出来合いと溺愛は同じ音
天然娘の話を読んでいた時に書いたので予想以上にぽわぽわした主人公になってしまいました。
お気軽にお楽しみください。
「もう婚約解消をするしかありませんわ」
親友のロアーナことロアと学園のガゼボでお茶をしている時に堪えきれずに言ってしまいました。
ちなみに学園では頼むとカフェのほうからお茶や軽食を望む場所に運んでくれる仕組みなのです。
お茶の仕度さえしてあればお茶くらいは自分たちで淹れられますの。
お茶を美味しく淹れるのは淑女の嗜みですわ。
「どうしたのよ、急に」
さすがに親友といえども驚いていますね。
無理もありません。
ですが、耐えがたいのです。
「だって聞いてしまいましたのよ、ヴァーノ様がわたくしのことを"出来合いの婚約者"と言っていましたのを!」
ヴァーノ様ことシルヴァーノ様はわたくしの婚約者です。
「聞き間違えたのではないの?」
「いいえ! この耳ではっきりと聞きましたのよ。間違いありませんわ!」
「あの方がそんなことを言うかしら?」
ロアは懐疑的です。
もう親友ですのに。どちらの味方なのでしょう。
「だってはっきり聞きましたのよ。いい関係を築けていると思っていましたのに」
まさか独り善がりだったとは思いもよりませんでした。
もうショックで悔しくて悲しくて恥ずかしくて。
「私の目から見ても仲良くしているように見えたわよ。シルヴァーノ様のジュリへの愛も重苦し……いえ愛情があるように見えたわ」
わたくしは頷きました。
わたくしもヴァーノ様の愛情は本物だと思っておりました。
ロアの目にもそう見えていたのでしたら答えは一つです。
「演技がうまいのですわ、きっと」
ちなみにジュリとはわたくしジュリエッタの愛称です。
「そうなのかしら?」
「そうに違いありませんわ」
それしか考えられません。
ロアは首を捻って納得できないようです。
それだけヴァーノ様の演技力が高いということですね。
わたくしもすっかりと騙されてしまいました。
ちらりとわたくしの表情を確認したロアは別の方向から話を展開させます。
「でも婚約は家同士の約束でしょう。個人の感情で解消できるものではないはずよ」
ロアの心配も尤もです。
ですがそちらは問題ありません。
何かしらの政略があるのであればさすがにわたくしも軽々しくこのようなことは申しません。
「わたくしたちの婚約は政略ではありませんのよ。ただ向こうから申し込まれたものですの。解消になっても問題はありませんの」
「問題大ありだね」
「ヴァーノ様っ! いついらしたのですか!?」
いつの間にかいらしたヴァーノ様がするりとわたくしの隣の椅子に座られます。
まあこれはいつものことですから気にはしません。
ヴァーノ様が頼んでおいたのか学園の侍女がヴァーノ様の前にお茶の入ったティーカップを置き、わたくしとロアの前にお茶菓子を追加します。
まあ、フィナンシェですわ。わたくしこれが大好きですの。
ロアの視線が突き刺さります。
大好物を前に気を緩めすぎだと言いたいのですね。
わかっています。
きりっとした表情を作ります。
ヴァーノ様は微笑んでいますし、ロアは溜め息を堪えています。
何故でしょう?
こてりと首を傾げます。
そっとヴァーノ様に首を戻されました。
あら?
ヴァーノ様がわたくしににっこりと微笑みます。
「婚約解消なんて認めないから」
「何故でしょう? わたくしたちの婚約は政略的なものではなかったはずですわ」
「僕がジュリと結婚するというメリットがなくなる」
「それがメリット、ですの?」
「当たり前だろう。最大のメリットだ」
「意味がわかりませんわ」
「本当に?」
「本当ですわ」
疑われるのは心外です。
「君に恋い焦がれて、ようやくその婚約者の座を手に入れたのに手放すわけがないだろう」
「嘘ですわ」
異議あり、というやつですわ。
ヴァーノ様がへにょんと眉を下げます。
その顔に揺らぎそうになりましたが、何とか気持ちを立て直します。
危なかったですわ。
できるだけ感情を乗せないようにして告げます。
「わたくしヴァーノ様が御友人方にわたくしのことを"出来合いの婚約者"だとおっしゃっているのを聞きましたわ」
騙されません。
真面目な顔でヴァーノ様を見ます。
ヴァーノ様は緩く首を傾げました。
思っていた反応と違います。
目を一度ぱちりとします。
「まさか心当たりがないとでもおっしゃるつもりですか?」
「うん、ないかな」
「やっぱりジュリの勘違いだったんじゃないの?」
ロアが呆れたように言います。
そんなはずはありません。確かにこの耳で聞いたのです。
「違います。ちゃんとこの耳で聞きましたわ」
わたくしがヴァーノ様の声を聞き間違うはずがありません。
お姿もしっかりと見ましたから間違いありません。
ヴァーノ様は首を傾げます。
「いつのこと?」
「三日ほど前の放課後ですわ。学園のベンチで本を読んでいましたらヴァーノ様が御友人方とお話しながら歩いていらっしゃいました」
あのベンチは意外と死角になっていて通路からは見えにくく、逆にベンチからは通路がよく見えるのでお気に入りの場所なのです。
誰に注意されても断固としてやめるつもりはありません。
「ジュリ! 何かあった時に気づかれにくいから一人の時はやめなさいって言っているでしょう!」
案の定、ロアが怒ります。
いつもなら一緒に怒るヴァーノ様は別のことに気を取られているようです。
密かにほっとします。
「ああ、わかった。ジュリがまさか聞いていたなんてね」
「ほらわたくしの言った通りではありませんか」
わたくしの聞き間違いではありませんでした。
少し胸を張ります。
ロアが呆れたようにわたくしを見ます。
何故でしょう?
「でもやっぱり聞き間違えているよ」
「え?」
「"出来合い"ではなく"溺愛"だからね」
わざわざ文字まで書いてくださいます。
「ま、紛らわしいですわ!」
「そもそも文脈的に間違えることってある? 出来合いの婚約者って何?」
「言われればそうですけど……」
ですけど、ですけど、わたくしにも言い分はあるのですわ。
「だって、感情のない声で告げておりましたのよ。"溺愛"だなんてわかりませんわ」
あの時のことを思い出します。
わたくしのことを話すヴァーノ様の感情のない声。
あのような声は初めて聞きましたわ。
冷たい声よりも何の感情もこもっていない声のほうがよほど心に突き刺さるのだと初めて知りました。
ざらりと心臓を撫でられたような気さえしたのです。
今でも思い出すと心臓がきゅっとなります。
思わず手を握りしめますと、その手を包み込むようにヴァーノ様が手を重ねられました。
温かさに引かれてヴァーノ様を見上げます。
ヴァーノ様は柔らかい表情でわたくしを一心に見つめています。
わたくしを見る愛情深い眼差しとあの時の感情の宿っていない声。
どちらが本当のヴァーノ様なのかわからなくなります。
今目の前のヴァーノ様を信じたいです。
ですが、あの時の声が心に刺さって抜けないのです。
わたくしの心が揺れているのがわかったのでしょう、ヴァーノ様の眉が少しだけ下がります。
「ジュリのことをあまりにもしつこく訊かれるのに嫌気が差したんだ」
やっぱりわたくしの話をするのがお嫌なのですね。
しょぼんとなってしまいます。
「誤解しないでほしい。ジュリのことが嫌なわけじゃない。他の男にジュリの話をされるのが嫌なんだ」
目をぱちぱちとしてしまいます。
「あらまあ、ジュリ、愛されているわね」
今の言葉のどこに愛されているということがわかる要素があるのでしょうか?
首を傾げれば、相変わらずねぇとロアに苦笑されます。
「他の男がジュリのことを話すなんてジュリが減る」
「わたくしは減りませんが?」
人が話すだけで減ってしまうのならば、人気のある方などあっという間になくなってしまうではありませんか。
恐ろしいことです。
だからそんなはずはないのです。
「いや、減る」
ですがヴァーノ様は強固に言い張ります。
ロアは微笑っているだけで何も言ってくれません。
ここはわたくしが退くしかなさそうです。
「そうですか」
平坦な声になってしまったわたくしは悪くありません。
「うん。ジュリは減らないように気をつけて」
「気をつけようがありませんわ」
「うん、そうだね。ジュリはそのままで」
こてりと首を傾げて、やはり戻されます。
そのまま話も戻されました。
「それよりも、ジュリ、婚約解消だなんて、一気に飛躍しすぎじゃない?」
「そう、でしょうか?」
わたくし的にはよくよく考えて出した結論だったのですが。
三日も悩みましたもの。
その間、ヴァーノ様のことも勿論観察していましたわ。
まったく変わったところはありませんでしたが。
だから余計に信憑性が増したのでした。
ヴァーノ様が切り口を変えてきます。
「僕たち仲良くしていただろう?」
力なく頷きます。
「だからこそショックでしたの。わたくしたちは仲良しこよしだと思っておりましたのに、"出来合い"だなんて、と」
「うん、仲良くしていたという認識はしてくれていたんだね」
「仲良しでしたでしょう?」
「それはもちろん」
それはわたくしの独り善がりではなくてほっとしました。
一人でそう思っていたのだとしたら悲しすぎます。
「出来合いだというのなら婚約解消してもいいと思いましたの。政略でも何でもないわけですし」
婚約が解消になっても家にとっては困りません。
わたくしの次の婚約者を探すのが、少し、大変かと思いましたがそれだけです。
ヴァーノ様とのお別れは胸が切り刻まれるように痛いですが、隣にいてずっと心を針で突かれ続けるよりは離れてしまうほうがずっとましだと思ったのです。
ヴァーノ様の眉間に皺が寄ります。
機嫌を損ねてしまったようです。
叱責は甘んじて受けます。
ヴァーノ様が溜め息をつきました。
「まずは僕に真意を確認すればよかったんじゃない?」
「それは、そうですけれど……」
ヴァーノ様の顔が見られません。
ヴァーノ様の言い分は正しいです。
誰が聞いても正しいというでしょう。
ですが、正しいことが必ずしも実行できるかというと残念ながら無理です。
ヴァーノ様に訊けばいいとわかっていましたが、わたくしには無理でした。
「どうして訊かなかったんだい? 訊いてくれればすぐにその誤解は解けたはずだよ?」
それは、そうかもしれません。
ですが、どうしてもできませんでした。
ヴァーノ様は誠実な方ですので訊けばきちんと答えてくださったでしょう。
ですが、それが怖かったのです。
とどのつまりは、勇気がなかった、それだけのことです。
ここまで来てしまえば素直に告げるしかありません。
「ヴァーノ様の本音を知るのが、怖かったのです……」
うつむいたわたくしの頭がぽんぽんと優しく撫でられます。ヴァーノ様でしょう。
いつもの、優しい手つきです。
ヴァーノ様の気持ちが揺らいでいないということなのでしょう。
わたくしが示してくれていた気持ちを信じられずに、たまたま聞いてしまったあの声を信じてしまった、それだけのことなのです。
「そうか。そんなに想われていて嬉しいよ」
「はい。わたくしはヴァーノ様をお慕いしています」
その気持ちは揺るぎませんでした。
だから余計に苦しかったのです。
「ジュリ」
名前を呼ばれたので顔を上げてヴァーノ様のお顔を見ます。
ヴァーノ様はふわりと柔らかく微笑みました。
わたくしにとっては見慣れた、ロア曰くわたくしにしか見せない微笑みです。
「ジュリの気持ちが変わっていなくてよかったよ」
「当然ですわ」
きっぱりと告げます。
空気が漏れるようにしてヴァーノ様が笑います。
「そっか。当然なんだ」
「勿論ですわ」
仲良しこよしだから好きになったわけではありませんもの。
ヴァーノ様のお人柄に惹かれたのです。
一緒に過ごすうちにヴァーノ様の全てを好きになってしまいましたけれど。
「そっか。嬉しいよ」
ヴァーノ様が微笑んでくださいます。
わたくしも思わずほわりと微笑んでしまいます。
場の空気も緩んだのではありませんか?
いい感じです。
そう思ったのですがーー。
「それにしても、」
何故ヴァーノ様は溜め息などつかれるのでしょう?
「全くこれっぽっちも僕の気持ちが伝わってないなんてね」
「そ、そんなことはございませんわ」
勘違いだと思って落ち込んでいたくらいですもの。
「何とも思っていないと知って落ち込んでいましたのよ?」
「それで思い余って婚約解消なんて世迷い言を言い出したのね」
「世迷い言だなんて。わたくしはこれでも真剣に悩みましたのよ」
「世迷い言ね」
ロアにきっぱりすっぱり切り捨てられました。
さらにヴァーノ様までおっしゃいます。
「いきなり飛躍しすぎだよね」
ううぅ、これでも本当に寝不足になるほど真剣に悩みましたのに。
ヴァーノ様の手が伸びてきて目の下をなぞりました。
「ジュリ、あまり寝ていないの?」
お化粧で隠していたのですが、この距離では気づかれてしまったようです。
「……それほど悩みましたの」
「夜は寝ないと駄目だよ」
「はい」
わたくしだって眠ろうとしました。
ですがあの時のヴァーノ様の声が何度も甦ってなかなか寝つけなかったのです。
それを言葉にできずにいたのですが、ヴァーノ様には伝わってしまったようです。
「寝られないくらい悩むなら僕の気持ちを信じて確認してほしかったな」
「……申し訳ありません」
「いや、ジュリは悪くないよ。僕の気持ちを信じきれない程度にしか伝えられていなかった僕が悪い」
何故でしょう。身の危険を感じます。
ヴァーノ様がロアに視線を向けます。
「ロアーナ嬢、ジュリをもらっていっていいかな?」
「どうぞ。お好きになさいませ」
「え?」
「行こうか、ジュリ」
「え? え?」
腕を引かれたので思わず立ち上がります。
「ジュリ、また明日ね」
ひらひらとロアがにこやかに手を振っています。
状況についていけません。
「ほらジュリ、お別れの挨拶をして?」
「ロア、また明日お会いしましょう」
「ええ」
何が何やらわからないままヴァーノ様に手を引かれてその場を後にします。
そして馬車に乗せられ、着いたのはヴァーノ様のお屋敷の、彼の部屋です。
そこでヴァーノ様の気持ちをこれでもかと身をもって体感させられました。
もう骨の髄まで叩き込まれましたわ。
ああ、もちろん、婚姻に支障をきたすようなことはしていませんので、あしからず。
読んでいただき、ありがとうございました。




