はじまる
ここは王宮内の侍従棟。
もうここに住んでしばらくになる。
鏡の前に立ち、いつものように髪の一束も落ちてこないように結び、鏡ににこりと笑顔を作る。
身だしなみを整え、王宮内の敷地を歩いた先に、騎士の立つ扉がある。そこが王家が暮らす本館。私が勤めるサロンがある。
「おはようございます」
若い騎士が私の顔を見て優しく笑い、ビシッと姿勢を正す。
「おはようございます」
私はいつものようにお辞儀をして挨拶を返す。
エスコートするように騎士が扉を開けてくれる。
扉の先は、侍従棟とは違う、華やかな空気が私を包む。
何もかもいつもと同じ。
また今日が始まる。
殿下は私に恥をかかせたいのかしら?
お話があるとサロンに来ていただくようお声掛けをアルフレッド殿下にいたしました。
お話とは、今度開催される夜会の話。
「ですから、パーティ用のドレスを新調してくださいと申しております。」
「はぁ、君は、まだ婚約者でもないのに、僕にドレスをねだるのかい?」
「次の夜会は私たち二人で行くのでしょう?その時に殿下に合わせたドレスを婚約者候補である私に贈るのはあたり前では?」
「二人で行くもの決まってはいないし、ドレスは少し前にあげたよ。」
アルフレッド殿下は伯爵令嬢である私に同じドレスを二度着ろと?
そのような、恥ずかしいことを私にさせようというの?
バンッ
と私が机を叩くと同時に侍女が机に紅茶を置いていたのが倒れて私にかかった。
あつい。
と驚いた拍子に椅子から落ちてしまった。
その衝撃は一瞬だったけど、思い出すには十分な時間だった。
「申し訳ございません。イザベラ様。」
さっきの侍女が一生懸命にドレスにかかった紅茶を拭く。
思い出した。
ここは乙女ゲームの世界。
目の前にいるのが第一王子。
私は悪役令嬢。
そして、目の前で膝をついている侍女が主人公。
悪役令嬢の私は、主人公をいじめ、どの攻略対象にあたっても私は破滅してしまう。
どうあがいても幸せな結末は私にはない。
「イザベラ様。やけどなどございませんか?」
心配そうに顔を上げる主人公。
乙女ゲームの展開でもあった。
このあと、私は主人公を突き飛ばし、罵声を浴びせた。
「え、あ、いえ、大丈夫です。ごめんなさい。」
主人公の瞳が揺れた。
一瞬でサロンで聞こえていた談笑が消え、
視線がグッと私に集まった。
そうよね。イザベラは謝るなんてしたことないものね。
ましてや、相手が侍女だもの。
またドレスを拭き始めようとする主人公を制止する。
「もう大丈夫よ。ありがとう。」
「…申し訳ございません。失礼します。」
主人公は深くお辞儀をして下がっていった。
今度はこそこそと周りから声が聞こえる。
イザベラらしくと言っても、主人公は何も悪くないのに、こんなに必死にドレスを拭いている。
それを鼻で笑ったり、罵声を浴びせたりだなんて今の私にはできない。
アルフレッド殿下の視線は、既に去った主人公が消えた扉の方向をぼんやりと見つめていた。その瞳には、私との会話で見せた不機嫌さではなく、何か底知れない好奇心のようなものが宿っていた。
やっと私の方を見た殿下の目には疑いを含む冷たい目だった。
「...急にどうしたんだ?」
あぁ、乙女ゲームはもう始まったのね。
「少し目を覚ましましたわ。」
私が破滅しないように、できることをしなくては。




