空へ舞う意識
あれから三度目の夏を迎えて、高校二年になった今でも優希との不思議な関係は続いている。
ぼくが一人でぼんやりとしていると、
「何をやってるの?」と寄ってきて、
「何のために生きているの?」と聞いてくる。
夏になると、みんなで海や川へ行こうと誘ってきた。
大勢の中に身を置くのは苦手だったから、あまり気乗りはしなかったけど、何度か誘いに乗って出掛けることもあった。
でも、優希は誰に対しても優しかった。
期待をして出掛けるほど、それを目の当たりにしては、逆に落ち込んでしまう。
優希に告白した男子生徒の噂を耳にした。
「ああ、またひとり散っていった」
その話を聞いていたある生徒はそう答えた。
そうだ、あの優しい優希を好きになるのが、ぼくだけの筈がない。
なのに、優希に特別な人が居るという話を聞いたことはなかった。
理想が高いのか、それとも、優希は誰に対しても等しく付き合うことを信条としているのだろうか?
『わたしは、わたしを必要としてくれる、全ての存在のために生きている』
あの日の優希の言葉を思い返す。
ぼくが生きる目的を見つけたと言えば、優希は、ぼくの傍を離れて行ってしまうかも知れない。
でも、ぼくが気持ちを伝えてしまったら、やっぱり優希と一緒には居られなくなってしまうのではないか?
今の関係を失うことが怖くて、ぼくは何も伝えられないままだ。
優希と過ごす日々の楽しさが、今のぼくを支えている。それは紛れもない事実だったから。
放課後になって、ぼくは屋上へと足を運んだ。
重い扉を開けて、そっと昇降口の裏を窺うと、同じように裏から顔を出した優希と目が合った。
空の青の中で、優希が顔を綻ばせる。
「また来たの?」
進学して学校が変わっても、優希はあの日と同じように、空を見上げていることがよくある。
「優希だって、同じじゃないか」
と、返す。
「まあ、そうだけどね」
「ねぇ、神楽。生きる理由、見つかった?」
優希の短く切った髪が、風に揺られて踊る。なんだかいい匂いがした。
「いや、まだ考えてる」
いつも通りの答えだ。
以前、『わからない』と答えたら、ちゃんと考えようとしてるのかと問い詰められたからだ。
優希が、自分の事のように顔を曇らせる。
どうして優希が、ぼくのことで、こんな顔をしなければならないのか?
と、胸が痛くなる。
「女の子、紹介してあげようか?」
優希が顔を傾け、ぼくの瞳を覗き込むようにした。
「――いや、遠慮する」
もう、と、優希が頬を膨らませた。
「神楽、顔もスタイルも悪くないし、草食系が好みの子にファンがいるんだよ」
言われて、言葉に詰まる。
そんな子がいるというのも驚きだけど、それを優希の口から聞くことに戸惑いを隠せなかった。
優希がぼくと誰かをくっつけようとするなんて……。
ぼくが一緒に居たいと思うのは優希だけなのに……。
「もっと自分に自信をもてばいいのよ」
「いっ、いきなり言われても、ぼくにだって選ぶ権利というか、好みというか……」
なんとか断ろうとしたけど、上手く言葉が出てこなくて、最後には消え入りそうな声になってしまう。
急に近づいてきたかと思うと、優希が顔を近づける。
「じゃあ、好み通りの女の子、捜してきたら会ってくれる?」
なんだか余計なことを言ってしまった気がした。
「教えて」
優希が瞳をきらきらと輝かせている。
こうなってしまっては、今まで一度たりとも優希が引いたことはない。
頭を抱えて唸っているぼくに、優希がにじり寄る。
ぼくは観念することにした。
「控えめで、おとなしい子よりは、明るくて、いつでも笑ってる子の方がいいかな。ぼくは、あまり話が上手くないし」
「そこは、直すところなんじゃないかしら?」
いきなり、痛いところをつかれて身を硬直させる。
「あ、ごめん。続けて」
「背は同じか頭一つ低いくらいで、体系はほっそりしてた方がいいけど、色白じゃなくて健康的な感じの子」
ぼくが言葉を発するたび、優希が手を上げて、ぼくと背丈を比べたり、自分の体に目を向けて頷いている。
ぼくの言ったことを、彼女なりに記憶していくための手段なのだろう。
が、優希の事を考えながらしゃべっていたから、当然その条件は彼女にぴったりと当てはまる。
優希が、ん? と、首を傾げる。
「で、髪は黒のストレートで肩より長いといいな」
と、慌てて条件を追加してしまった。
今の髪型も好きだけど、長い髪も似合うのではないかと思っていたことは本当だった。
優希が、首を肩の後ろに回す。
彼女の髪の長さでは、自分の視界には映っていないだろう。
そんな視線に気づいてか、優希がさらりと自分の髪に触れた。
「考えとく」
優希の髪の長さを話しているように錯覚して、胸が高鳴る。
どくん、と心臓がはねた。動悸が治まらない。
なんだかおかしい。これは、普通じゃない!
「なんだ、これ」
立っているのも辛くなり、胸を押さえてその場に膝を着く。
「神楽?」
異変に気づいた優希が声をあげた。
その姿を、ぼくは見ていた。彼女の頭の上から……。
膝を折ったぼくの姿、心配そうに名前を呼ぶ優希の姿。
強い力で吸い上げられるように、ぼくの視点は空へと上っていく。
「神楽、ねぇ、どうしたの? 神楽っ」
何が起きたのか分からなくて、パニックに陥りそうになるぼくを、優希の叫びがぼくを正気に引き戻す。
何か言わなければならない。でも、今のぼくの声は果たしてどこから発せられるのか?
「優希っ!」
ありったけの力で彼女の名前を叫ぶ。
――その声は届かなかった。
泣きそうな声で名前を呼び続ける優希の声が、遠ざかっていく。
ぼくは見た。
二人を中心に広がる二重の円と、内側に描かれた幾何学的な模様。
それは、映画や小説に出て来るような魔法陣と呼ぶに相応しい存在だった。