風の神官
雅樹は眼前にそびえ立つ、塔を見上げた。
優希と共に降り立ったこの世界。
雅樹と優希は風の都で、神楽の言っていたことが、嘘ではなかったと知った。
この世界の成り立ち、そして八人の神官の存在。
そして、優希もまた神官の一人だということ。
神楽と合流し、事件の首謀者を倒せば、それで終わらせられる。雅樹はそう思っていた。
中央都市に着いて最初に耳にしたのは、火の神官ルルド・ステファンが打ち倒されたという話だった。
ほっとして、
「神楽を探そうか」
と、優希と話をしていた矢先、一人の兵士長シウォンの証言で事態は覆された。
その話を聞いて、雅樹と優希は愕然とした。
ルルド・ステファンを打ち倒した、水の神官リュシスこそが事件の首謀者であり、神楽もまたリュシスと共に姿を消したというのだった。
事件の首謀者が闇のスペルを使用したという情報について、調査していたシウォンは、闇のスペルを違法に教えたという男に会った。
水の神官であるリュシス・グランフォートの元に案内したところ、神楽を見た男は彼にスペルを教えたと語った。
そして、姿を現したリュシスから闇のスペルを受けて意識を失い、目が覚めたときには、リュシスや神楽の姿は無かったのだという。
その後、各地に向けて捜索隊が放たれ、ヘブンズゲートへと続く回廊で彼は見つかった。
水の神官のどちらか一人……。リュシスなのか、神楽なのかは判らない。
「男は近づくもの全ての命を奪う悪魔だった」
逃げ帰った兵士の一人は、そう語った。
「神官としての力を解放し、彼を止めて欲しい」
この世界の人々からの願い。
優希はその願いを受けた。真っ直ぐな眼差し、強い思いで……。
彼女らしい強さを取り戻した優希を目の当たりにして、雅樹の心に嬉しさと同時に不安が広がった。
その優希は今、塔の中にいる。神官としての力を解放するために。
一時間、二時間が過ぎても、雅樹はその場を動こうとはしなかった。
雅樹できること、それは、ただ待つことだけだった。
三時間が過ぎようとした時、塔の後ろに昇った月が、出てきた人物の影を浮き上がらせる。
そのシルエットで、雅樹は優希であるということを感じた。優希は制服姿のままだったのだ。
しかし、その足取りが、おぼつかない。
「優希」
と、雅樹は駆け寄った。
彼女の目は赤く充血し、雅樹の方を向いてはいても、焦点を結んでいない。
その体からは生気が感じられず、今にも倒れそうでさえあった。
「駄目、……だったのか?」
優希が力なく首を振った。
「――ち、がうの」
彼女の瞳に涙が滲む。
優希はそれを隠すように、うつむき雅樹の胸に顔をうずめた。
「っ、ごめんなさい」
それが誰のための謝罪なのか、雅樹には分からない。
ただ、胸の中で声を殺して泣く優希が愛おしく、抱きしめたいという衝動に駆られた。
彼女の背に回しかけた手を、雅樹はじっと見つめる。
そのまま拳を握り締めて、腕を降ろした。
雅樹は、空に浮かぶ月を見上げると、ゆっくりと目を閉じた。
いつの間にか、二人の周囲に集まっていた兵士たちが、かしずくように膝を折った。
その先頭にいるのは、兵士長のシウォンだった。
優希の肩を、そっと支えて立たせると、雅樹はシウォンの前に立つ。
「彼女に何があった?」
雅樹は、シウォンの胸ぐらを掴んで立ちあがらせた。
「――封印を、解かれました」
「どういうことだ? 神官の力の封印を解くとは、なんだ?」
「力を得るには……、巫女の命を引き換えにする必要があり……」
雅樹が目を見張る。全身の血が逆流するのを感じて、雅樹は唇を噛む。
怒りにわななく拳で、力任せに、シウォンの顔面を殴りつけた。
倒れたシウォンに馬乗りになる。
幾人かの若い兵士たちが、雅樹に掴みかかった。
「やめてっ!」
優希の悲痛な叫びがこだまする。
唇から流れる血をぬぐい、シウォンは再び膝を付いた。
「申し訳ありませんでした。しかし、他に方法が無いのです」
「そんな大事なことを隠しておいて、彼女一人に全てを背負わせて、それがこの世界のやり方か!」
シウォンが大きく頭を振り、雅樹を見上げた。
「あなたは神官の力を知らない。我々の力ではどうしようもできないのです」
苦しげにシウォンがうめきを漏らした。
「わたし……、行きます」
「優希っ!」
雅樹には優希の言葉が信じられなかった。
「こんな奴らの……」
「案内……、してください」
雅樹の言葉を遮って、優希が頭を下げる。雅樹は言葉を失った。
彼女の顔は、青白いままだった。