彼女の行方
リノリウムの床に足音を響かせて、小羽が廊下を走っていく。
隣の教室の前に立ち止まると、呼吸を整えてから教室を覗き込む。
小羽は、一人の男の姿を捕らえると、ドア付近にいた友達の女の子に声をかけた。
「ごめん、片倉くん、呼んで来てくれないかな?」
他のクラスへの出入りは禁止されている。とは言っても、実際にそれを守っているものは少ない。
廊下を走ってきた小羽であったが、それ以上に規則を破ろうとはしなかった。
「あれ? 小羽って、片倉くんと知合いだったの?」
「最近、ちょっとね」
彼女の友人が、不敵な笑みを浮かべる。
「へぇ~、意外と小羽も……」
不穏な空気に気づいた小羽が、口を挟むより早く、
「片倉くん、かわいい彼女が呼んでるわよ」
と、教室に声が響き渡る。
雅樹を含めた何人かが、小羽たちの方に目を向ける。
「そんなんじゃないって」
雅樹と目が合った小羽は顔を赤くして、教室の入り口から姿を消した。
雅樹は首を傾げると、周りの冷やかしに動じることなく、その後を追う
廊下の角を曲がった所で、小羽は待っていた。
「あの、さっきのは友達が勝手に……」
小羽が、あたふたしながら話し始めるのを見て、雅樹が笑う。
「わかってる。それより、何かあったのか?」
「うん、優希が……」
「優希が?」
小羽の表情から、あまり良い知らせでは無い事を察知すると、雅樹はその表情を険しくした。
「学校に来てないの。優希の家に電話してみたんだけど、いつも通りに家を出た筈だって」
「病院は?」
「一度、来てたみたい。だけど、そこから先が分からないの。昨日、片倉くんが優希の幼馴染だって言うのを聞いたから、何か分かればいいなと思って……」
「くそ、どうしてそんなに自分を責めるんだあいつは」
雅樹は歯噛した。
「月宮さん、一緒に来てくれないか?」
「場所が分かるの?」
小羽が問い返す。
雅樹が顎に手を当てた。
「――そうだな、一つだけ心当たりがある。行こう」
差し出された手を見て、小羽が面食らう。
「今から? でも、学校は?」
小羽は雅樹の言動が信じられないといった様子だ。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
雅樹が一瞬鋭い視線を向ける、が、その後すぐに緩やかに笑みを作った。
「友達なんだろ? 俺があいつを見つけたとしても何もしてやれない。きみなら彼女を連れ戻せる。頼む、一緒にきてくれ」
小羽はしばらく黙っていたが、一つ小さく頷いた。
「わかった。私も一緒に行く」
校舎を出てからも、小羽は暗い表情をしたまま歩いていた。
「やっぱり戻るかい?」
と、雅樹が優しく問い掛ける。
「ううん、優希のこと、放って置けない」
小羽は雅樹に向かって精一杯の笑みで答えた。
「ありがとう」
それに応じて雅樹もまた、微笑み返す。
「優しいんだ、片倉君って。すごく優しくて、すごく友達のこと大切にしてる」
再び小羽が笑顔を浮かべた。
今度は無理に作ったものではない。心の底からの笑顔だった。
「そんなことはない」
雅樹は狭い路地の手前で立ち止まり、その奥へと目をやった。その奥には公園がある。
大塚病院と学校との間に位置する公園。雅樹も優希もこの近くに住んでいる。
「昔は、よくあの公園で遊んでたんだ。優希の家に連絡したらなら、この場所も探しに来てるかも知れないけど……」
二人が路地を進んでいくと、制服姿の少女が一人、俯いたままブランコに座っている。
顔は見えないけれど、優希に違いなかった。
錆びた鉄の擦れる音が僅かに耳に届く。二人が来たことにも気づいていないようだ。
「優希!」
小羽が優希の元に駆け寄り、優希が視線を上げる。
雅樹は優希に見つからないよう、石づくりの門の影に身を隠す。
「小羽? どうして……?」
「それは、こっちの台詞」
優希の漏らした言葉に、小羽は鋭く答えると、優希の目をじっと見据える。
「何やってるのよ、こんな所で」
優希が逃げるように視線を落とす。
「優希、あなたが居るべき場所は、ここではないでしょ?」
「わかってる、けど、わたし……どうしていいかわからない」
「学校へいって授業を受ける。それがあなたにできる最善のことよ」
なかなか手厳しいな、と雅樹が呟いた。
「わたしのせいで、神楽はあんなことに……」
「もしそうだったとしたら、なおさらあなたは、学校へいかなければならない。彼のために授業のノートをとるとか。できることはたくさんある筈よ。
あなたたがいなくなって、どれだけの人に心配かけているのか、分かっているの?」
「そんな人なんて……」
小羽が首を振った。
「ばかっ、目の前にいるわ。それだけじゃない。あなたの両親、病院や学校の先生、それに……」
小羽は、横目でちらりと公園の入口を見ると、
「あなたの事が好きな人」
と、小声で言った。優希が顔を上げる。
「わたしのことは放っておいて」
ブランコから降りて、優希は公園の外へと歩いて行く。
雅樹の存在に気づいて、きっ、っと睨み付けると、そのまま走り去る。
「嫌われたもんだな」
その後ろ姿を見つめながら、雅樹は人差し指で頭を掻いた。
「優しい人なのにね」
その横に歩み寄った小羽が言う。
「少し、強く言い過ぎたんじゃないのか?」
「ううん」
と、小羽は首を左右に振り、雅樹を見上げた。
「優希はそんなに弱くない。大丈夫、必ず学校へ帰ってくるわ」
「そうだな。ありがとう、月宮さん」
「小羽でいいよ」
と、じっと雅樹の瞳を見上げる。
「ねえ、雅樹君って、優希のこと……」
「さて、俺たちも帰るか、学校抜け出してきたから大変だぜ」
言って雅樹が駆け出した。
「あっ、待って」
慌てて小羽も後を追った。