Chapter30 「室長からのスカウト」
Chapter30 「室長からのスカウト」
米子は木崎と一緒に永田町の内閣府別館6Fの応接室のソファーに腰を下ろした。応接テーブルを挟んで内閣情報統括室室長の三枝と東山管理官が座っていた。東山管理官から米子と話したいという打診があったため、木崎が米子を連れてきたのだ。米子は桜山学園の制服姿だった。紺色のブレザー、白いスクールYシャツ、紫色とブルーの縞模様のスクールリボン、ブルーのチェックのスカートに黒いタッセルローファーに紺色のショートソックスだった。
「ニコニコ企画の木崎です。本日は東山管理官にお声がけいただき、三枝室長までご列席いただきましてまことに恐縮です。どうぞ宜しくお願いします。米子、挨拶するんだ」
木崎が言った。
「1級工作員の沢村米子です。宜しくお願いします」
「今日は私だけではなく、三枝室長も沢村君の話しが聞きたいということで同席してもらいました」
東山が言った。
「室長の三枝です。東谷君から話をきいて君に会いたいと思っていました。今回の一連の報告書と君の経歴書と戦闘記録を読みました。今回の件ですが実に良くやってくれました。お礼を言わせてもらいます」
米子の書いた報告書には原田と川島が接触してきてところからゼニゲーバ商務長官暗殺に失敗し、阿南を葬るまでの一連の出来事が記述されていた。真革派の山荘襲撃と片山、野村への復讐についても記述していたが、如月カンナについては最低限の事しか書いていなかった。
三枝壮一郎、46歳。内閣情報統括室の最高責任者である。三枝は6年前に外務省から引き抜かれて転籍とういう形で内閣情報統括室移動した。三枝は比較的裕福で格式の高い家庭に生まれた。父親の『純一郎』は総務省のキャリア官僚だった。母親の『彩香』は旧財閥系企業『五井物産』の創業一族を父に持つお嬢様であった。
三枝は何不自由なく育った。小学校低学年の頃から家庭教師を付けられ、中高一貫の有名私立校『麻布学園』に通った。現役で東京大学法学部に入学して22歳で卒業した。大学卒業後はアメリカに留学してハーバード大学のケネディスクールで Master in Public Policy (MPP)を学び、24歳で修士課程を修了して帰国した。25歳の時に帰国し、国家公務員総合職試験に合格する。26歳の時に外務省にキャリアとして入省した超エリートである。
入省後は総合外交政策局内の複数のセクションで対テロ・安全保障・国際捜査協力などに関与して実績を積み上げ、36歳にして総合外交政策局 国際安全・治安対策協力室の室長に任命されたエリートキャリア官僚である。
三枝は28歳の時に上司に紹介された2歳年下の女性『彩香』と結婚をした。現在まで子供はいなかった。三枝は感情を表に出すことなく、ロジカルに考えロジカルに語る男だったが芯は強く、丁寧な言葉を使いながらも強引なところがあった。趣味は中学生の頃から続けている乗馬である。また、母親の影響で絵画にも興味を持ち、時間がある時は美術館巡っていた。
「いろいろ勝手な事をしてすみませんでした」
米子が言った。
「本来であれば家族の復讐などの私的な暗殺は認める事はできませんが、今回は一連の出来事の中で発生した偶発的な事項として不問にします。それよりも赤い狐と公安部の繋がりを暴いてくれた事に感謝しています」
三枝が言った。
「すみません」
米子は小さな声で言った。なぜ自分が呼ばれたのか理解しかねていた。
「なぜ公安部長の阿南は赤い狐に取り込まれたんでしょうかね?」
三枝が訊いた。
「阿南は赤い狐に協力して、いわゆるレッドチームが日本を支配した時にその配下で政治家になることを目指していたようです。また、日本がアジアを力で支配する事を望んでいたようです」
「沢村さんは赤い狐はどんな集団と考えますか?」
「ロシア、中国、北朝鮮の諜報機関の連合体です。西側の資本主義陣営をテロで弱らせる事を目的にしているようです。今は日本をターゲットにして乗っ取とろうとしているようです。レッドチームの実働部隊だと思います。根底には社会主義や共産主義的思想があり、資本主義陣営に対抗しているのでしょう。そして手っ取り早くテロや暴力で勢力拡大の基盤を作っているのだと思います」
「赤い狐は強いのですか?」
「私は東北の前沢で赤い狐と戦いましたが、私が戦ったのは日本に潜伏しているスリーパーでした。あまり強くありませんでした。他のメンバーはサービスエリアの駐車場で敵の正規の部隊と戦いましたが撃退しています。しかし本体はロシア、中国、北朝鮮の特殊部隊出身者で構成されているようなので戦闘力は強いと推測されます。また、何らかの思想に傾倒しているのであれば団結力もあると思われます。極めてやっかいな相手です」
「なるほど。女子高生とは思えない冷静な推測ですね。実際に対峙した事があるから感じるのでしょうね。それにしても沢村さんは凄い戦歴ですね。武器商人、半グレ集団、アメリカの暗殺グループの殲滅。鴨志田課長の救出、立て籠り事件を起こした元自衛官と防衛省を襲撃した元自衛官の暗殺、闇バイトの実行犯と元締めの殲滅、外務省工作員護送時の赤い狐との戦闘、丸の内のテロ事件への対応、榊先生護衛時の闇桜との戦闘など、覚えきれないくらいです。暗殺任務の枠を超えたこれらの活動には目を見張るものがあります。ただのアサシンにしておくには勿体ないですね」
三枝が言った。
「私は工作員ですが、実態はただの女子高生です」
「謙遜しなくて結構ですよ。あなたの活躍は噂でよく聞いていました」
「沢村君は内閣情報統括室の実働部隊のエースです。最も優秀な工作員です」
東山が言った。
「戦闘力だけじゃありませんよね。作戦立案能力も非常高いようですね。内閣情報統括室の知能検査でもIQ200という驚異的なスコアを記録しています。運動能力もS級で走力はインターハイレベルですよね。素晴らしいスペックとポテンシャルだ。滅多に会う事が出来ない逸材です」
三枝が言った。米子の事をかなり調べているようだった。
「沢村は格闘も射撃もS級以上です」
木崎が言った。
「そうそう、木崎さんの報告書も読みましたが沢村さんはネット配信会社の格闘技大会の無差別級で優勝していますね。私も検索して動画を観ましたが凄かったです。訓練をするとここまで強くなるのかと思いました。相手はプロの格闘家ですよ」
三枝が感心するように言った。
「工作員が目立つような事をしてはいけないという事はわかっていましたが、いろいろあって出場してしまいました。すみませんでした」
米子が謝った。
「才能を発揮する事を惜しんではいけません。むしろ輝かせるべきです。それはそうといろいろ大変でしたね。元公安部長の阿南に利用されそうになり、失敗を理由に命を狙われました。それなのに逆襲に出て阿南を葬っています」
「阿南は取り調べの対象だったようですけど殺してしまいました。すみませんでした」
米子が言った。
「阿南は闇桜という恐ろしい組織を操り、懸賞金まで掛けて君を始末しようとした。それなのに君は勝った。よく逆転できたと心底驚いています。公安部長の阿南と赤い狐の関係が明らかになっただけでも大きな収穫と考えるべきです。赤い狐が警察組織の中枢まで入り込んでいたのは由々しき事態です。東郷総理もショックを受けています」
「警察庁、防衛省、外務省が連携して赤い狐と戦うと聞いてますが横断的な組織が出来るのでしょうか?」
米子が訊いた。
「赤い狐に対抗する組織の構築は急務となっています。もちろん我々内閣情報統括室も全力で協力します。むしろ内閣情報統括室が中心となるべきです。沢村さんにも力になってもらう事になるかもしれません。ちなみにその組織の呼称は『国家即応防諜機動群』です。内閣直轄の組織になるでしょう」
「国内では『新しい力』と『古い力』が争っていましたが、それはどうなったのですか? 警察は新しい力の、自衛隊は古い力の側だと聞いていました。そして内閣情報統括室は古い力の側だと聞いていました」
米子が訊いた。
「休戦状態です。終戦と言ってもいいかも知れませんね。戦う意味がなくなったのです。衰退する一方のこの国に新しい力の方が見切をつけたようです。新自由主義どころではなくなってきたのです。そこに赤い狐が侵出してきた。国家存亡の危機を前に内戦をしている場合ではありません。皮肉な事に赤い狐の浸出がこの国の分裂を救ったのかもしれませんね。とにかく今は国をあげて赤い狐との戦いに全力を尽くす時なのです。我々内閣情報統括室のその事に注力します」
「私も戦います。暗殺と戦闘任務があれば引き受けます」
米子が言った。
「沢村さんは進学するのですか?」
三枝が話を変えるように言った。
「大学に行こうと思ってます。宇宙工学に興味があります」
「いいですね。宇宙にはロマンがあります。大学に行っても組織には残ってもらえます
よね?」
「はい。学費と家賃を援助してもらえるので残るつもりです。もちろん任務は全力で遂行します」
「それはよかったです、是非残ってください。今はニコニコ企画で頑張ってもらっていますが、大学生になったら本部の仕事をしてもらいたいと思っています」
「本部の仕事ですか?」
米子が訊いた。
「作戦課や企画部が沢村さんを必要としています。本部付の工作員になれば給料もアップします。木崎さん、工作員は大学生になるとどれくらい給料がアップするのですか?」
三枝が木崎に訊いた。
「大学生になれば基本給が3万円ほどアップします。総支給で21万6000円です」
木崎が答えた。
「なるほど。沢村さん、もし本部付になれば給与は25万円になりますよ。悪い話じゃないですよね?」
三枝が言った。
「私は今まで通り現場で任務を遂行したいです。ニコニコ企画を気に入っています。仲間もいます」
米子が言った。
「本部付になれば大学卒業後に内閣情報統括室の正式な職員として就職する事も可能です。形としては国家公務員一般職として内閣府に採用される事になります。沢村さんには是非そうして欲しいと思っています。もちろん総合職試験に合格すればキャリア採用になります。沢村さんなら十分可能だと思います」
「大学卒業後の事はまだ考えていません」
米子がきっぱりと言った。
「わかりました。ただ、大学生になったら実戦経験が豊富なアドバイザーとして本部で作戦課と企画部の任務にも協力してもらいます。これは命令です。時間があればニコニコ企画の仕事をしてもらってもかまいません。いいですね、命令です」
三枝の声は穏やかだが、何故か鉄のように硬く、重く感じた。米子はその事が不気味だった。抗えない何かを感じた。
三枝は内閣情報統括室の室長に就任してから欲しいと思った人間を各省庁から引っ張って来た。そのやり方は時に強引であったため、各省庁の反発を招いたが内閣情報統括室が政府組織の中で力を増しつつあるため、見逃されている。法務省の外局である公安調査庁で国際テロ組織の調査を行っていた東山も三枝が目を付けて引き抜いたのである。ニヤニヤ企画の責任者の松原も三枝の指示で大阪府警警備部から引き抜かれたのだ。
「あの、私は本部とか興味はありません。今まで通り現場で働きたいです。誰かの立てた作戦で失敗したくありませんし、私が立てた作戦で誰かが命を落とすのも嫌です。自分の立てた作戦を自分で実行したいです。それには今の場所が最適だと思っています」
「それはだめですね。才能のある人間はその才能を公のために発揮する義務があります。天から受けた使命といてもいい。あなたにはその義務があるのです。その義務はあなたの感情や思いよりも優先されなければならないのです」
三枝が言った。その声は巨大なローラーが静かに回りながら進んでくるようだった。
「三枝さんは銃で人に撃った事ありますか? 銃弾が頬を掠めた事ありますか? 殺した人間の血を浴びた事ありますか? 沢山の人間を殺して生き残る。また殺して生き残る。任務の達成ってそういう事なんです。作戦を立てて、銃を撃って、ナイフで刺して、時には素手で息の根を止める。そうやって任務を達成することで組織に貢献してきました。血まみれの手で国を守って来たつもりです。それが工作員であり、アサシンです。そしてそれが私が組織に貢献するために最も有効な手段なんです」
米子が言った。
「まだ時間はあります。まずは受験を頑張ってください。私は本部で待ってます。今日は沢村さんと話せて良かったです。そうそう、今日はクリスマスイブでしたね。これで帰りに何か美味しいものでも食べてください。よいクリスマスと良い年を」
三枝が言って封筒を木崎に渡して席を立つとドア開けて会議室を出て行った。
「沢村君は三枝室長に気に入られたようだね」
東山が言った。
「そうは思えません」
米子が言った。米子は溶けた鉛の海を泳いだように疲れていた。
「なんにしても三枝室長は『国家即応防諜機動群』の構築と運用において沢村君を必要と思っているのだろう」
「米子は、いや、沢村は優秀ですがまだ18歳です。本部は大人の世界です。まして各省庁の合同なんて魑魅魍魎が巣食う世界です。まだ沢村には早いと思うのですが」
木崎が言った。
「時間は待ってくれない。酷だとは思うが頑張ってもらうしかないだろう。沢村君は優秀過ぎるんだ。ぜんぜん羨ましく無いけどな。優秀がゆえに使い潰される。能ある鷹は爪を隠した方がいいのかもしれない。その方が長生きできる」
東山が言った。
「私にそんな爪も嘴もありません。ただの女子高生です」
米子が静かに言った。
米子と木崎は内閣府を出て国会議事堂前駅に向かって夕方の国道246号線を歩いていた。
「米子、何か食べて行くか? 2万円も入ってるぞ」
木崎が三枝から貰った封筒を覗きながら言った。
「お腹が空きましたね。ラーメンか牛丼でも食べましょうよ」
米子が言った。
「女子高生だろ? オッサンみたいだぞ。それにクリスマスイブだ」
「じゃあファミレスにしましょう」
「いいだろう。牛丼よりはマシだな。俺はビールでも飲むか。でも2人でファミレスなんて援助交際の女子高生とスケベおやじのカップルみたいだな。制服がいい感じだ、援交ゴッコ、してみるか?」
木崎がニヤケながら言った。
「撃ちますよ」
米子がブレザーの内側に手を入れて言うと木崎が慌てて両手を挙げた。




