛び上がる。
体を反転させて、天井を蹴った。
全体重を込めた渾身の一撃を放つ、ぼくの剣はリュシスの剣を押し切って、彼の肩を浅く切り裂いた。
「リュシス!」
着地すると同時に、体の中心を目掛けて剣を突き出す。
「カグラ!」
リュシスが目を見開くと、同じように彼もまた突きを繰り出していた。
ぼくの剣がリュシスを貫き、リュシスの剣がぼくを貫く。
リュシスが血を吐き、その場に倒れた。
ぼくもまた、喉の奥底からも込み上げるものを感じて、吐血する。
「引き分けか……」
それなら、それで悪くない。
そう思ったとき、
「どうかな?」
と、リュシスが苦しげに呟いた。
「命は……、どんな力で繋がっていると思う?」
言葉と共に、ファナを捕らえていた氷塊が砕けた。
解き放たれたファナが、倒れることなく自らの足で地に踏みとどまり、ゆっくりと目を開けた。
目の前で起きていることが、信じられなかった。
生きてる、ファナが?
「魔法力……、その流れを止めることができればどうなるか」
その言葉を残して、リュシスは倒れた。
彼女の体は淡く輝き、その背から透き通った翼が伸びていく。
翼は徐々に白みを帯びて形をなす。
ファナが翼を広げた。彫像よりも、遥かに美しいファナの姿に言葉を失った。
天使……。
時間が止まったかのように、眠り続けていたファナが……。
時間が止まる? 時を止めるスペル?
脳裏に初めてファナに会った時のことが甦った。
腕時計の針が静止していたのは、彼女の周りの時間が止まっていたから?
リュシスの水のスペルで……。ぼくが、優希と戦う以前から?
消えてゆく意識の中、ファナが切ないほどに優しい表情で、ゆっくりと微笑む姿を見た。




