火の神官
治癒院のベッドで目が覚めた。
ティアと出会った昨日の夜は、布団に入ってからも、なかなか寝付くことができなかった。
疲れと眠気に、うとうとし始めたのは、夜が白み始めた頃だったと思う。
その夜、ぼくは自分の世界に戻ることはなかった。
それでいい、と思った。もう迷わない、迷いたくない。
と、天井を眺めながら考える。
ファナを助けるにはどうすればいいだろう? ぼくに何ができるだろう?
まずはリュシスを手伝って、情報を得ることか。
相手の目的が神の力を使うことなら、いずれ向こうの方からやってくる。
それまでに少しでも情報を集めて、先手を打つ。ぼくに思いつくのはそれくらいだ。
突然、地鳴りのような轟音が響いて、ベッドから跳ね起きた。
部屋の壁が震えている。ベッドから降りて窓の外を見た。
さほど遠くない場所、白い外壁の建物から煙が立ち上っている。
建物の周囲に、人々が集まっていくのが見える。
「カグラ、起きているか?」
部屋の扉を勢いよく開けて、リュシスが飛び込んできた。
その顔には焦りと戸惑いの色が浮かんでいる。
「神官長たちがいる聖堂で、爆発が起きたらしい。仮面の男を目撃したという情報もある。僕は、今からそこへ向かうから、ここにいてくれ」
ぼくは首を振った。じっとしてなんていられない。
「ぼくも行くよ」
「戦いになるかもしれない」
覚悟があるのかと問いたいのだろう。でも、ぼくはもう迷わないと決めた。
ティアの命を引き替えにしてまで、力を手にしてしまったのだから。
「分かってる」
と、ただ一言、決意を込めて答えた。
「――そうか、いこう」
ぼくとリュシスは部屋を出て、走り出した。
建物の周囲を、十人以上の兵士たちが取り囲んでいた。
皆が一様に、白を基調とした服を身に纏っている。
「リュシス殿」
兵士の一人が声を上げた。
「状況は?」
「仮面の男が、神官長を人質にしていて、手出しできない状態です」
リュシスが顔を歪めた。
「何か要求は?」
「神官をここに集めるようにと……」
兵士が困惑した表情で答える。
「僕とカグラと……。他に異界から召還されてきた者はどうしている?」
「火の神官は中央都市に着いたばかりで、まだ封印を解かれていません。風の神官は、水の都から術師を招いて、無事に召還されたと聞いています」
その言葉を聞いて、はっとした。
リュシスの同調者であるぼくが、ここにいるということは、ファナの同調者である優希が、ここに来たということではないのか?
だとしたら、彼女もまた、ぼくと同じ思いをすることになる。
止めなければ、と思った。
ぼくの勝手な思いでしかないかも知れない。でも、力を得る方法を優希が知ったら、彼女は力を手にすることを望む筈がなかった。
「異界の火の神官に、呼びかけを行っているか?」
「はい」
兵士が頷く。
「先に二人で入る。到着次第、一人で中へ入るように伝えてくれ」
リュシスは兵士に指示を出して、こちらに向き直った。
「カグラ、昨日も話したとおり、奴らも危険を冒してまで、神官と戦うことは考えないだろう。おそらく何らかの誘いを掛けてくる。僕がその誘いにのるから、きみもそれに合わせてくれ」
リュシスの提案に、ぼくは同意した。
深く呼吸すると、リュシスが扉を開けて中へ入る。ぼくもその後に続いた。
急な事態に心臓の鼓動が早まるのを感じた。
建物の中、入ってすぐの広間には廊下を中心として左右に椅子が並んでいる。
教会のようだ……と思った。そして、その部屋の奥に仮面の男が立っていた。
白い仮面、黒いローブの男……。
左手を白髪交じりの老人の首に回して、右手から伸びるかぎ爪を首に押し当てている。
その姿が、自分の姿と重なり体が熱くなった。
ぼくらの姿を見て、老人が呻き声をあげる。猿ぐつわをかまされていて、声が出せないようだ。
周囲を見渡すと、他に二人の老人が地面に倒れ伏しているのが分かった。
二人とも身動き一つしない。
また、別の一人は椅子に仰向けに倒れていて、椅子の下へと血をしたたらせている。
「ようこそ水の神官たち。リュシスと……、異界のきみはカグラくんといったかな?」
「お前たちの目的はなんだ?」
リュシスが問いかける。
ふっ、と仮面の下で男が笑った。
「世界を、我ら神官たちの手で再建する」
男が右手のかぎ爪を、胸の前で掲げた。
「神の力を使用する気か?」
「この世界は歪んでいる。そうは思わないか?
リュシス、お前も神官長たちのことを、よく思っていなかっただろう?
人の命を犠牲にするシステムを作り上げた彼らを……」
「巫女のシステムを正す。それだけか?」
リュシスが仮面の男に問い返す。
仮面の男が何を考えているか? それはぼくにも気になるところだった。
全員の同意が必要となれば、自分だけが違う考えを隠し持っていたとしても、その思いは受け入れられない。
だとすれば、本当に世界を正そうとする意志でぼくらの説得を試みているか、後でぼくらを殺すことを考えているか……。
「神官による絶対的な統治国家を作る。そうすれば、神の力に頼ることはなくなる」
「神官の神格化か?」
「そうだ」
と、男が答える。
そんな願いが聞き届けられるのだろうか?
「神官全てを説得できると思っているのか?」
「――気づいているのだろう? 火の神官なら、ここにいる。風の神官も私の考えに同意した。リュシス、きみが仲間になってくれるなら、後は異界の三人だけだ」
「ルルド・ステファン。やはりきみか……」
行方不明だった火の神官。それが仮面の男の正体……。
「いいだろう、だが、一つ聞きたいことがある」
「なんだ」
「ファナはどこにいる?」
「証を見せてくれたなら答えてあげるよ」
「証?」
「きみが僕の仲間になってくれるという証だ」
ルルドは首を回すと、老人をリュシスの前に蹴り出した。
起き上がろうとする男の背中を右足で押しつぶす。
「この男を……、神官長を殺せ」
血の通わない冷徹な声で男は言った。
神官長がリュシスを見上げ、助けてくれと目で訴えている。
仲間になるふりをするとは言ってたけど、ここまでは予想していなかったのだろう。
リュシスの額に汗が浮かぶ。
「――ヴァッサ」
長い沈黙の後、リュシスが剣を具現化させた。その手は震えている。
神官長が目を見張り、涙をうかべて首を振った。
リュシスが剣を逆手に持ち替えて、高く掲げる。それ以上、見ていられなくて、ぼくは目を背けた。
金属が地面にぶつかる音がして、男の呻き声が漏れる……。
おそるおそる視線を戻すと、老人の体に突き立てられた剣を抜き放つリュシスの姿があった。
静寂に包まれた空間に、仮面男の乾いた拍手が冷たく響く。
「風の神官なら、ヘブンズゲートの先で待っているよ」
そして、今度は、ぼくに視線を向けてくる。
「さて、こちら側の神官は、これで全て私の仲間となったわけだ。カグラくん、きみも私と一緒に来て貰おう。自分とは関係のない世界で、みすみす命の危険を味わう必要はないだろう?」
関係がない? 本当にそうだろうか?
命の繋がりを考えるなら、まったくの無関係とはいえないのではないか?
もし彼らが、その権力を元に大きな戦争でも引き起こしたら……。
たとえ、演技だとしても、この誘いに簡単に納得してみせてもいいだろうか?
「きみには他の神官たちを説得して貰いたい。私の同調者もこちらに向かっているだろうからな。それとも、きみら異界の神官だけで、我らに戦いを挑むか?」
戦い慣れた彼らと、ぼくらの世界からの三人。到底、勝てるとは思えない。
なにより、優希を戦いに巻き込むことなど想像したくもなかった。
「わかった。言うとおりにするよ」
と、答える。
「それで? これからどうする? 風の神官はまだ、召還されて間もないと聞く」
リュシスの問いかけに、ルルドが腕を組んだ。
「カグラくんが火の神官を説得してくれたら、異界の火の神官をヘブンズゲートへ連れて行く。きみたち二人は、そのまま風の神官が来るのを待って貰おう」
背後から聞こえてくる足音に気づいて振り返る。
「司?」
ぼくと雅樹の前で意識不明になった、高瀬司がそこにいた。
同じ病室で意識の戻らないままの司。
やはり、司もまた神官だったということか……。
「神楽か、お前も?」
数日、姿を見なかっただけなのに、久しぶりに会った気がする。
「ああ、そうだ」
近づく司の肩に手を置いた瞬間、ぼくは背筋が凍りつくのを感じた。
ぼくの背後、脇の下から生えてきた剣が、司の胸を貫く。
ぼくら二人は、ただ呆然とそれに目を落とした。
「リュシス、貴様!」
ルルドが声を上げた。
ぼくは、目の前で倒れそうになった司を受け止める。
「司!」
「俺を裏切るのか?」
ルルドの叫びが、空気を振るわせた。
「最初から仲間になる気などなかった。そうだろ、カグラ?」
回らない頭で頷いてから振り返る。ルルドが腕を前に掲げた。
スペルを発動するつもりか? 本能的に危険を感じる。
司をおいて逃げるわけにもいかないし、スペルの対処法なんて、ぼくは知らない。
言葉を発しようとした、ルルドの動きが止まる。血を吐き、胸を抑えると、その場に崩れ落ちた。
リュシスが、司に視線を移す。
「カグラの……、知り合いだったのか……」
苦しげに顔を歪め、目を充血させていた。
「でも、分かってくれ……。火の神官を倒せば、同じ結果を招いた」
目の前で起こったことが、まだ飲み込めなかった。
リュシスは……、ルルドを殺すために司を?
リュシスの言うことは、確かに間違ってはいないだろう。
だけど、だけどこんな。
「司を呼んだのは、この為?」
「――神官長たちの決定で、異界の神官を召還したのには、こういう理由も含まれていた。
裏切り者が分かった場合に、相手がどこに潜んでいようと、抹殺する方法」
「だけど、司には何に罪もない」
「その通りだ、カグラ。同調者という命の共有もまた、忌むべきシステムだと僕は考えている。終わらせよう、僕らの手で……。今夜には、最後の神官がここに到着するだろう。その子を説得して欲しい。そして、ファナを迎えに行こう」