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潜入警部と忘れない少女  作者: 青山春彦
第1章 潜入と記憶の導き
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2話 君の記憶と俺の任務

 夕方の光が校舎の窓から細く差し込み、廊下の床を長く照らしていた。

 屋上へ続く階段の踊り場。そこには、まださっきの出来事の余韻が残っていた。

 床に座り込んだ男。手首を撃ち抜かれ、呻き声を漏らしている。

 その隣に立つ龍二。そして、数歩離れた場所に春菜がいた。

 龍二は、男の腕を結束バンドで固定しながら、短く息を吐いた。


「もうすぐ応援が来る」


 低い声で言う。


「この男は、我々公安が責任を持って引き取る」


 春菜は、黙ってその様子を見ていた。

 さっきまでの静かな放課後が嘘のようだった。教室で話していたクラスメイトが、今は拳銃を持って、テロリストを取り押さえている。

 普通なら現実感を失う場面だ。だが春菜は、しっかり状況を見つめていた。完全記憶の頭脳は、すでに多くの情報を整理している。

 男の顔。拳銃の形状。龍二の射撃の角度。すべてが鮮明に残っている。


「大黒くん」


 静かに声をかけた。龍二が振り向く。


「なんだ」

「さっきの人……テロリストなの?」

「可能性は高い」


 短い答えだった。龍二は、男のポケットを調べ、携帯端末を取り出す。そして、電源を切り、ポケットに入れた。


「学校を狙ったのかな?」


 春菜の問いに、龍二は一瞬だけ考えた。本来なら一般人に話すような内容ではない。

 しかし、すでに拳銃も身分も見られている。


「まだ、断定はできない」


 そう言ってから続けた。


「だが、この学校に何か目的がある可能性は高い」


 その言葉を聞いて、春菜は少しだけ目を細めた。


「じゃあ」


 一歩近づく。


「大黒くん、危ない仕事してるんだね」


 龍二は小さく肩をすくめた。


「仕事だからな」

「潜入捜査?」

「……まあな」


 短い沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、春菜だった。


「だったら私、協力できるよ」


 龍二は眉をひそめた。


「は?」

「だから捜査」


 さらっと言う。まるで部活の話でもするかのような軽さだった。龍二は思わず苦笑する。


「無理だ」


 即答だった。


「なんで?」

「一般人だからに決まってるだろ」


 当然の理由だった。だが、春菜は引かなかった。


「でも私、覚えてるよ」


 龍二を見る。まっすぐな目だった。


「さっきの男の顔、身長、靴のブランド、拳銃の型」


 指を折りながら言う。


「全部」


 龍二の表情がわずかに変わる。


「……言ってみろ」


 春菜はすぐ答えた。


「身長はたぶん175くらい。右利き。拳銃はグロック系だけどスライドが少し長いから17か34。靴は海外ブランド。たぶん軍用」


 龍二は数秒黙った。そして、小さく息を吐く。


「本当に覚えてるんだな」

「だから完璧に覚えてるって言ってるでしょ」


 春菜は少し得意げに言った。

 龍二は、階段の壁にもたれた。頭の中で計算する。

 もし、この少女が言っている通りなら。

 彼女は、強力な情報源になる。

 しかしそれと同時に、危険に巻き込むことにもなる。

 警察官として、一般人を危険な目に合わせる行為は、許容出来ることではない。


「ダメだ」


 龍二は、もう一度言った。


「君は、普通の高校生なんだ」


 春菜は少し黙った。それから、ゆっくり言った。


「でも」


 龍二を見る。その目には迷いがなかった。


「さっき助けてくれたよね?」

「……」

「もし大黒くんがいなかったら、私たぶん死んでた」


 龍二は何も言わない。

 春菜は続けた。


「だから今度は、私が助けたいの」


 龍二は思わず笑ってしまった。


「助ける?」

「うん」

「俺……公安警察を?」

「うん」


 その真剣さに、龍二はしばらく言葉を失う。

 そしてその時だった。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 公安の応援部隊だ。龍二は、男を見下ろす。そして春菜を見た。


「今日のところは帰れ」


 静かに言う。


「そして、この件は忘れろ」


 春菜はすぐ答えた。


「無理だよ」


 即答だった。


「だって、勝手に覚えちゃうから」


 龍二は額を押さえた。本当に厄介な能力だ。

 そしてその時、春菜がぽつりと呟いた。


「ねえ」

「なんだ」

「この男……一人じゃないよ」


 龍二の視線が鋭くなる。


「どういう意味だ?」


 春菜は階段の下を見た。


「さっきここに来るときにね」


 静かに言う。


「同じ靴の人が、もう一人いたの」


 龍二の目が変わる。


「どこで見た」


 春菜はゆっくり答えた。


「校門の外だよ」


 そして続けた。


「黒い車に乗ってた」


 龍二の心拍が一瞬で上がった。

 仲間がいる。しかもまだ近くにいる可能性が高い。

 龍二は男の腕を強く掴んだ。


「仲間はどこだ!」


 男は黙ったままだ。

 その瞬間、遠くで車のエンジン音が聞こえた。

 龍二の表情が変わる。そして、彼は言った。


「鈴木」


 春菜を見る。


「とりあえず、俺と一緒に来い」


 龍二の言葉を聞いた瞬間、春菜は迷わず頷いた。

 2人は、階段を駆け下りた。校舎の廊下には、まだ生徒がいる。だが、龍二の足は止まらない。一直線に昇降口へ向かう。


「大黒くん」


 走りながら春菜が言う。


「車は黒。ワンボックス。窓スモーク」


 龍二は軽く驚いた。


「ナンバーは?」

「横浜」


 即答だった。


「4桁は?」

「62-19」


 龍二は、内心舌を巻いた。本当に全部覚えている。

 昇降口を飛び出す。夕暮れの校門。そして、そこに一台の車があった。

 黒いワンボックス。エンジンがかかったまま。その車の運転席には、男が一人。龍二と目が合う。

 次の瞬間、男はアクセルを踏んだ。

 タイヤが鳴るのと同時に、車が急発進した。


「止まれ!」


 龍二は叫んだが、当然止まるはずがない。車は、校門から道路へ飛び出す。

 龍二はすぐ拳銃を抜いた。だが撃たない。周囲には住宅がある。あまりにも一般人が多すぎる。

 そして舌打ちをする。

 その時だった。


「大黒くん!」


 春菜が叫ぶ。


「右に曲がる!」


 龍二が振り向く。


「見えたのか?」

「違う!」


 春菜は息を切らしながら言う。


「さっきの人、スマホで地図見てた!」


 龍二の思考が動く。


「どこだ!」

「港の倉庫!」


 龍二は一瞬で判断した。

 仲間の回収。もしくは爆発物の回収。どちらにしても放置できない。


「鈴木」


 龍二は低く言った。


「ここで待ってろ」


だが春菜は首を振った。


「嫌」

「ここからは危険だ」

「そんなこと知ってるよ!」


 春菜は、龍二を見る。まっすぐな目だった。


「でも、私の方が役に立つ」


 龍二は黙る。確かにそうだ。

 ナンバー。顔。動き。すべて記憶している。

 龍二は数秒考え、そして言った。


「俺について来れば後悔することになるぞ」


 春菜は小さく笑った。


「もうしてる」

「?」

「もっと早く話せばよかった」


 龍二は少し驚いたが、春菜は続ける。


「だって大黒くんのこと、前からずっと気になってたから」


 夕日が二人を照らす。

 ほんの数秒の沈黙。龍二は苦笑した。


「変わった告白だな」

「今じゃない?」

「今じゃないだろ」


 そう言ってから。龍二はポケットから小型の無線機を取り出した。

 短く報告する。


「こちら黒崎」


 公安で使っている偽名だった。


「対象車両確認。黒のワンボックス。ナンバー横浜62-19」


 無線の向こうで声が返る。龍二は続けた。


「これより対象車両を追跡する」


 そして通信を切って、春菜を見る。


「鈴木」

「うん」


 龍二は静かに言った。


「今日からお前」


 少しだけ間を置く。


「俺の相棒候補だ」


 春菜の目が少し大きくなる。


「候補?」

「まだ決定じゃない」


 龍二は歩き出す。校門の外へ。


「これからしばらくは、試験期間だ」


 春菜は笑った。そして龍二の隣に並ぶ。


「じゃあ頑張る」


 龍二は、横目で彼女を見た。

 普通の女子高生。だが、その頭脳は、公安の情報分析官並みか、それ以上もしれない。

 そして何より、恐怖より好奇心が勝っている。龍二は小さく呟いた。


「とんでもない相棒になりそうだ」


 春菜は聞き逃さなかった。


「それって褒めてる?」

「さぁな」


 2人は、夕暮れの道路を走り出す。テロリストの車を追って。

 公安警察と完全記憶の少女。その奇妙なコンビは、まだ始まったばかりだった。

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